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10月2日の祈祷会の内容です。

2024-09-28 20:08:00 | 日記
祈祷会     士師記11:21~40「士師エフタの娘から」    2024.10.2

士師エフタの話は、士師記10:8~12:7までです。いつものようにイスラエルの人々は主の目に悪とされることを行ってしまいました。バアルや先住民の神々を拝んでしまったのです。主は怒り、敵としてアンモン人を送りました。アンモン人の支配によって、イスラエルの人々は18年間も苦しめられることになります。イスラエルの人々はその苦しみの中で、主に助けを求めて叫びます。主は、イスラエルの苦しみをみるのにしのびなくなり、士師としてエフタを送ります。エフタの境遇は悲しいものでした。ギレアドの人エフタは勇者でした。エフタは遊女の子でした。父親はギレアドといいます。ギレアドの妻も男の子を産みました。その子どもたちが成長していくと、エフタに「あなたは、よその女の産んだ子だから、私たちの父の受け継ぐものはない」といって、エフタを追い出してしまいます。エフタは兄弟たちから逃れて、トブの地に身を落ち着けました。そのエフタのもとにはならず者が集まり、エフタと行動を共にします。おそらく、近隣の村々を襲い略奪などを繰り返していたと考えられます。

 しばらくすると、アンモン人が攻めてきます。その脅威の中で、ギレアドの長老たちは、エフタを連れ戻し、アンモン人との戦いに勝つためにギレアドの全住民の頭になってくださいと願います。エフタは承知し、ギレアドの人々は、エフタを自分たちの頭とし、指揮官として立てます。エフタはアンモン人の王と交渉しますが、決裂して、戦うことになりました。エフタは、ギレアドのミツバからアンモン人に向かって兵を進めます。この時に、エフタは主に誓いを立てます。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰る時、わたしの家の戸口から出て来る者を主のものとします。わたしはその者を、焼き尽くすささげものといたします」と。こうして、エフタは進んで行き、アンモン人と戦って行きます。主はアンモン人をエフタの手に渡します。エフタはアンモン人を徹底的に撃ちます。アンモン人はイスラエルの人々に屈服しました。エフタが、アンモン人との戦いに出る前に、主に誓いを立てました。エフタにとって、命をかける戦いになると感じていたのでしょう。自分の命が無事に帰って来ることができないことも考えていたと思います。自分がアンモンとの戦いに勝利して、無事に家に帰ることができた時に、わたしの家の戸口から出て来る者を主のものとする、エフタは自分の誓いの意味を深く考えていなかったと思います。命をかけた戦いですから、この時、エフタは、家の召使が誰かを想像していたのでしょう。しかし、エフタの主への誓いは、悲しい結果を産むことになります。

 エフタがミツバにある自分の家に帰った時、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出てきました。彼女は一人娘で、他に息子も娘もいなかったのです。エフタはその娘を見ると、衣を引き裂いて、「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しのつかない」といいます。娘は「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから」といいます。続けて「わたしにこうさせていただきたいのです。2ケ月の間、わたしに自由の時間をください。わたしは友達と出かけて山々をさまよい、わたしが処女のままであることを泣き悲しみたいのです」といいます。エフタは「行くがよい」といって、娘を2ケ月の間去らせます。娘は友達と共にでかけ、山々で、処女のままであることを泣き悲しみました。2ケ月が過ぎて、娘は父エフタのものに帰って来ると、エフタは立てた誓いのどおりに娘をささげるのです。娘は男性と関係を持つことがなかったので、イスラエルに次のようなしきたりができたと書いています。来る年も来る年も、年に4日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの娘の死を悼んで、家を出るというものです。

 エフタとその娘の話は、このように悲しい結果として終りました。エフタのこの誓いをどのように考えればいいのでしょうか。最初から、そのような誓いをしなければよかったということもできるでしょう。エフタの誓いは、主にささげるものを人間と考えていました。動物にすればよかった。牛や羊ややぎでもよかったではないかと思います。でも、エフタは敵との戦いで、勝利を願う時に、何もなしで誓うことはできないと判断したのだと思います。エフタにとって、一番大切なものと交換することによって、自分の誓いが主によって聞いてもらえると思ったのでしょう。何もなしでは話にならないと判断したと思います。しかし、旧約聖書の考えでは、エフタは娘をささげなくてよかったのです。
申命記12:31
あなたの神、主に対しては彼らと同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。

では、どのようにすればよかったのでしょうか。レビ記27:1~8には、もし、人間そのものをささげたい場合には、その評価額として金銭を神のみ前にささげるようにと定められています。このような神の律法をエフタは知らなかったのでしょうか。そうだとしても、エフタを責める気持ちは私にはありません。エフタの深い悲しみを思うからです。自分の誓ったことが娘の死につながったということになってしまいました。このエフタの悲しみを通して、私は主の悲しみを思います。それは、イエス・キリストの十字架の死を考えるからです。
ローマ3:23~24
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。

 このように、主はその独り子イエス・キリストを十字架につけてくださいました。それは、私たちの罪の赦しのためでした。私たちの罪の赦しは、主の行為によって、無償で、受けることができているのです。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時をありがとうございました。エフタの主への誓いから、一人娘をささげることをみてきました。エフタは自分の行ったこと深く後悔したと思います。深い悲しみに落とされました。このエフタの悲しみから、私はあなたの御子イエス・キリストの十字架のことを思いました。この時のあなたの深い悲しみを忘れることのように願います。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                               」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


9月25日の祈祷会の内容です。

2024-09-24 20:06:00 | 日記
祈祷会    士師記11:1~20「士師エフタの働き」  2024.9.25

 士師エフタの物語は、士師記10:6~12:7に書かれてあります。いつものようにイスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行っています。バアルや近隣の異邦人の神々を拝むようになりました。すると、主はイスラエルに対して怒り、敵としてペリシテ人やアンモン人を送るのです。彼らによって、イスラエルの人々は18年間、苦しめされることになっていきます。その苦しみの中で、イスラエルの人々は主に助けを求めて叫ぶのです。この時に、主は「わたしはもうあなたたちを救わない。あなたたちの選んだ神々に助けを求めて叫ぶがよい」といって、拒否しました。しかし、この時に、イスラエルの人々は深く反省し、主に助けを求めるために、異邦人の神々を捨てて、主に仕えるようになります。主は、そのイスラエルの人々の行為に、その苦しみを見てしのびなくなっていきます。アンモン人は集結して陣を敷きます。イスラエルの人々も戦うために陣を敷きます。

 これから、士師としてエフタの登場ということになります。それが、今日の聖書の内容です。エフタの生い立ちがまず書かれてあります。非常に悲しい境遇の中で、エフタは成長していきます。それは、ギレアド人エフタは、勇者でした。エフタは遊女の子で、父親はギレアドとなっています。ギレアドの妻も男の子を産みます。その妻の産んだ子どもたちは成長するとエフタに「あなたは、よその女の産んだ子だから、わたしたちの父の家にはあなたが受け継ぐべきものはない」といって、エフタを追い出してしまうのです。エフタは兄弟たちから逃れて、トブの地に落ち着きました。そのエフタのもとにはならず者が集まって、エフタと行動を共にするようになります。

 しばらくして、アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けて来ました。ギレアドの人々は困ってしまいました。そこで、ギレアドの長老たちは、トブの地にいるエフタを連れ戻そうとやって来ました。ギレアドの長老たちは、自分たちだけではアンモン人との戦争に勝てないと判断したのです。それで、勇者エフタの助けを求めていくのです。ギレアドの長老たちはエフタに「帰って来て下さい。わたしたちの指揮官になっていただければ、アンモン人と戦うことができます」といいます。エフタは、「あなたたちはわたしをのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったからといって、今ごろなぜ、わたしのところに来たのですか」といいます。ギレアドの長老たちは、「だからこそ今、あなたのところに戻って来たのです。わたしたちと共にいて、アンモン人と戦ってくださるなら、あなたにわたしたちギレアド全住民の頭になっていただきます」といいます。エフタは、「あなたたちがわたしを連れ帰り、わたしがアンモン人と戦い、主が彼らをわたしに渡してくださるなら、このわたしがあなたたちの頭になるのですね」といいます。ギレアドの長老たちは「主がわたしたちの一問一答の証人です。わたしたちは必ず、あなたのお言葉通りに致します」と答えています。

 エフタは、自分がギレアドの人々の頭になることができるというギレアドの長老たちの言葉を受けて、アンモン人との戦いに出て行くことを決心しています。エフタはギレアド人からのけ者にされ、父の家から追放されたことを忘れていません。それでも、自分が頭になることができるといわれて、受け入れていくのです。エフタはギレアドの長老たちと同行して行きます。ギレアドの人々は、エフタを自分たちの頭として、指揮官として立てていくのです。エフタは主のみ前に出て、自分がいった言葉をことごとく繰り返しています。自分のいった言葉を確認しているのでしょう。それも、主のみ前でいっている言葉なのです。

 エフタはアンモン人の王と使者を遣わしてやり取りします。エフタは「アンモンの王よ、あなたはわたしと何の関りがあって、わたしの国に戦いを仕掛けようと向かってくるのか」といいました。アンモンの王は「イスラエルがエジプトから上って来た時、アルノンからヤボク、ヨルダンまでのわが国土を奪ったからだ。今、それを平和に返還せよ」と返しました。エフタは「イスラエルはモアブの地もアンモンの地も奪いはしなかった。イスラエルはエジプトから上って来た時、荒れ野を通って葦の海まで来て、カデシュに着いた。そこからエドムの王とモアブの王に、あなたの国を通らせてくださいと頼んだが、聞いてくれなかった。イスラエルは一時的にそこに留まっていたが、やがて荒れ野を進み、エドムとモアブの地を迂回し、モアブの東側に出て、アルノンの向こう側に宿営し、モアブの領土は侵さなかった。イスラエルはアモリ人の王シホンに、あなたの国を通って、わたしの目指す所まで行かせてくださいと頼んだが、シホンはイスラエルを信用せず、領土内を通らせないだけでなく、イスラエルに対して、戦いを仕掛けて来た」と答えます。

話は続きますが、エフタの話は300年前のことです。イスラエルがこの地を300年に渡って住んでいたのに、今になって、なぜ戦いを仕掛けて来るのかと問い返しています。しかし、アンモンの王はエフタの言葉を聞こうとはしませんでした。こうして、イスラエルの人々とアンモン人の戦いが始まっていくのです。過去の出来事と土地を巡る争いは、いつの時代で起ってくるものです。今、日本では戦争は起っていません。でも、世界はある地域で戦争が行われています。いつの日か、日本も戦争に巻き込まれる時がやってくるかもしれません。どうしたら、戦争がない世界をつくることができるのか。私たち人間の大きな課題です。いったい、どうすればいいのでしょうか。主からの答え祈りつつ、求めていきたいと願います。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルとアンモンの戦いのことを学びました。いつの時代でも、戦争が起っています。どうすれば戦争をすることのない世界をつくることができるのでしょうか。今、起っている戦争を止めることができるのでしょうか。戦争が終って欲しいと祈っていても、終りません。祈ることの空しさを感じてしまいます。どうか、あなたの知恵を与えてください。戦争を止めさせる知恵を示してください。心から願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)


9月22日の礼拝の内容です。

2024-09-21 11:27:00 | 日記
9月22日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.58.436.457.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/ggux-NBkGRw?feature=shareです。

礼拝説教       使徒12:1~5「熱心に祈りたい」     2024.9.22

 今日は、神に祈ることの意味を考えていきたいと思います。神への祈りといいますと、自分の願いを神に語り、聞いていただくというイメージが強いと私は思いますが、皆様はいかがでしょうか。そもそもどうして、私たちは神に祈るのでしょうか。神は、私たちの祈りを聞きたいと考えているのでしょうか。

 私は、日曜日の礼拝で使徒言行録を読んでいます。キリスト教の最初の歩みを見ることができます。この教会の歩みを見ながら、私たちの教会の歩みの大切なことを知ることができると信じています。イエス様の弟子たちに聖霊が降り、弟子たちは、イエス・キリストの福音を理解することができるようになり、教会の歩みがスタートしていきました。弟子たちは大胆に、身近な人々に、イエス・キリストの十字架の福音を語っていきました。多くの人々が、イエス様の福音を受け入れて、洗礼を受けて教会に加わっていきました。素晴らしい発展を教会はしていくのです。ユダヤ人の迫害もありましたが、伝道活動は進んでいきます。ステファノの殉教をきっかけに、多くの教会員はエルサレムを離れ、ユダヤ、サマリア、アジアに逃げてて行きながら、イエス・キリストの福音を伝えていくのです。

 ユダヤ人キリスト者は、それまでイエス・キリストの福音をユダヤ人だけにしか語っていませんでした。神の選民としてのユダヤ人という意識が強かったのです。ところが、アンティオキアの町に行ったキプロス島やキレネから来た者は、異邦人にもイエス様の福音を語っていきました。そうすると、多くの異邦人が、イエス・キリストの福音を信じて、洗礼を受けて、異邦人の教会が誕生しました。使徒2章で、イエス様の弟子たちに対する聖霊降臨がありました。使徒10章では、異邦人にも聖霊降臨が起っています。世界で初めての異邦人教会であるアンティオキアの教会が誕生して、使徒言行録は、今後、パウロによる異邦人伝道が本格化していくのです。

 実は、その前に教会は大きな試練を受けることになります。それが、使徒12章です。ここにはヘロデ王が登場して来ます。新約聖書の福音書には、何人かのヘロデ王が登場して来ます。振り返ってみると、イエス様の誕生の時にいたヘロデ王は、よくヘロデ大王といわれています。イエス様の十字架の時のヘロデ王は、ヘロデ・アンティパスといわれています。ヘロデ大王の息子の一人です、そして、使徒12章に出て来るヘロデ王は、ヘロデ・アグリッパ1世を呼ばれています。ヘロデ大王の孫にあたります。親子3代に渡って、教会にとって敵のような存在になっています。この時のヘロデ王にとって、何よりも大切なことは、自分の地位を守ることでした。そのために注意深く歩んでいくのです。そのためには、ユダヤ人が自分に対して、好意的ある必要があったのです。ユダヤ人から自分が行為をもたれるためには、何が必要なのかといつも考えていたのでしょう。それは、ユダヤ人のためにではなく、自分の地位を守るためでした。ユダヤ人にとって、教会の動きは許されないものだったのです。ユダヤ人はかつてステファノの殉教を起しました。ここで、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばしていきます。それは、そうすることがユダヤ人から喜ばれることだったからです。ヘロデ王にユダヤ教の信仰心からきているものではありませんでした。

 ヘロデ王は、そこでヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺したとあります。ヤコブは、イエス様の12弟子の中で初めての殉教者となりました。このヤコブについては、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」(マタイ20:23)と書かれてありますので、その言葉が成就したことになります。ヤコブの殉教はそれだけでは終りませんでした。ヘロデ王は、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺したことがユダヤ人に喜ばれることを見て、更にペトロをも捕えようとしました。それは、除酵祭の時でした。ヘロデ王はペトロを捕らえて牢に入れ、4人一組の兵士4組に引き渡して監視させたのです。厳重に監視していくのです。この時の看守は、もし囚人を逃がすことをすれば、自分が囚人の身代わりとして死刑になることになります。時は過越し祭で、祭りが終ってから、民衆の前に引き出して、ペトロを処刑する予定でした。こうして、ペトロは牢に入れられていました。

 この時に、教会にとって大きな危機を迎えていました。使徒ヤコブが殺されて、使徒のリーダーであるペトロも捕らえられて、牢に入れられて、処刑されようとしています。このままだと教会は解散するかもしれません。この危機の中で、教会はいったいどのようにしたのでしょうか。教会はペトロのために熱心な祈りが神にささげられていたのです。教会が、大きな試練に出会った時に、すべきことは神に熱心に祈ることです。これが教会のすべきことなのです。教会に集う者たちも、大きな試練と出会った時に、すべきことは神に熱心に祈ることです。教会が、私たちが、このような危機の時に、最善のことは神の祈ることです。

 そうです。今日は祈りとは何かを考えたいといいました。教会がこのような難しい状況をどのように乗り越えていったのかを見ていきたいと思います。そもそも、私たちはどうして神に祈る必要があるのでしょうか。神は全知全能のお方です。別に私たちが祈らなくても、神は私たちの必要をご存じのはずです。そうならば、私たちが祈る前に、私たちの必要を満たしてくださればいいのです。もっといえば、そもそも試練が起る前に、その状況を察して、そんな試練に合わないようにしてくれればいいのです。それなのに、神はどうして、試練が起るのを見過ごして、私たちが祈るまで何もしてくださらないのですかと思いたくなります。このように考えるのは、私たち自身が祈りというものを誤解しているからです。

 キリスト者にとって、祈りというものは、どこかのお方のもとに行って、何かをお願いするということとは全く別のことです。私たちは神に祈りを通して、神を変えようとするかもしれません。でも、祈りというのは、神を変えるというものではなく、私たちが変えられるものです。よくいわれることですが、神への祈りは、神との対話です。私たちが、神に一方的に自分たちの思いを訴えるようなものではなくて、自分の思いを神に打ち明けながら、神の御声に耳をすませ、神の御心と一致していくための流れです。ですから、祈りには、私たちが何を祈るかというだけではなく、神からの答えに耳をすませる必要があるのです。それでなければ祈りは完成することはないのでしょう。神に自分の思いを伝え、神の答えをきき、今度は、それに対して、私たちが従っていくという私たちの応答があって、初めて祈りということになるのです。

 そこに至るまでは、神との対話をたくさんする必要があります。時には、自分たちの思いが強すぎて、神の御心を聞くことができないことがあります。分かっていても、従うことができないこともあるでしょう。そのような時を何度も重ねていく中で、私たちは神の御心に近づいていくことができるようになるのです。神への祈りには2つあると思います。1つは、1人で祈ることです。

マタイ6:6
だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 ここには、1人で祈ることが書かれてあります。神に対して、1人で、誰もいない場所で、祈るのです。自分の思いをすべて神に訴えるのです。一方で、みんなで祈るということがあります。

マタイ18:19~20
また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。

 ここでは、皆で集まって祈ること、教会の祈りが書かれてあります。聖書に戻ります。ペトロは捕らえられ、牢に入れられて、明日にでも殺されるという危機の時に、教会はペトロのために熱心な祈りがささげられていました。ヘロデ王にヤコブが殺され、ペトロが捕らえられてしまった。この時に、教会の人々は、神への熱心な祈りをささげています。ここにはまず神への熱心な祈りをすることが求められています。私たちはどうでしょうか。このような祈りをしているでしょうか。教会の歩みにとって、神への熱心な祈りは、教会の力そのものです。私たち1人1人、神に熱心に祈る者でありたいと願います。

祈り 神よ、あなたに礼拝をささげることができましたことを心から感謝します。教会の熱心な祈りについて考えてきました。神へ祈りとは、あなたとの対話であるということを確認しました。私たちの思いを、あなたに訴えます。どうか、受け止めてください。そして、あなたの御心を私たちに示してください。私たちが神への信仰によって、受け止めることができるようにしてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


9月18日の祈祷会の内容です。

2024-09-17 20:07:00 | 日記
祈祷会   士師記10章「苦しみを見るに忍びなくなる神」  2024.9.18

 ここには士師イサカル人トラが23年間、活動したことと、士師ギレアド人ヤイルが22年間、活動したことが最初に書かれてあります。活動内容はほとんど書いてありません。

 士師記10:6~18には、イスラエルの罪と罰のことが書かれてあります。イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行いました。先住民の神々であるバアルやアシュトレト、アラム、シドン、アンモン人、ペリシテ人の神々に仕えるのです。イスラエルの人々は何度も同じ過ちを繰り返しています。どうして、このようなことを犯してしまうのでしょう。神に罪を犯せば、必ず苦しみがやって来るということを味わっているのにです。イスラエルの人々は主を捨て、主に仕えなかったのです。そのようなイスラエルの人々の罪に対して、主はイスラエルの人々に対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に渡されるのです。

 敵となった者は18年間、イスラエルの人々、ヨルダン川の東側のギレアデにあるアモリ人の地にいるすべてのイスラエルの人々を打ち砕き、打ちのめしたのです。アンモン人はヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムの家にも攻撃を仕掛けて来ましたので、イスラエルは苦境に立たされることとなりました。イスラエルの人々は主に助けを求めて叫ぶのです。「わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしたちの神を捨てて、バアルに仕えました」と。主は、イスラエルの人々に「エジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人、シドン人、アマレク、マオンがあなたたちを圧迫し、あなたたちがわたしに助けを求めて叫んだ時に、わたしは彼らの手からあなたたちを救ったではないか。しかし、あなたたちはわたしを捨て、他の神々に仕えていった。それゆえに、わたしはもうあなたたちを救わない」といわれます。更に「あなたたちの選んだ神々のもとに行って、助けを求めて叫びなさい。苦境に立たされた時には、その神々が助けてくれるだろう」とも、いうのです。

 その神の言葉に対して、イスラエルの人々は「わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事も御目にかなうことを行ってください。ただ、今日、わたしたちを救い出してください」と願います。この言葉はウソではなくて、イスラエルの人々は、異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになりました。そうすると、主はイスラエルの人々の苦しみを見るに忍びなくなっていくのです。アンモン人の人々は集結してギレアドに陣を敷き、イスラエルの人々も集まってミツバに陣を敷きます。ギレアドの指導者たちは互いにいい合います。「アンモンの人々に戦いを仕掛けるのは誰だろうか。その人がギレアド全住民の頭となるだろう」と。その流れから、士師記11章からは士師エフタの活動ということになります。

 私はここで、もう一度、士師記の神学を確認していきたいと思います。イスラエルの人々が約束の地に入った後で、指導者ヨシュアによって、守るべきことが3ついわれていました。神をまず信じること、そして神の教えを守ることです。特に大切なことは、約束の地において、先住民と交わってはならないのです。その理由は、先住民と交わることによって、先住民の信じる異教の神々を拝むようになるからです。ヨシュアは遺言として、何度もイスラエルの人々に語りました。しかし、士師記において、イスラエルの人々はヨシュアの語ったことを守ることができないのです。約束の地において、イスラエルの人々は平和に暮らすようになりますと、先住民と仲良く、生活することがよいだろうとして、交わっていきます。そして、ヨシュアが心配するように異教の神々を拝むようになっていきます。異教の神々を拝んでいくイスラエルの人々は、今まで導いてくださった主のことを忘れ、礼拝することがなくなっていきました。悲しいことですが、それがイスラエルの人々の歩みの現実の姿でした。

 でも、神はイスラエルの人々をそのままにはしないのです。イスラエルの人々の偶像礼拝に対して、神は怒り、敵をイスラエルに送るのです。その敵によって、イスラエルの人々は苦しめられることになります。その苦しみの中で、イスラエルの人々は、自分たちが拝んでいる偶像の神々に助けを求めて叫べばよいのです。しかし、それはしていないのです。実際にはしたけれど、偶像の神々は答えてくれなかったのでしょうか。敵の苦しみを受けて、イスラエルの人々は、神に助け求めて叫ぶのです。そうなると、神はイスラエルの人々の苦しみを憐れみ、助け手として士師を送っていくことになります。士師が立って、イスラエルと共に、敵と戦い、勝利します。イスラエルの人々に平和がやって来ます。やがて士師が死んでいきます。平和の中で、イスラエルの人々は神を忘れてしまい、先住民の信じる偶像をまたもや拝むことになります。イスラエルの人々は、何度も同じ過ちを繰り返していきます。どうして、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょう。それが人間の弱さなのでしょうか。

 それと共に、神はイスラエルの人々を助けていくのです。イスラエルの人々が何度も同じ過ちを繰り返していきます。その度に、神はイスラエルの人々を導き、時には敵を送り苦しめ、時には士師を送って助けていきます。神の忍耐強さに、その関りの強さに感動します。神はイスラエルという罪人と共に歩んでくださっています。イスラエルの人々を見捨てようとはなさいません。ここには神の深い愛を見ることができます。イスラエルのへの愛は、私たちへの愛とつながっています。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。イスラエルの人々の歩みを通して、神の救いをみることができています。ここにはイスラエルの人々が何度も神に対して、罪を犯し続けてしまいます。神は、そのイスラエルの人々を導き、再び神へ立ち帰ることができるように導いてくださっています。人間の現実がそこにはあり、その人間の現実に対して、神は大きな愛によって導いてくださっています。神の愛を見失うことがないように導いてください。この願いをイエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)


9月15日の礼拝の内容です。

2024-09-14 22:46:00 | 日記
9月15日の礼拝の内容です。讃美歌は351.528.544.579.26です。

オンラインのアドレスは、https://youtube.com/live/5kPaua2QedI?feature=shareです。



礼拝説教    使徒11:19~30「キリスト者と呼ばれて」  2024.9.15


 アンティオキアの町での出来事です。アンティオキアの町は当時、世界第3の町といわれていました。ローマとアレキサンドリアにつぐ町の大きさがありました。約80万人が住んでいたといわれています。異教の盛んな町であって、いろいろな偶像が町のあちらこちらにあったといわれています。使徒言行録の中で、今日の内容は、世界で初めての異邦人教会が誕生するというものです。


 ステファノの事件をきっかけとして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行きましたが、まだユダヤ人以外には誰にもイエス・キリストの福音を伝えてはいませんでした。しかし、です。散っていったユダヤ人の中に、キプロス島やアフリカのキレネから来た者がいました。この人たちは、アンティオキアに行き、ギリシャ語を話す人々にも、イエス・キリストの福音を語っていったのです。無名のユダヤ人キリスト者といっていいと思います。ペトロや後に出てくるパウロではありません。この無名のキリスト者が異邦人にも、イエス・キリストの福音を伝えていきました。神がこの人々を助けてくださいました。そのことによって、イエス・キリストを信じて、教会が誕生していくのです。救われた人々の数はとても多かったとあります。


 このアンティオキアの町に、異邦人の教会が誕生したということはすぐに、エルサレムにある教会に伝わっていきました。聖書地図を見ると、エルサレムからアンティオキアまで約500kmあります。日本で言うと東京から大阪の距離になります。今は、新幹線や飛行機がありますので、その日に簡単に行くことができますが、当時は徒歩やらくだで行くしかありません。約500kmという距離を乗り越えて、エルサレムの教会の人々は、アンティオキア教会に、バルナバを派遣します。エルサレム教会は最もふさわしい人物を、アンティオキア教会に送ります。バルナバは、もともとキプロス島出身です。そして、人と人とのつながりを大切にする人でした。イエス・キリストと出会った迫害者サウロを、教会に紹介したのです。最初、イエス様と出会ったサウロは、エルサレム教会に来ても、教会の人々は、サウロの行動を知っていましたので、恐れて近づきませんでした。それをバルナバがつないだことによって、教会に入ることができるようになりました。


 バルナバは、アンティオキアの町に到着し、教会に入っていきます。その教会は神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意を持って、神から離れることのないようと勧めるのです。バルナバは立派な人で、聖霊と信仰に満ちていたからです。このようにして、バルナバの導きもあって、教会は多くの人々が神に導かれていきました。教会が成長することによって、しっかりとした指導者が必要になってくることをバルナバは感じたようです。そこで、バルナバは、サウロを捜しにタルソスに行きます。サウロはエルサレムの教会に加わって、それから故郷であるタスソスに帰っていました。それからどのくらいの時間が過ぎていったのでしょうか。このバルナバの導きによって。サウロはアンティオキア教会に来ることができて、バルナバと共に1年間いて、多くの人々に教えたのです。


 この世界で初めての異邦人教会であるアンティオキア教会が誕生して、使徒言行録は、新しい展開をしていきます。それは、それまではユダヤ人中心のエルサレム教会から、異邦人が中心のアンティオキア教会が中心になっていきます。まもなく、サウロ、そうパウロの登場となっていきます。このアンティオキア教会がら、パウロによる伝道旅行が開始されていきます。使徒言行録は、このアンティオキアの町で、弟子たちがキリスト者と呼ばれたのです。


 大きな町で、教会の活動が認められていったのでしょう。キリスト者と町の人々からよばれている、大きな流れにいったのだと思います。


 そのころ、預言をする人々がエルサレムからアンティオキア教会に下って来ました。その中の一人のアガポという者が立って、大飢饉が世界中に起こると、神の霊によって、予告しましたが、果たしてそれが、クラウデウス帝の時に起こったのです。世界中で大飢饉が起こる、いつも時代でも、災害は起こるものなのでしょう。特に被害が多かったのは、ユダヤ地方、エルサレムの教会の人々だったようです。エルサレムとアンティアキアまでは距離にして約500kmあるといいましたが、その距離を乗り越えて、被害の様子を知ったアンティオキア教会の人々は、それぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに、援助の品を送ることを決めています。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託してエルサレム教会の長老たちに届けていくのです。


 誕生したばかりのアンティオキアの教会が、すぐにエルサレムの教会に援助の品を送っていくと素晴らしい行動に目を見張る思いがします。マザー・テレサの活動に次のような話を聞いたことがあります。インドでの活動でした。貧しい一人の少女が、食べ物を求めているのです。一人のシスターが、お米を分けてあげました。少女はその受け取ったお米を持って、家に帰っていくのでした。家では、父親はいなくて、母親が7人の子どもたちを育っていました。そのお米は8人の家族が食べるのには量が少なかったのです。それなのに、母親は、そのお米を半分に分けて、別の場所に行きました。母親が帰って来ると、手にしていたお米はなくなっていました。シスターが母親に聞くと、自分たちと同じように、母親が多くの子どもたちを抱えて生活していることを知っていたので、その家族に分けていきました。心の豊かさといいますか。大飢饉の時のアンティオキア教会の人々の行動を見て、この話を思い出しました。


 今日は、使徒言行録からアンティオキアでできた世界で初めての異邦人教会の誕生の様子を見て来ました。私たちの瀬戸永泉教会はまもなく創立136周年を迎えます。教会の創立のときの人々の様子はいったい、どのようなものだったのでしょうか。いろいろな困難がありましたが、136年という年月を迎えることができています。


 今年の1月1日に、能登半島地震が起こりました。私たちの教会と関わる能登の教会も多くの被害を受けました。5月に金沢で行われた教区総会で、その教会の人々からの報告を受けました。その日、輪島教会の先生と、夕食を食べながら、当日の様子を聞きました本当に大変な状況でした。聞いていて、涙が出て来ました。私たちの教会では、その被災教会を覚えて、献金を続けています。アンティオキア教会の人々は、それぞれの力に応じて、援助をしていました。私たちの教会もそれぞれの思いを込めて、献金していきたいと願います。


祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。アンティオキア教会の誕生の様子を知ることができました。素晴らしい内容でした。私たちの教会も、彼らにならって、よき歩みをすることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。