祈祷会 ルツ記2章「ルツとボアズの出会いから」 2025.2.5
モアブの女性であったルツ、ナオミが家族と共に飢饉のためにユダのベツレヘムからモアブにやって来て、ナオミの息子と結婚しました。ナオミはモアブに約10年間いたといいます。この間に、ナオミには悲しいことが続きました。夫を早く亡くし、次には息子たちも亡くなってしまうのです。深い悲しみにいたナオミがユダのベツレヘムでは、すでに飢饉が終って食糧があることを知りました。ナオミは決心しました。10年間いたモアブから、故郷のユダのベツレヘムに帰ることです。ナオミは息子の妻たちと最初一緒にベツレヘムに向かって帰って行こうとしました。ナオミはすぐに気づいて、2人の妻たちに、それぞれに自分の家に帰るように促すのです。1人は帰って行きました。しかし、ルツは帰ろうとはしなかったのです。強い決意を持って、ルツは姑ナオミと一緒にベツレヘムに行くことにするのです。1章では、ナオミの悲しみとルツの決意をみることができました。ナオミとルツがベツレヘムに帰って来たのは、大麦の刈り入れが始まる時でした。
今日のルツ記2章では、ルツとボアズの出会いのことが書かれてあります。ルツがナオミの故郷であるユダのベツレヘムに行くことは、自分の故郷ではなく、誰も知らない土地に行くことでした。そのような不安がある中でも、ルツはナオミと共に行動することを選んだのです。ここで登場するボアズは、ナオミの夫エリメレクの一族の有力な親戚の1人でした。ルツはナオミに「畑に行ってみます。誰か厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」というと、ナオミは「行っておいで」と答えます。ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後をついて畑で落ち穂を拾いましたが、そこはたまたまボアズの畑でした。ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに「主があなたたちと共におられるように」というと、農夫たちも「主があなたを祝福してくださいますように」と返します。
ボアズは農夫の監督をしている召使の1人に聞きます。「そこの若い女性は誰の娘か」と。召使は「あの人は、モアブの野からナオミと一緒に戻ったモアブの娘です。刈り入れする人たちの後について麦畑の間で落ち穂を拾い集めさせてくださいと願い出て、朝から今までずっと立ち通しで働いていましたが、今、小屋で一息入れているところです」と答えます。ボアズはルツに「私の娘よ。よく聞きなさい。よその畑に落ち穂を拾うことはない。ここから離れることなく、私のところの女性たちと一緒にここにいなさい。刈り入れする畑を確かめておいて、女性たちについて行きなさい。喉が渇いたら、水がめの所に行って、若い者がくんでおいた水を飲みなさい」と優しくいいます。ルツは、顔を地につけ、ひれ伏して「よそ者の私にこれほど目にかけてくださるのは。厚意を示してくださるのは、なぜですか」と聞きます。ボアズは「主人が亡くなった後も、姑に尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように」と答えます。ルツは「あなたのはしための1人にも及ばないこの私ですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました」といいます。食事の時に、ボアズはルツに「こちらに来て、パンを少し食べなさい。一切れずつ酢に浸して」と声をかけます。ルツが刈り入れをする農夫たちの側に腰を下ろすと、ボアズは炒り麦をつかんで与えます。ルツは食べて飽き足りて残すほどでした。ボアズのルツに対する深い思いがあふれ出ています。ルツが腰を上げて、再び落ち穂を拾い始めようとすると、ボアズは若者に「麦束の間でもあの娘に拾わせるがよい。止めてはならない。刈り取った束から穂を抜いて落としておくのだ。あの娘がそれを拾うのをとがめてはならない」と命じています。
ルツはこうして日が暮れるまで畑で落ち穂を拾い集めました。取った落ち穂は1エファほどにもなりました。麦を背負って町に帰ると、姑はルツが拾い集めてきたものに目をみはります。ルツは飽き足りて残した食べ物も差し出しました。ナオミがルツに「今日はいったいどこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いて来たのですか」というと、ルツは「今日働かせてくださった方は名をボアズといっておられました」と答えます。ナオミはルツに「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主は、その人を祝福してくださるように。その人は私たちと縁続きの人です。私たちの家を絶やさないようにする責任がある人の1人です。」といいます。ルツは「その方は私に、うちの刈り入れが全部済むまで、うちの若者から決して離れないでください」といってくださったのです。ナオミは「私の娘よ。素晴らしいことです。あそこで働く女性たちと一緒に畑に行けるとは。よその畑で、誰かからひどい目に遭わせられることもないし」とルツにいいます。ルツは大麦と小麦の刈り入れが終るまで、ボアズのところで働く女性たちから離れることなく落ち穂を拾うことができたのです。
ルツ記を読んでいると、そのまま、その時の情景が浮かんできます。下手な解釈はいらないです。2章では、ルツとボアズの会話、またはルツとナオミの会話を通して、深い愛情を読み取ることができます。ナオミにしても、夫と2人の息子を失い、失意の中にあってモアブの野から故郷ユダのベツレヘムに戻って、ナオミ(快い)ではなく、マラ(苦い)と呼んでくださいといいました。ルツにしても、夫を失い、深い悲しみにありました。それまでに飢饉があり、家族の悲しみがあり、そこでも生き続けていく中で、ボアズとの出会いがあり、これから希望と愛に満たされる予感があります。ルツにしても、故郷のモアブから初めての地であるユダのベツレヘムに来て、誰も知らない人ばかりで、そして、落ち穂を拾うという厳しさの中にあって、目の前にある様々な苦難を乗り越えていく姿勢に驚きます。神の恵みがあったということになるのでしょうか。人にはいろいろな苦難があります。それを悲しみだけでなく、そこから前向きに生きていく力がルツには見ることができます。私たちもルツのような勇気を持ちたいものです。
1コリント10:28
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ルツ記の学びから、目の前に起る様々な苦難がありました。それをルツは前向きに歩んでいます。夫を失う、全く違う場所に移住する。それでも、その場その場で、できることを精一杯やっています。神はルツを導き、イスラエルの救いの歴史の中に入れてくださいました。私たちもいろいろな苦難の人生の中にありますが、神の導きを信じて、勇気と信仰を持って、前向きに生きる力を神からいただきたいと願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)