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7月31日の祈祷会の内容です。

2024-07-30 18:47:00 | 日記
祈祷会       士師記7:1~14「ギデオンの戦い」    2024.7.31

 士師記6~8章は、士師ギデオンのことが書かれてあります。平和の中で、イスラエルの人々は神を忘れ、神の目に悪とされることを行いました。それは先住民と交わり、先住民の神々を拝むことでした。神は怒り、ミディアン人を敵として送りました。イスラエルの人々は7年間、ミディアン人の苦しみを受けることになります。その苦しみから、人々は神に助けを求めて叫びました。そこで、神は士師ギデオンを送るのです。ギデオンは神の命令によって、自分の家にあったバアルの祭壇を壊し、傍らにあったアシュラ像を切り倒したのです。その行為によって、ミディアン人はイスラエルの人々と戦う準備を始めました。

 今日は士師記7章の前半の部分になります。イスラエルの人々とミディアン人の戦いの準備が書かれてあります。ギデオンとギデオンの率いるすべての人々は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷きます。ミディアン人の陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにありました。ミディアン人の総数は13万5千人です。(士師記8:10)それに対して、ギデオンのもとに集まったイスラエルの数は3万2千人でした。戦う人数だけをみると圧倒的に不利な状況にあります。ギデオンにしてみれば、もっと味方の数が多くなることを望んだことでしょう。

 そのギデオンに、神は次のようにいいます。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう。それゆえ今、人々にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドを去れ」と。敵13万5千人対して、味方3万2千人なのに、多すぎるといいます。そして、戦いの前に、恐れおののいている者は去れと呼びかけると、戦いに勝利することでは必要なことかもしれません。そして、この呼びかけで2万2千人が去って行ったとあります。残ったのが1万人ということになります。それでも神はギデオンに「人々はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで選別する。」といいます。1万人を水辺に連れて行きました。そして、水を飲ませるのです。多くの者は犬のように舌で水をなめていくのです。300人だけが、水を手ですくって飲みました。その300人だけを残せと神はギデオンに命じます。9700人は家に帰って行くことになりました。残った300人は、どのように感じたのでしょうか。帰って行く9700人は何を感じて、家に帰っていったのでしょうか。これは、神の命じたことによって、ミディアン人との戦いのことです。これからいったい、どのように戦っていくのでしょうか。

 300人は糧食と角笛を受け取って行きます。目の前にはミディアン人の陣営が広がっています。その夜のことです。神はギデオンにいいます。「起きて敵陣に下って行け。わたしはミディアン人をあなたの手に渡す。もし、下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣に下っていくことができる」と。敵陣が何を話っているのかを聞けば、戦いに行く勇気が与えられるというのです。ギデオンは従者プラを連れて敵陣の武装兵のいる前線に下って行きました。ミディアン人たちは、いなごのように数が多く、平野に横たわっていました。らくだも海辺の砂のように数多く、数え切れませんでした。

 ギデオンが来てみると、1人の男が仲間に夢の話をしています。「わたしは夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった」と。仲間は「それは、イスラエルの者ギデオンの剣に違いない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべてギデオンの手に渡されたのだ」と答えています。このような話を聞いて、ギデオンはどのように反応し、行動して行くのでしょうか。

 士師ギデオンに率いられた300人のイスラエルの兵士たちと13万5千人のミディアンの兵士たち、今後、どのような戦いになっていくのでしょうか。このところで大切なことは、繰り返しになりますが、「あなたの率いる人々は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すことはできない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったというであろう」というものです。自分の手で救いを勝ち取ったいうこと、神に向かって心がおごること、それが人間の本質の罪なのでしょう。それを避けるために、数を減らすことを求めているのです。

2コリント12:7~9
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。

 この聖書の言葉は使徒パウロの言葉です。パウロはキリスト教の伝道の発展のために活躍した人です。パウロには肉体のとげ(重い病気)が与えられていました。パウロはこの肉体のとげと取り除いてくださるように3回、神に祈ったといいます。しかし、それは聞き入れてもらうことはできませんでした。逆に、神の恵みは、あなたに与えられた肉体のとげの中にある。力は弱さの中で発揮されるのだといっています。このパウロの言葉は、ギデオンに対する神の言葉に通じるものがあります。この神の言葉を、私たち自身の中で、どのように受け止めることができるでしょうか。私たちの信仰生活の課題です。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。先週の祈祷会は、私の新型コロナウィルス感染のためのお休みしました。今回、回復し、このように祈祷会を行うことができましたことを心から感謝します。久しぶりに病気の苦しみを味わいました。本当に辛い時期でした。でも、この機会に必要なことを学ぶことができたと思います。病気になったことでの弱さを誇ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                              」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)


7月28日の礼拝の内容です。

2024-07-27 20:16:00 | 日記
7月28日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.155.404.405.88です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/Tb9DMNYgp58?feature=shareです。

礼拝説教       使徒10:24~33「新しい出会い」     2024.7.28

 7月最後の日曜日です。1週間の初めの日曜日に、このように神を礼拝することができることをできるますことを心から神に感謝します。この礼拝を通して、皆様1人1人がより豊かな1週間の歩みをすることができますようにと祈ります。

先週の日曜日は、教会の皆様に大変にご迷惑をかけました。その前の金曜日に、なんか体がだるいなあと感じ、ちょっと熱があるなあと思い、近くの病院に行きました。そして抗体検査を受けることになりました。結果が出る15分間、ただひたすらに陰性であることを神に祈りました。本気で真剣に祈りました。今度の日曜日には、前から準備していたVIVOハンドベルコンサートがあるからでした。しかし、神への祈りは聞かれませんでした。陽性ということで、5日間の隔離の生活が始まりました。日曜日には、牧師館の部屋で、YouTube配信を聞いていました。隔離の5日間が終って、少しずつ前の生活に戻りつつあります。特に、今回は家族に迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳ないと思っています。

今日の礼拝後に、教会懇談会を予定しています。テーマは「十字架塔について考える」-瀬戸永泉教会のこれからの伝道-です。十字架塔のことは太田長老が発題してくださいますので、お任せします。これからの瀬戸永泉教会の伝道をどのように考えていくかということです。今年5月、金沢で行われた教区総会で、私たちの地区の日進教会の解散が決定されました。この出来事は、私たちにとって大きなショックでした。自分たちの教会の近くの教会がなくなっていく、それが現実となったのです。これまでの日進教会の状況は、代務の教師から聞いていました。教会解散のことも事前に、教師会で話を聞いていました。それでも、実際のことになると何か大きな喪失感を感じたのです。私たちの教会の未来はどうなったいくのだろうか、教会がなくなることもありうるかもしれない。そのような思いを新たにしています。

今、私は、この礼拝で、使徒言行録を読んでいます。初代教会の様子を知りながら、私たちの教会の伝道を考えることになることを願っています。神からの聖霊を受けたイエス様の弟子たちが、イエス・キリストの福音を伝えていうことをみています。この聖霊の力のすごさを知ることができるのです。すべてはこの聖霊の働きです。この聖霊の働きがあって、イエス様の弟子たちが、導かれて行動していきます。ユダヤ人の迫害や教会内の問題なども起って来ています。様々な困難を抱えながらも、教会は著しく成長していきます。使徒10章からは、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝わっていくことが書かれてあります。ここでは、カイサリアに住んでいるローマの百人隊長コルネリウスが登場して来ます。コルネリウスは、信仰心があつく、一家そろって神を畏れて、ユダヤ人の多くの施しをして、絶えず神に祈っていました。

聖霊が動きます。神からの天使となっていきます。天使は、このコルネリウスに語りかけます。「あなたの祈りと施しは神に届き、覚えられている。今、ヤッファにいるペトロを招きなさい」といいます。コルネリウスは3人をペトロのもとに送ります。次に、天使は、ペトロに働きます。ヤッファにいるペトロは、ちょうど、お昼になって祈るために、家の屋上にいました。ペトロはここで空腹を覚え、何か食べたいと思いました。階下では、家の人たちが食事の準備をしていました。ペトロはここで幻を見ます。天が開き、大きな布のような入れ物が四隅に吊るされて、地上に下りてくるのを見るのです。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。天使はペトロに「ペトロよ、身を起して、屠って食べなさい」というのです。ペトロは「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と答えています。旧約聖書のレビ記11章には、食べてもよいものと食べてはならないものが具体的に書かれてあります。そのことを受けて、ペトロはしっかりと答えています。天使は「神が清めたものを清くないなどといってはならない」と答えているのです。このようなことが三度ありました。その入れ物は急に天に引き上げられていったのです。

ペトロは今見た幻はいったい何だろうかと、1人で思案に暮れていますと、コルネリウスから送られた人々が家にたどり着きました。人々が「ペトロと呼ばれる方は、ここに泊まっておられますか」と尋ねました。ペトロはまだ幻について考えていると、天使が「3人があなたを探している。立って下へ行き、ためらわないで、一緒に出掛けなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」といいます。ペトロはすぐに下りて行って、3人に「わたしがペトロです。どうして、ここに来られたのですか」といいます。3人は「コルネリウスは正しい人で、神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、天使からお告げを聞いたのです」と。それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせました。翌日、ペトロは3人と一緒にカイサリアにいるコルネリウスに会うために出かけます。

 次の日には彼らはカイサリアに着きました。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていました。ペトロが来るとコルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝みました。ペトロはコルネリウスを起して「お立ちください。わたしもただの人間です。そして、話しながら家に入っていくと大勢の人々が集まっていたので、「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども神はわたしに、どんな人をも清くないものとか汚れたものとかいってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けた時に、すぐに来たのです。なぜ、招いてくださったのですか」と聞いています。コルネリウスは「4日前のことです。わたしが午後3時の祈りをしている時、天使がわたしの前にたって、いいます。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられた。ヤッファにいるペトロを招きなさい。それで、さっそくあなたの所に人を送ったのです。」と答えています。

コルネリウスは感謝して、ペトロに答えています。「よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、神があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」と。ここには、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝わっていくことが書かれてあります。ペトロからローマ人コルネリウスです。この過程を見ながら、いかに聖霊が動いて働いているかが、よく分かります。ペトロに対して、コルネリウスに対してです。このように丁寧な対応によって、イエス・キリストの福音が伝えられていくのです。

ローマ人の百人隊長コルネリウスが、ペトロを通して、イエス・キリストの福音を信じていくのですが、それにはユダヤ人の存在が大きなものだったと思います。ユダヤ教徒といってもいいと思います。ユダヤ教徒の存在と彼らの行動を見て、自分もそうありたいと感じて、そのように歩んでいったのでしょう。だから、イエス・キリストの福音を受け止めることができやすかったということができると思います。

少し前のことです。教会のホームページを見た人から連絡がありました。自分の話を聞いて欲しいということでした。そして、教会に来てくださり、その方とお話をすることができました。話の内容は、自分の人生の悩みを聞いて欲しいというものでした。初めて会う人に、自分の辛い部分を話してくださったのです。どうして、教会に連絡してくださったのですかと聞いてみました。すると、その方は私と同じ世代でした。その方は、自分が子どもの時にキリスト教の幼稚園に通っていた。だから、教会に行けば、話を聞いてもらえると思ったということでした。十分話を聞くことができたかどうかは分かりませんが、その方は少し安心したお顔になって帰って行かれたと思います。よくいわれることですが、幼い時に、聖書、教会、キリスト教に触れた人は、人生のいろいろな苦しい時に、教会に帰って来ることができるということです。だから、教会学校や、キリスト教の幼稚園や学校などでの出会いは大きなものがあるのでしょう。

瀬戸永泉教会のこれからの伝道を考える時に、何をすればいいのでしょうか。私は特別なことはできないと思います。まず、私たち自身が喜んで礼拝に参加していることです。その信仰の喜びを感じていると、そのことを周りの人々が感じてくださるでしょう。教会がいろいろな企画を通して、初めての方を教会に来ていただくことも大切な働きだと思います。先週のVIVOハンドベルコンサートもその一つです。祈祷会の時に、聖書を学ぶ中で、人生のいろいろな問題を向き合っていきます。後は、聖霊に委ねるしかないと思います。その人自身を、イエス・キリストの福音に導いてくださるのは、聖霊だからです。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。あなたは聖霊を通して、私たちがあなたの救いを得ることができるようにしてくだしました。私たちの周りには、あなたの救いを待ち望んでいる方々が大勢おられます。どうか、あなたがその方々を教会に導き、福音に触れて、信仰を得ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって、祈ります。アーメン。


7月17日の祈祷会の内容です。

2024-07-16 20:46:00 | 日記
祈祷会      士師記6:19~40「神にしるしを求めるギデオン」    2024.7.17

 士師記6~8章は、士師ギデオンの話です。士師としての話は一番長いものです。いつものようにイスラエルの人々は神の目に悪とされることを行っていました。神は怒り、イスラエルの人々に対して、敵としてミディアン人を送ったのでした。ミディアン人は7年間、イスラエルの人々を苦しめることになります。イスラエルの人々にとって、ミディアン人は非常に脅威になったとあります。イスラエルの人々は、ミディアン人を避けるために、山の洞窟や洞穴や要塞を利用したのです。それは、ミディアン人はイスラエルの人々が種を蒔き、収穫の時になると襲って来て、すべてを奪ってしまうからでした。そのようなミディアン人の苦しみを受けて、イスラエルの人々は、神に助けを求めて叫ぶのです。

神は士師としてギデオンを送るのです。士師として神から送られたギデオンは臆病な性格なのでしょうか。神にしるしを求めていきます。神はギデオンに「わたしがあなたと共にいるから、ミディアン人をあたかも1人の人を倒すように打ち倒すことができる」といいますが、ギデオンは躊躇しながら、「あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください」と訴えます。ギデオンは、子ヤギ一匹、麦粉1エファの酵母を入れないパンを整え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、神のみ使いのもとに持って来ます。み使いは「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」といいます。ギデオンはそのとおり行います。み使いは手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンを焼き尽くしました。すると、主のみ使いは消えてしまうのです。ギデオンは、この方が神のみ使いだと悟ったのです。ギデオンは「ああ、神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて神のみ使いを見てしまった」といいました。神は「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない」と答えています。ギデオンは神のために、祭壇を築き「平和の主」と名付けています。ギデオンは、ここで神にしるしを求めています。そして、そのことが行われました。神はギデオンの求めを受け止めてくださっています。

その夜、神はギデオンに「あなたの父の若い雄牛1頭を連れ出し、あなたの父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らにあるアシュラ像を切り倒せ。また、神のためにこの砦の頂上に祭壇をつくり、切り倒したアシュラ像を薪にして、雄牛を焼き尽くすささげものとしてささげよ」といいます。ギデオンは召使の中から10人を選び、その通り行うのですが、父の家族と町の人々を恐れて、日中は避け、夜中に行いました。ギデオンは自分の父のもとにあるバアルの祭壇とアシュラ像を切り倒すのですが、恐れながら実行しているのです。

翌朝早く町の人々が起きてみると、バアルの祭壇は壊され、傍らにあるアシュラ像も切り倒されていました。築かれた祭壇の上に第2の若い牛がささげられているので、人々は「だれがこんなことをしたのか」といいました。捜して、ヨアシュの子ギデオンの仕業と分かって、町の人々がヨアシュに「息子を出せ。息子は殺さねばならない」といいました。ここでヨアシュは、責め立ててやまない人々に「あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか。バアルをかばって争う者は朝とならぬうちに殺される。もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争うだろう」といって反論しています。息子ギデオンの行動に、父のヨアシュも変化して来ています。その時に、ギデオンがバアルの祭壇を壊したので、「バアルが彼と争うがよい」といって、父のヨアシュはその日、ギデオンをエルバアル「バアルは自ら争う」と呼びました。ギデオンの別の名前がエルバアルといいます。

このギデオンの行動によって、ミディアン人は、アマレク人、東方の諸民族が皆、結束して川を渡って来て、イズレエルの平野に陣を敷きます。神の霊がギデオンを覆います。ギデオンは角笛を吹きます。すると多くのイスラエルの人々、アシュル、ゼブルン、ナフタリの人々が上って来て、合流します。やがて、ギデオンに導かれたイスラエルの人々は、ミディアン人と戦うことになります。

その前に、ギデオンはここで神にしるしを求めていきます。ギデオンは神に「わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます」と願っています。すると、神はそのようになさってくださいました。翌朝早く起き、ギデオンが羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢はいっぱいになりました。でも、ギデオンはそれだけでは納得いかないのです。ギデオンはまた神に「どうかお怒りにならず、もう一度いわせてください。もう一度だけ羊の毛で試すことを許してください。羊だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください」と頼みます。その夜、神はそのようにしてくださったのです。羊の毛だけは乾いており、土は一面露が置かれていました。神はギデオンのしるしを求めることをすべて行い、許してくださったのです。そして、士師記7章では実際の戦いになって行きます。

士師記6章では、ギデオンが神にしるしを求めたことが3回、書かれてあります。神は、そのことを許してくださっています。新約聖書の1コリント1:22「ユダヤ人はしるしを求め」と書いてあるとおりです。ユダヤ人は神の言葉がある時には、神のしるし「奇跡」を求めるようになっていったのです。イエス・キリストが神の言葉を語った時に、多くのしるし、奇跡を行っていました。これは、ユダヤ人のために神の働きを示すために必要なことだったのです。私たちはこの神の行うしるしをどのように考えたらよいのでしょうか。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。士師ギデオンがミディアン人と戦う時に、神からのしるしを求め続けました。ギデオンは自分に確認が欲しかったのだと思います。そのギデオンの思いに神は答えてくださっています。その神の思いに感謝します。神は1人1人に寄り添ってくださるお方です。ありがとうございます。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


7月14日の礼拝の内容です。

2024-07-13 11:34:00 | 日記
7月14日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.402.436.452.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/_Gxn5hxjukk?feature=shareです。

礼拝説教     使徒10:17~23「どうぞ、お泊りください」     2024.7.14

 ペトロはいいました。「どうぞ、お泊りください」と。ペトロが泊まっている家に、3人の来客がありました。その来客にペトロがいった言葉です。このペトロの言葉は簡単な内容ではありませんでした。この時に、ペトロの中で大きな変化が起っていたのです。

 使徒言行録は、聖霊を受けたイエス様の弟子たちが、当時の世界にイエス・キリストの福音を伝えていく内容が書かれてあります。

使徒1:8
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

 このイエス様の言葉が、使徒言行録の流れになっていきます。イエス・キリストの福音が地の果てに至るまで伝えられるということです。地上のすべての人々に、イエス・キリストの福音が伝えられていくことを意味していますが、それには大きな壁を乗り越える必要がありました。旧約聖書の神の教えです。

 使徒言行録の10章からは、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝えられていくことが書かれてあります。カイサリアに住んでいた「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長のコルネリウスという人です。彼は異邦人であるので、ユダヤ教徒ではありませんが、ユダヤ教徒と同じ生活をしていました。信仰心があつく、一家そろって神を畏れ、ユダヤ人に多くの施しをし、絶えず神に祈っていたのです。そのコルネリウスに天使が働きかけます。「あなたの祈りと施しは神の前に届き、覚えられている。今、ヤッファへ人を送って、ペトロを招きなさい」とうものでした。この天使の言葉を聞いて、コルネリウスは2人の召使と側近の部下で信仰心のあつい1人の兵士を送るのでした。

 次に天使は、ペトロに働きかけます。ヤッファの町にいたペトロですが、皮なめし職人シモンの家に客になっていました。昼の12時ごろ、ペトロは祈るために屋上に上がりました。ペトロは祈りながら空腹を覚え、何か食べたいと思いました。人々が食事の準備をしていたのです。この時に、ペトロは幻を見ます。天が開いて、大きな布のような入れ物が、四隅をつるされて、地上に下りて来るのを見たのです。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。旧約聖書の教え、レビ記11章に書かれてある清いものと汚れているものを分けることが書かれてあります。それは、食べてもよいものと食べてはならないものがはっきりと区別されていました。つまり、その中には食べてならないものが入っていたのです。天使はペトロに「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」といいました。しかし、ペトロは、「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れたものは何1つ食べたことはありません」と答えます。すると、天使は「神が清めたものを清くないなどと、あなたはいってはならない」といいました。このようなことが三度あったと書かれてあります。

 ユダヤ人はずっと旧約聖書の神の教えを守ってきました。レビ記11章に書かれてある食べてよいものと食べてはならないものをはっきりと区別して来たことが分かります。旧約聖書では、神の前で、何が清いものか、何が汚れているかがはっきりと分けられて来ました。その流れで、清いものはユダヤ人だけ、それ以外の異邦人は汚れていると考えられてきたのです。そのために、ユダヤ人は「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。」(使徒10:28)とあるように、外国人つまり異邦人と交際することも、訪問することも避けて来ていました。それほどに、ユダヤ人と異邦人の間には大きな壁がありました。この壁を壊すことは容易なことではありませんでした。

 天使が「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」といったことに対し、ペトロは「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れているものは何1つ食べたことがありません」と答えています。それに対して、天使が「神が清めたものを、清くないなどと、あなたはいってはならない」といっています。このようなやり取りが3度繰り返しています。ペトロは3度も、「主よ、とんでもないことです。」と強く否定しています。このやり取りから、神は天使を送って、ペトロを通して、神の救いを実現しようとしています。それは、神の救いがユダヤ人から異邦人へも与えられていくというものです。

 神は最初から、神の救いの業を考えられていました。それは、ユダヤ人を通して、すべての人々への救いを実現するということです。すべての人々への救いを実現するために、神はしっかりとして計画を立てておられました。まず、神の救いはユダヤ人に与えられました。それは、神の子イエス・キリストの十字架へと結びつけるためでした。新約聖書に入り、イエス・キリストの活躍と十字架がありました。このイエス・キリストの十字架は大きな展開の時でした。それまで神の教えと考えられてきた清いものと汚れたものの区別がなくなったのです。

 そして、今日の聖書の内容に入ります。ペトロは3度見た幻のことを1人で思案に暮れていました。すると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて、門口に立ち、声をかけます。異邦人である彼らは、ユダヤ人の家に入ることはできないことを知っていたので、家の門口に立っているのです。「ペトロと呼ばれるシモンという方は、ここに泊まっておられますか」と尋ねています。ペトロがなお幻のことで悩んでいると、天使が「3人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ」といいます。ペトロはその人々の所に行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここに来られたのですか」と聞きます。すると彼らは「百人隊長コルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです」と答えます。そして、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた」のです。ユダヤ人のペトロが、異邦人の3人を、そのシモンの家に迎え入れ、泊まらせたのです。翌日、ペトロはヤッファを立ち、異邦人の3人と一緒にカイサリアに向けて出発します。カイサリアで待っているコルネリスを尋ねるためにです。ヤッファの兄弟たちも何人か一緒に行ったとあります。

 この後、ペトロとコルネリスはカイサリアで出会うのです。イエス・キリストの福音を語るために、イエス・キリストの福音を聞くために、その出会いが起って行きます。やがて、パウロが登場して来ます。このパウロによって、本格的な異邦人伝道が開始されて行きます。イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人にも伝えられている、この流れは、神のご計画によるのですが、このことを当時の教会の人々が受け止めることは容易なことではありませんでした。この後、いろいろなユダヤ人からの抵抗を受けることになります。それは、まず教会の中で起って来ます。いろいろなユダヤ人の抵抗があっても、異邦人への伝道は、神がお決めになっていることです。神ご自身が最初から計画していたことでした。イエス・キリストの福音は、アジアからヨーロッパへと、そして、時の流れを経て、アジア、アメリカ、アフリカと伝えられていきます。多くの人々の手を通して、イエス・キリストの福音が伝えられて来ました。

 やがて、アメリカやヨーロッパの宣教師によって、イエス・キリストの福音はこの日本にも伝えられて来ました。日本へのキリスト教の伝道の歴史は困難な歩みでした。それでも、伝道の歩みは続いて行きました。この愛知県瀬戸市にも今から130年以上前に、この地に、イエス・キリストの福音の種がまかれ、教会が生まれました。瀬戸永泉教会の誕生とその歩みが始まっていくのでした。この教会を通して、多くの人々に、イエス・キリストの福音が伝えられていきました。今も、そして、これからも、この教会を通して、この地域の人々に、イエス・キリストの福音の種がまかれていくのです。神の救いは、地の果ての人々に及ぶのです。イスラエルから見れば、遠い、この日本の愛知県の地にも、福音が伝えられています。

 5月に中部教区総会が金沢の地で行われました。そこでは教会の現実の話がなされました。教会員の高齢化、教会財政の悪化などです。新型コロナウィルス感染症の影響、今年1月に起った能登半島地震の影響などです。人間的な視点をみれば、教会の現実と未来は明るい希望を見い出すことが困難になっています。でも、神が共にいてくださいます。聖霊が、私たちの教会と共に歩んでくださいます。その聖霊の働きを信じて、私たちの教会の未来に希望を託していきたいと心から願います。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。使徒言行録によって、ペトロによって異邦人コルネリウスのへの伝道の歩みを知ることができました。使徒たちの活躍を知ると共に、聖霊が働いてくださり、その時その時にふさわしい働きや導きをしていることを知ることができました。聖書に書かれてあるように、イエス・キリストの福音は世界中に伝えられていきます。私たちの地域もその恵みに預かることができています。今、教会は困難な時を迎えています。でも、聖霊が共にいてくださることを信じています。私たちが希望を持って、信仰生活を送ることができますように、私たちを守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


7月10日の祈祷会の内容です。

2024-07-09 20:23:00 | 日記
祈祷会    士師記6:1~18「ギデオン、最も弱い者を用いる神」   2024.7.10

 士師ギデオンは6章から8章まであります。士師記の中で最も長い内容になります。イスラエルの人々はまたもや主の目に悪をされることを行いました。主はイスラエルの人々を7年間、ミディアン人の手に渡されます。ミディアン人の手がイスラエルの人々に脅威になっていきます。イスラエルの人々はミディアン人を避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用しました。イスラエルの人々が種を蒔きますと、ミディアン人はこの地方の産物を荒らし、命の糧となる家畜と共に羊も牛もろばも何ものも残しませんでした。イスラエルの人々はミディアン人のために甚だ苦しめられたので」、主に助けを求めて叫ぶのです。

 イスラエルの人々はミディアン人のことで主に助けを求める叫ぶと、主は1人の預言者を遣わしました。預言者は「主はこのようにいわれる。私はエジプトの地から導き上り、奴隷の家から導き出してくださいました。主はあなたたちをエジプトの手からだけでなく、あらゆる抑圧者の手から救い出し、あなたたちの行く前に、彼らを追い払って、その地をあなたたちに与えました。わたしはあなたたちの主であり、あなたたちはアモリ人の国に住んでいても、アモリ人の神を畏れ敬ってはならないとした。だが、あなたたちはアモリ人の神を畏れ敬ってはならないと告げていた。しかし、あなたたちは、わたしの声に聞き従わなかったと強調しています。

 主のみ使いは新しい士師としてギデオンを選ぶことになります。ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるために、酒舟の中で小麦を打っていました。主のみ使いはギデオンに現れていいました。「勇者よ、主はあなたたちと共におられます」と。ギデオンはここで、イスラエルの人々の苦しむことの意味を主に問うています。その言葉は、非常に重い言葉でした。「わたしの主よ、お願いします。このように主なる神がわたしたちと共においでになるようでしたら、なぜこのようなことが、わたしたちにふりかかったのですか。先祖は、主は我々をエジプトから導き上られたではないかといって語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放しミディアン人の手に渡されてしまいました。主はギデオンの方を向いて「あなたとその手をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのだから」と答えます。

 主の言葉にギデオンは躊躇します。ギデオンは主に「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱な者です。それに、わたしは家族の中でいちばん年下の者です。」と答えています。主はギデオンに「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも1人の人を倒すように打ち倒すことができる」と強くいうのです。このように主の力強い言葉がありましたが、ギデオンは躊躇します。ギデオンは主に「もし御目にかないますなら、あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください。どうか、わたしが戻って来るまで、ここを離れないでください。供え物を持って来て、御前におささげしますから」といいます。主はギデオンに「あなたが帰って来るまでここにいる」といわれました。

 新しく士師として選ばれたギデオンですが、その士師として選ばれた理由が書かれてあります。それは、「わたしの一族はマナセの中で最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」とある通りです。神の選びといいますか、神の視点があります。振り返れば、旧約聖書において、神がイスラエルの人々を選んだ理由も同じであることが分かります。

申命記7:6~8
あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。

 ここで、神がイスラエルを神の宝の民とされた理由は、「あなたたちは他の他の民よりも貧弱だった」からです。神は人の目から見れば、最も貧弱な者を、神の民として選ばれるということです。神が、私たちに人間に対して、どのように働いてくださるのかを知る大きな手掛かりになります。人間の視点ではなく、聖書を通して、神の視点とは何かを知ることが大切です。新約聖書でも、同じようなことが書かれてあります。

1コリント1:26~29
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

 ここでは、使徒パウロがコリンの教会の人々へ、どのようにして教会に導かれたのか、その理由を書いているものです。神は、コリントの教会の人々は、世の無に等しい人々、身分の卑しい者や見下げられている者が選ばれたこと、それは、だれ1人、神の前で自分を誇ることがないようにするためでした。私たちも教会に導かれたことを振り返ると、同じような内容であることに気づくのです。神の導きに感謝しましょう。

祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ギデオンが士師として選ばれた時に理由について考えて来ました。そのことは私たちが教会に導かれたことと同じであることが分かりました。神の導きに深く感謝したいと思います。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                          」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)