祈祷会 士師記7:1~14「ギデオンの戦い」 2024.7.31
士師記6~8章は、士師ギデオンのことが書かれてあります。平和の中で、イスラエルの人々は神を忘れ、神の目に悪とされることを行いました。それは先住民と交わり、先住民の神々を拝むことでした。神は怒り、ミディアン人を敵として送りました。イスラエルの人々は7年間、ミディアン人の苦しみを受けることになります。その苦しみから、人々は神に助けを求めて叫びました。そこで、神は士師ギデオンを送るのです。ギデオンは神の命令によって、自分の家にあったバアルの祭壇を壊し、傍らにあったアシュラ像を切り倒したのです。その行為によって、ミディアン人はイスラエルの人々と戦う準備を始めました。
今日は士師記7章の前半の部分になります。イスラエルの人々とミディアン人の戦いの準備が書かれてあります。ギデオンとギデオンの率いるすべての人々は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷きます。ミディアン人の陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにありました。ミディアン人の総数は13万5千人です。(士師記8:10)それに対して、ギデオンのもとに集まったイスラエルの数は3万2千人でした。戦う人数だけをみると圧倒的に不利な状況にあります。ギデオンにしてみれば、もっと味方の数が多くなることを望んだことでしょう。
そのギデオンに、神は次のようにいいます。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう。それゆえ今、人々にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドを去れ」と。敵13万5千人対して、味方3万2千人なのに、多すぎるといいます。そして、戦いの前に、恐れおののいている者は去れと呼びかけると、戦いに勝利することでは必要なことかもしれません。そして、この呼びかけで2万2千人が去って行ったとあります。残ったのが1万人ということになります。それでも神はギデオンに「人々はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで選別する。」といいます。1万人を水辺に連れて行きました。そして、水を飲ませるのです。多くの者は犬のように舌で水をなめていくのです。300人だけが、水を手ですくって飲みました。その300人だけを残せと神はギデオンに命じます。9700人は家に帰って行くことになりました。残った300人は、どのように感じたのでしょうか。帰って行く9700人は何を感じて、家に帰っていったのでしょうか。これは、神の命じたことによって、ミディアン人との戦いのことです。これからいったい、どのように戦っていくのでしょうか。
300人は糧食と角笛を受け取って行きます。目の前にはミディアン人の陣営が広がっています。その夜のことです。神はギデオンにいいます。「起きて敵陣に下って行け。わたしはミディアン人をあなたの手に渡す。もし、下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣に下っていくことができる」と。敵陣が何を話っているのかを聞けば、戦いに行く勇気が与えられるというのです。ギデオンは従者プラを連れて敵陣の武装兵のいる前線に下って行きました。ミディアン人たちは、いなごのように数が多く、平野に横たわっていました。らくだも海辺の砂のように数多く、数え切れませんでした。
ギデオンが来てみると、1人の男が仲間に夢の話をしています。「わたしは夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった」と。仲間は「それは、イスラエルの者ギデオンの剣に違いない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべてギデオンの手に渡されたのだ」と答えています。このような話を聞いて、ギデオンはどのように反応し、行動して行くのでしょうか。
士師ギデオンに率いられた300人のイスラエルの兵士たちと13万5千人のミディアンの兵士たち、今後、どのような戦いになっていくのでしょうか。このところで大切なことは、繰り返しになりますが、「あなたの率いる人々は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すことはできない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう」というものです。自分の手で救いを勝ち取ったいうこと、神に向かって心がおごること、それが人間の本質の罪なのでしょう。それを避けるために、数を減らすことを求めているのです。
2コリント12:7~9
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。
この聖書の言葉は使徒パウロの言葉です。パウロはキリスト教の伝道の発展のために活躍した人です。パウロには肉体のとげ(重い病気)が与えられていました。パウロはこの肉体のとげと取り除いてくださるように3回、神に祈ったといいます。しかし、それは聞き入れてもらうことはできませんでした。逆に、神の恵みは、あなたに与えられた肉体のとげの中にある。力は弱さの中で発揮されるのだといっています。このパウロの言葉は、ギデオンに対する神の言葉に通じるものがあります。この神の言葉を、私たち自身の中で、どのように受け止めることができるでしょうか。私たちの信仰生活の課題です。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。先週の祈祷会は、私の新型コロナウィルス感染のためのお休みしました。今回、回復し、このように祈祷会を行うことができましたことを心から感謝します。久しぶりに病気の苦しみを味わいました。本当に辛い時期でした。でも、この機会に必要なことを学ぶことができたと思います。病気になったことでの弱さを誇ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)