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9月18日の祈祷会の内容です。

2024-09-17 20:07:00 | 日記
祈祷会   士師記10章「苦しみを見るに忍びなくなる神」  2024.9.18

 ここには士師イサカル人トラが23年間、活動したことと、士師ギレアド人ヤイルが22年間、活動したことが最初に書かれてあります。活動内容はほとんど書いてありません。

 士師記10:6~18には、イスラエルの罪と罰のことが書かれてあります。イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行いました。先住民の神々であるバアルやアシュトレト、アラム、シドン、アンモン人、ペリシテ人の神々に仕えるのです。イスラエルの人々は何度も同じ過ちを繰り返しています。どうして、このようなことを犯してしまうのでしょう。神に罪を犯せば、必ず苦しみがやって来るということを味わっているのにです。イスラエルの人々は主を捨て、主に仕えなかったのです。そのようなイスラエルの人々の罪に対して、主はイスラエルの人々に対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に渡されるのです。

 敵となった者は18年間、イスラエルの人々、ヨルダン川の東側のギレアデにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめしたのです。アンモン人はヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来ましたので、イスラエルは苦境に立たされることとなりました。イスラエルの人々は主に助けを求めて叫ぶのです。「わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしたちの神を捨てて、バアルに仕えました」と。主は、イスラエルの人々に「エジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人、シドン人、アマレク、マオンがあなたたちを圧迫し、あなたたちがわたしに助けを求めて叫んだ時に、わたしは彼らの手からあなたたちを救ったではないか。しかし、あなたたちはわたしを捨て、他の神々に仕えていった。それゆえに、わたしはもうあなたたちを救わない」といわれます。更に「あなたたちの選んだ神々のもとに行って、助けを求めて叫びなさい。苦境に立たされた時には、その神々が助けてくれるだろう」とも、いうのです。

 その神の言葉に対して、イスラエルの人々は「わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事も御目にかなうことを行ってください。ただ、今日、わたしたちを救い出してください」と願います。この言葉はウソではなくて、イスラエルの人々は、異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになりました。そうすると、主はイスラエルの人々の苦しみを見るに忍びなくなっていくのです。アンモン人の人々は集結してギレアドに陣を敷き、イスラエルの人々も集まってミツバに陣を敷きます。ギレアドの指導者たちは互いにいい合います。「アンモンの人々に戦いを仕掛けるのは誰だろうか。その人がギレアド全住民の頭となるだろう」と。その流れから、士師記11章からは士師エフタの活動ということになります。

 私はここで、もう一度、士師記の神学を確認していきたいと思います。イスラエルの人々が約束の地に入った後で、指導者ヨシュアによって、守るべきことが3ついわれていました。神をまず信じること、そして神の教えを守ることです。特に大切なことは、約束の地において、先住民と交わってはならないのです。その理由は、先住民と交わることによって、先住民の信じる異教の神々を拝むようになるからです。ヨシュアは遺言として、何度もイスラエルの人々に語りました。しかし、士師記において、イスラエルの人々はヨシュアの語ったことを守ることができないのです。約束の地において、イスラエルの人々は平和に暮らすようになりますと、先住民と仲良く、生活することがよいだろうとして、交わっていきます。そして、ヨシュアが心配するように異教の神々を拝むようになっていきます。異教の神々を拝んでいくイスラエルの人々は、今まで導いてくださった主のことを忘れ、礼拝することがなくなっていきました。悲しいことですが、それがイスラエルの人々の歩みの現実の姿でした。

 でも、神はイスラエルの人々をそのままにはしないのです。イスラエルの人々の偶像礼拝に対して、神は怒り、敵をイスラエルに送るのです。その敵によって、イスラエルの人々は苦しめられることになります。その苦しみの中で、イスラエルの人々は、自分たちが拝んでいる偶像の神々に助けを求めて叫べばよいのです。しかし、それはしていないのです。実際にはしたけれど、偶像の神々は答えてくれなかったのでしょうか。敵の苦しみを受けて、イスラエルの人々は、神に助け求めて叫ぶのです。そうなると、神はイスラエルの人々の苦しみを憐れみ、助け手として士師を送っていくことになります。士師が立って、イスラエルと共に、敵と戦い、勝利します。イスラエルの人々に平和がやって来ます。やがて士師が死んでいきます。平和の中で、イスラエルの人々は神を忘れてしまい、先住民の信じる偶像をまたもや拝むことになります。イスラエルの人々は、何度も同じ過ちを繰り返していきます。どうして、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょう。それが人間の弱さなのでしょうか。

 それと共に、神はイスラエルの人々を助けていくのです。イスラエルの人々が何度も同じ過ちを繰り返していきます。その度に、神はイスラエルの人々を導き、時には敵を送り苦しめ、時には士師を送って助けていきます。神の忍耐強さに、その関りの強さに感動します。神はイスラエルという罪人と共に歩んでくださっています。イスラエルの人々を見捨てようとはなさいません。ここには神の深い愛を見ることができます。イスラエルのへの愛は、私たちへの愛とつながっています。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルの人々の歩みを通して、神の救いをみることができています。ここにはイスラエルの人々が何度も神に対して、罪を犯し続けてしまいます。神は、そのイスラエルの人々を導き、再び神へ立ち帰ることができるように導いてくださっています。人間の現実がそこにはあり、その人間の現実に対して、神は大きな愛によって導いてくださっています。神の愛を見失うことがないように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)



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