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12月22日の礼拝の内容です。

2024-12-21 20:33:00 | 日記
12月22日の礼拝の内容です。讃美歌は、258.263.265.269.81.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/6meQebL04Es?feature=shareです。

礼拝説教    マタイ1:18~23「神は私たちと共にいます」   2024.12.22

 クリスマスおめでとうございます。2024年のクリスマス礼拝を、このようにお祝いすることができますことを神に感謝したいと思います。毎年毎年、この時期に私たちはクリスマスをお祝いしていますが、その年その年で、それぞれのクリスマスを祝っていると思います。皆様にとって2024年は、どのようなクリスマスなのでしょうか。

 今日の聖書の箇所は、クリスマスの時によく読まれる箇所です。クリスマスの出来事を男性のヨセフの視点から書かれてあります。イエス・キリストの誕生の次第について、次のようであったとあります。母マリアはヨセフと婚約していたが、2人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになったとあります。ユダヤでは、結婚について厳しい考えがありました。結婚の前に約1年間の婚約期間があります。この時には、まだ夫婦とはなっていませんが、夫婦であるかのようにふるまうことが求められていました。特に、男女間の性的な健全さが求められていたのです。ヨセフとマリアもおそらく両親が決めた結婚なのでしょうか。今のように自分が結婚相手を選ぶことは少なかったと思います。この婚約期間中に、2人は結婚のための準備をしていくのです。男性として夫としてどうあるべきかを準備していくのでしょう。女性として妻として、どのように過ごしていくのかを期待と不安を交えながら、この時を過していくのでしょう。

 ヨセフとマリアが婚約中に、マリアが身ごもることはあってはならないうことでした。十戒の中に姦淫をしてはならないとあります。この姦淫の罪は石打ちの刑に当ります。つまり、死刑になることを意味します。厳しい状況が待っているのです。そのことがマリアに起っているのです。マリアに対する受胎告知はルカによる福音書に書かれてあります。ルカは、天使ガブリエルから語られた受胎告知にマリアは不安と戸惑いで答えています。しかし、最後は、神の御心であることを告げられて、マリアは自分に与えられた受胎告知を受け入れています。マリアの妊娠は聖霊による働きであるとマタイが告げています。

 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心したと書いています。結婚前にマリアの妊娠を知って、夫になるはずのヨセフは、ひそかにマリアとの婚約関係を切ろうと考えたということです。ヨセフの正しさが強調されていますが、実際には、マリアを切り捨てるということだと私は思います。このような時に、男性は簡単に逃れることができます。しかし、女性は、その重荷を生涯背負っていくことになっていきます。マリアと婚約関係を切って、ヨセフは新しい女性と出会い、新しい結婚生活を始めることが容易です。しかし、マリアは、新しく生まれる子を育ていかなければならないのです。マリア自身も罪の女と言われ続けることになります。マリアの子も罪の子として生きていくことになっていきます。

 マリアと婚約関係を解消しようとひそかに考えていたヨセフに、主の天使が夢に現れて、「ダビデの子ヨセフ、恐れず、妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」といいました。マタイは、イエス・キリストの誕生のことを、このすべてのことが起ったのは、主が預言者を通していわれていたことが実現するためだったといっています。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 このマタイによる福音書は、クリスマスの出来事を、インマヌエル、つまり神は私たちと共にいてくださる、ことだと告げているのです。このマタイによる福音書を読んでいて、大切なことがあります。マタイによる福音書は、新約聖書の一番、最初に来ているということです。そして、マタイ1:1~17は、イエス・キリストの系図が書かれてあります。そして次に、イエス・キリストの誕生の次第はと、なっています。イエス・キリストの誕生の前に、イエス・キリストの系図を書いているのです。ここが、旧約聖書と新約聖書を結び付ける大きな役割になっていることに、私たちは気づくのです。

 このイエス・キリストの系図が、大きく3つに分けられていることに気づくのです。それぞれが14代と数えられています。マタイ1:1には、アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図となっています。1は、アブラハムからダビデまで、2は、ダビデからバビロン捕囚まで、3は、バビロン捕囚から、イエス・キリストまでと、なっています。つまり、アブラハム、ダビデ、バビロン捕囚、そして、イエス・キリストへとつながっています。アブラハムは、イスラエルの人々の初めです。ダビデは、イスラエルの人々の栄光の時代です。バビロン捕囚は、イスラエルの人々の苦しみの時代です。

 イスラエルの人々の始まりであるアブラハムについて、その弱さについて触れてみたいと思います。創世記の内容となります。イスラエルの祖であるアブラハムには子どもがありませんでした。アブラハムとその妻サラです。2人は、神に子どもを与えてくださいと祈っていました。また、神の2人の祈りに答えて、子どもを与えてくださる約束してくださっていたのです。しかし、なかなか2人には子どもがうまれませんでした。そこで、妻のサラは他の女性のエジプト人ハガルによって、子どもを得ようとしました。アブラハムとハガルの間に、子どもが生まれました。それが、イシュマエルです。アブラハムは、自分の子どもが生まれて喜んだのです。しかし、後に、2人に子どもが生まれました。それがイサクです。イサクが生まれて成長していくと、アブラハムとサラは、ハガルとイシュマエルを追い出してしまいました。自分の置かれた事情によって、その時その時に必要なことが変っていくのです。ハガルとイシュマエルは、アブラハムとサラの犠牲者になります。

 また、イスラエルの黄金期にあたるダビデですがサムエル記の内容となります。ダビデは多くの妻を抱えていたのですが、ある日、1人の女性を好きになりました。その女性は、ダビデの家来の1人の妻でした。ダビデは、その家来の妻を、自分の妻とするために、イスラエルが他の民族と戦っている時に、自分の軍の将軍に密かに手紙を送ります。その手紙を妻の夫に持たせるのです。その手紙の中には、その家来を、敵との戦いの最前線に送り、家来を残して退却させよという命令でした。そのダビデの手紙の内容は、敵との戦いの中で、実行されて、その家来は戦死してしまったのです。自分の夫の戦死を知った妻は悲しみます。悲しみの時を終えると、その女性はダビデの元に行き、妻となっていくのです。このダビデの行為はすべて、神の知られていました、後に、神の罰を受けて、ダビデは大きな苦しみを持つことになっていきます。

 バビロン捕囚です。旧約聖書の中で、イスラエルの人々にとって、一番に苦しい出来事となっていきました。バビロン捕囚は、紀元前6世紀に起った出来事で、ユダヤ人がバビロンに連れて行かれた期間をいいます。この出来事は南ユダが滅び、エルサレム神殿が破壊された時に始まったのです。バビロン捕囚は約70年間続き、多くのユダヤ人がバビロンに強制移住させられたのです。この間に、ユダヤ人は自分たちの宗教を保つために努力しました。エルサレムに帰還してから、エズラ・ネヘミヤ時代に、神殿の再建を成していくのでした。バビロン捕囚はユダヤ人の歴史において非常に重要で、悲劇的なことであり、ユダヤ人自身の存在と信仰を強化する役割を果たしたといえると思います。

 イスラエルの人々にとって、旧約聖書は大切な部分です。その上で、イエス・キリストの誕生による新約聖書が形成されていきました。マタイによる福音書の最初にあるイエス・キリストの系図は、イスラエルの人々が自分たちの歩みを振り返っているものです。自分たちの存在の根拠となっているものです。アブラハム、ダビデ、そしてバビロン捕囚が、イスラエルの人々の存在そのものなのです。それは、苦難の歴史そのものでした。また、罪の歴史の繰り返しそのものです。そのイスラエルの人々の歩みの中に、神の子イエス・キリストが誕生していくのです。

 そして、その続きとして私たちの歩みの歴史ということになっていきます。私たち日本の歩みを振り返ってみると、イスラエルの人々と違う歩みがあるでしょうか。神の前に素晴らしい歩みということができるのでしょうか。日本だけでなく、人間の全体の歴史を見ていても、同じように戦争の歴史です。敵意と憎しみと戦争の繰り返しの歴史といってもいいと思います。神は、イスラエルの人々を選ばれたました。その理由は、最も数の少ない民であったからといわれています。でも神は、私たち人間に対して、愛することを止めることはしませんでした。それが、クリスマスです。マタイは、インマヌエルといいました。神は私たちと共にいてくださるということです。神は、私たちに、独り子イエス・キリストを送ってくださいました。これが、神が私たちと共にいてくださるという意味です。クリスマスは、神が私たちと共にいてくださることを意味しています。クリスマスを心からお祝いしようではありませんか。

祈り 神よ。クリスマスの礼拝をこのように守ることができましたことを心から感謝します。神はイスラエルの人々を選び、神の救いの業を行ってくださいました。イスラエルの人々の歩みは罪の歩みそのものでした。そのために多くの苦難を味わっていくことになっていったのです。そして、そのイスラエルの人々の中から、神の子イエス・キリストの誕生を成し遂げてくださいました。イスラエルの人々の罪を赦すために、やがて、私たちすべての人間の罪を赦すためです。あなたの救いの業を改めて、このクリスマスの時に受け止めることができました。この感謝を、忘れることなく、過していくことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


12月18日の祈祷会の内容です。

2024-12-17 10:53:00 | 日記
祈祷会    士師記19:1~15「悲しみの記録を読む」   2024.12.18

 士師記19~21章は、イスラエルの12部族のうち、ベニヤミン族が滅んでしまうかもしれないと危機に遭遇します。士師記19章は、1人のレビ人が登場して来ます。彼は、ユダのベツレヘムから1人の側目として迎え入れました。その側女は一時的に、彼の元を離れて、自分の父の家に帰って行きます。レビ人は、その側女を連れ戻しに行きます。連れ戻すことができて、自分の家に帰ろうとしますが、ベニヤミン領のギブアという場所にやって来ました。そこではなかなか彼を泊めてくれる人はいなかったのですが、1人の老人が声をかけて泊めてもらうことができました。しかし、その老人の家に町のならず者たちが襲って来て、「お前の家に来た男を出せ」と騒ぐのです。老人は拒否しますが、レビ人は自分の連れていた側女を外に出してしまいます。ならず者たちは、その側女を一晩中もてあそびました。朝になると、その側女は死んでしまったのです。レビ人は朝起きて、死んだ側女をろばに乗せて、自分の故郷に帰って行きます。そこで、レビ人は側女をつかみ刃物でその体を12の部分に切り離し、イスラエルの全土に送るのです。これを見たイスラエルの人々は驚き悲しみ、集まって来ます。

士師記20章では、イスラエル全体で40万の歩兵が集まり、ベニヤミン族に「あのならず者たちを出せ。ならず者たちを殺して、イスラエルから悪を取り除こう」といいました。すると、ベニヤミン族は受け入れず、兵を集めて、イスラエルの人々と戦おうとするのです。激しい戦いになって行きます。双方とも多くの被害を出すことになってしまいましたが、数にまさるイスラエルの勝利となっていくのです。この時に、ベニヤミン族が滅んでしまうかもしれない危機に訪れるのです。イスラエルの人々は、ベニヤミン族と戦う時に、自分たちの娘はベニヤミン族に嫁としては与えないという誓いを立てていました。

そして、士師記21章で、イスラエルの人々は、自分たちの中の一部族であるベニヤミン族がなくなってしまうことを深く悲しみ、何とかして存続させるために努力をしていきます。ベニヤミン族が生き続けるために、嫁として、戦いに出て行かなかった部族を捜します。そうすると、ギレアドのヤベシュからは誰も戦いに出ていないことが分かりました。そこで、イスラエルの人々は兵を出して、ギレアドのヤベシュの町の人々を攻撃し、娘400人を見い出し、自分たちの陣地に戻って来ました。そうして、ベニヤミン族に妻として与えていくのです。まだ、女性の数が足りませんでした。イスラエルの人々はベニヤミン族に、シロの娘たちがぶどうの収穫の時に、踊って出て来るから、そのシロの娘たちを捕まえて、自分たちの嫁としなさいといいました。そこで、ベニヤミン族は、踊っている女性を奪い、その中から自分たちの数だけを連れ帰って、自分たちの嗣業の土地で、町を築いてそこに住んでいくことになります。イスラエルの人々は、その様子を見て、自分たちの嗣業の土地に帰っていくのです。これが士師記19~21章の流れです。

この流れを確認して、今日の聖書の箇所と見ていきたいと思います。士師記19章の前半の箇所です。イスラエルには王がなかったその頃から始まっていきます。エフライムの山地の奥に1人のレビ人が滞在していました。彼には、ユダのベツレヘムのから1人の女性、側女として迎え入れたのです。しかし、その側女は主人を裏切り、自分の父の家に帰って、4ケ月ほどそこにいることにしました。いったい、2人に何が起ったのかは分かりません。この側女にとって、とても辛いことが起ったと考えてしまいます。このレビ人は、そのままにしてはいませんでした。レビ人は若者を伴い、人軛のろばを連れていで立ち、側女の後を追い、その心に話しかけて連れ戻そうとしました。側女がいる家に行くと、側女はレビ人を父の家に入れるのです。受け入れたということでしょうか。具体的なことは分かっていません。側女の父はレビ人を見て、喜び迎えています。そのしゅうとと父が引き止めるので、レビ人は3日間、そこに留まり、食べて飲み、夜を過ごしていきます。4日目の朝早く、レビ人は起きて出発しようとしましたが、側女の父が「パンを一切れ食べて元気をつけ、それから出かけた方がいい」というので、2人は一緒に座り、食べて飲みました。側女の父は婿に「どうか、もう一晩泊まってくつろいでください」といいます。レビ人は立ち上がって出発しようとしたが、しゅうとがしきりに勧めるので、また泊まることにしました。

5日目も朝早く、レビ人は出発しようとしたが、娘の父が「元気をつけた方がいい」というので、2人は日の傾くまでゆっくり食事をしました。レビ人が側女と若者を連れて出発しようとすると、そのしゅうと、娘の父は「日もかげってきて、もう夕方です。ここに泊まってくつろぎ、明朝早く起きて旅路に着き、家に帰ることにしてはどうですか」といいました。しかし、レビ人は泊まろうとはせず、立ち上げって出発し、エブスすなわちエルサレムの目の前にするところまで来ていました。彼らがエブスの近くに来た時、日は大きく傾いていました。若者はレビ人に「あのエブス人の町に向かい、そこに泊まることにしてはいかがですか」と聞きましたが、レビ人は「イスラエルの人々ではないこの異国人の町には入るまい。ギブアまで進むことにしよう」と答えました。更に「ギブアかラマに泊まることにしよう」といいました。彼らは旅を続け、ベニヤミン領のギブアの近くで日は没しました。彼らはギブアに入って泊まろうとして進み、町の広場に来て、腰を下ろしました。でも、彼ら家に迎えて泊めてくれる者はいなかったのです。

レビ人が側女を迎えに行って、なかなかその家を出発することができなかったのは、本当はしゅうとや父は、娘を出すことを躊躇していたのではないかと思うのです。レビ人によって自分の娘は側女という立場でもあるからです。その後、側女にとってとても辛い状況が待っているのです。この聖書の箇所を読みながら、どうして、このような悲しい話があるのだろうと考えます。逆に、それが聖書の書かれた目的でもあるのでしょう。人間の罪の現実を知らせるためなのです。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。士師記を読みながら、人間とは何者かと考えました。人間の罪の現実を知ることになります。とても辛い内容となっています。そこから目を背けることなく、歩むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                 」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


12月15日の礼拝の内容です。

2024-12-14 20:02:00 | 日記
12月15日の礼拝の内容です。讃美歌は、241.242‣3.459.476.91‣1です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/PahqQvRMUAM?feature=shareです。

礼拝説教      使徒13:16~25「救い主を送ってくださる」   2024.12.15

 私たちは今、瀬戸永泉教会で、日曜日に集まって、神を礼拝しています。ふと、これはとても不思議なことだと考えてしまいます。私たちは今、聖書では使徒言行録を読んでいます。これは、イエス・キリストの福音がエルサレムから始まって、当時の世界の中心であったローマにまで伝わっていくことが書かれてあります。その福音の流れは、今、日本の愛知県瀬戸市にある私たちの教会まで伝わっているということです。ここまで約2000年という時の流れがありました。時を越えて、イエス・キリストの福音は全世界に伝わっていったのです。使徒言行録の中心的な聖書の箇所があります。

使徒1:8
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

 この言葉がその通りになっていくのです。すごいことだと私は考えます。使徒言行録は全部で28章あります。1章~12章は、イエス・キリストの福音がユダヤ人にむけて語られています。13章~28章は、異邦人にむけて語られているのです。今日、私たちは使徒言行録の13章を読んでいます。聖書の後ろに聖書地図がありますが、7、パウロの宣教旅行1には、パウロの第1回伝道旅行の様子が書かれてあります。地図を見ると、パウロの行程が見えてきます。アンテオキア教会から出発して、キプロス島に渡ります。そして、船でパンフリア州のベルゲに渡ります。ここで、パウロとバルナバと共に一緒にいたマルコが、伝道旅行の困難さに負けて、エルサレムに帰ってしまったことを前回見てきました。旅行の様子を見ると、ベルゲで伝道をしたかといえばしなくて、すぐにピシディア州のアンテオケに行っていることが分かります。後にパウロは、マルコが伝道旅行の途中で帰ったことを批判しています。

 そのパウロですが、このベルゲで伝道しなかった理由がありました。それは、パウロは素晴らしい伝道の働きをしていくのですが、大きな困難を抱えていたのです。それはパウロ自身の肉体のとげといわれる病気のことです。このパウロの病気はしばしば、パウロの伝道旅行の歩みを止めることになっていくのでした。そのためにパウロは神に、自分の病気を癒してくださるように祈ったのですが、適いませんでした。そのパウロの肉体のとげですが、マラリア熱だったのではないかといわれています。この病気によって、ベルゲでは熱で苦しみ、高い場所に移動する必要があって高地にあるピシディア州のアンテオキアへ行く必要があったのです。パウロの命に関わる問題が起っていたと思われます。でも、そのアンテオキアで、パウロは伝道していくのです。

 ピシディア州のアンテオキアで、まずユダヤ人の会堂に入っていきます。その日は安息日でした。そこでは律法と預言者の書が朗読されました。その後で会堂長が人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と勧められています。そこで、パウロは立ち上がって、手で人々を制して話し始めます。これが、使徒言行録に残るパウロの完全な形での説教といわれています。パウロが語っている相手はイスラエルの人々です。ピシディア州のアンテオキアのユダヤ人会堂で安息日に、ユダヤ人に語っているのです。「イスラエルの人たち、神を畏れる方々、聞いてください。この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもって、そこから導き出してくださいました」と、まず話しています。パウロがまずユダヤ人に語っていることは、神がイスラエルの民を選び出してくださったこと、エジプトで長い間、奴隷の状態であったことを高く上げた御腕を持って、そこから導き出してくださった、つまり出エジプトの出来事をいっているのです。

 さらに「神はおよそ40年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、カナンの地では7つの民を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです」といいます。出エジプトから、荒れ野の旅を40年間したこと、その間に、イスラエルの人々の行いを耐え忍んでくださったといって、罪の深さを強調しています。それと共に神のイスラエルの人々に対する深い忍耐を思うのです。これは450年に渡ることだといい、「その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました」といっています。これはまさに士師記の内容になります。今、祈祷会では、この士師記を読んでいます。士師の登場と、イスラエルの人々の罪の深さを書いています。

 そして、「後に人々が王を求めたので、神は40年間、ベニヤミン族の者でキシユの子サウルをお与えになり、それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ」と、いっています。これはサムエル記の内容になっています。イスラエルの人々は、繰り返される諸民族の戦いがあって、自分たちの指揮官である王を求めたのでした。その最初の王がサウルでした。そのサウルは、神に従うことがなくなって、サウルを退けて、新しくダビデを王として選ばれたのです。そのダビデについて、「わたしはエッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです」と、いっています。ここでパウロがいっているように、ダビデの子孫から救い主イエスを送ってくださったと宣言しているのです。

 そして、パウロは、洗礼者ヨハネのことを取り上げています。「ヨハネはイエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました」と、伝えています。更に、パウロは洗礼者ヨハネのことを「その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこういいました。わたしを何者だと思っているのか。わたしはあなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない」と、いっています。

 パウロの説教はまだ続いていきますが、神は、多くの民の中から、イスラエルを選び、人間の救いの業を行ってくださっているとことを、イスラエルの人々に語っています。エジプトでの奴隷の時、荒れ野の旅の苦しみ、約束の地に入るための準備とその後、約束の地に入ってからの士師時代、預言者サムエルの時代に、王制が始まり、サウル、ダビデと続いていくこと、時に、ダビデの子孫から、救い主が生まれることを語り、それがイエス・キリストであることを告げるのです。

 私たちは祈祷会で、旧約聖書を読み続けています。創世記から始まって今は、士師記を入っています。そこには、神に選ばれたイスラエルの人々の苦しみ、特に、罪の歴史を見続けています。神によって選ばれたのに、神の期待に反して、神に反逆し続け、罪を犯し続けている姿です。どうして、このような罪深いイスラエルの人々を神は選ばれたのだろうかと考えてしまいます。でも、罪深いから神はイスラエルの人々を選ばれたのでしょう。人間とは何か。いかに、人間は神に対して、罪を犯し続ける者か、いかに神に従うことができないかを、旧約聖書を通して、教えてくれるのです。

 神が、私たち人間の罪の救いのために、本当に長い時間をかけてご計画してくださることを改めて知ることができました。神は、この世界を創造し、人間を造られ、そして、人間が神に反逆し、罪を犯して、神から離れて、苦しんでいく。人間は自分たちが犯した罪によって、自分自身を苦しめ、他者を苦しめていく。このままでは人間は完全に滅んでしまいます。そのような人間の滅んでいく姿に、神は行動されていくのです。旧約聖書を通して、イスラエルの人々を選び、神の民として生きることの意味を教えてくださいました。神の教えである十戒を中心とした律法、幕屋は祭司制度など、イスラエルの人々の生活に即したものとなっていきました。ダビデを選んで、その子孫から救い主であるイエス様が生まれて来ることを預言してくださったのです。

 今、私たちは教会暦で、イエス・キリストの誕生を待ち望む待降節を過しています。来週には、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス礼拝を守ります。今から2000年前に、ユダヤのベツレヘムで、神の子イエス・キリストがお生まれになるのです。家畜小屋の中でお生まれになり、家畜のえさが置いてある飼い葉桶の上に、神の子は寝かせられるのです。寂しい場所で、誰にも知られない場所で、静かにお生まれになりました。その神の子は、私たちのすべての罪を背負って十字架につけられて死ぬために、お生まれになったのです。神の救いの業が、このイエス・キリストの誕生と、その後の十字架の死と復活につながっていきます。私たちは今日、パウロの言葉を聞いて、救い主の誕生を、心からお祝いしようではありませんか。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。パウロの説教を聞きました。それはあなたの深い救いの業を見ることができました。長い長い時間をかけて、あなたは、私たちのために救いのご計画をしてくださいました。今、私たちはクリスマスを待つ日々を過ごしています。あなたが私たち1人1人のためにしてくださったこと、そして、そのあなたの救いの業がどのように完成されるのかを、希望と期待を持って、待ち望むことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。


12月11日の祈祷会の内容です。

2024-12-10 19:51:00 | 日記
祈祷会    士師記18:21~31「ライシュの人々のことを考える」  2024.12.11

 士師記17~21章までは、士師のいない時代のことが書かれてあります。その中心は「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいことを行っていた」(士師記17:6)です。17章では、エフライムの山地にミカのいう人が登場して来ます。ミカの母親は、ミカのためにお金を出して、銀細工人に彫像と鋳像を造らせるのです。また、ミカの家には神殿があり、エフォドとテラフィムがありました。そして、自分の息子を祭司にしていましたが、途中で、自分の家にレビ人がやって来たので、そのレビ人に、自分の家の祭司になって欲しいと頼み、そのレビ人がミカの家の祭司となっていきました。

18章では、ダン族は、自分のために住み着くための嗣業の土地を捜し求めていました。かつてヨシュアの時代には、土地は与えられていましたが、それを失ってしまったので、この時には土地がない状態だったと考えられます。ダン族は土地を探り、調べるために、自分たちの中から5人の勇士を選んで、「行って、土地を調べよ」と命じて、遣わします。5人はやがてミカの家に行きます。そこにいる祭司に声をかけて、自分たちの進めている旅の成功を尋ねていきます。祭司は、あなたがたの旅は主によって見守られているといいます。5人は、喜んで旅を続けて行きます。5人は進んでライシュに着きます。その地の民は、シドン人のように静かに、また、穏やかに安らかな日々を送っているのを見るのです。その地には、権力を握る者が全くなく、シドン人からも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったとなっていました。

5人は帰って、ダン族にライシュの土地のことを説明します。「ライシュに向かって攻め上ろう。私たちはその土地を見たが、非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわず出発し、ライシュの土地を手に入れるべきだ。行けば穏やかな民のところに行くことができる。神が与えてくださっている。その土地は大手を広げて待っている。その土地は、この地上のものが何一つ欠けることがない土地だ」と。ダン族の人々は600人の兵士を派遣します。兵士は皆、武器を帯びています。5人と600人の兵士たちは出発します。彼らはエルライムのミカの家に寄って、祭司、彫像と鋳像、エフォドとテラフィムを奪います。

ここからが今日の聖書の箇所になります。ミカは自分が持っていた彫像と鋳像、エフォドとテラフィムをダン族に奪われてしまったので、取り返すために、近くに住む家族の者が呼び集められました。そしてダン族を追っていくのです。もちろん、自分の物を取り返すためです。ミカはダン族に呼びかけます。するとダン族は「兵をそろえて何事か」と問います。ミカは「あなたたちはわたしの造った神々と祭司を奪って逃げた。わたしには何もない。何事かとはよくいえたものだ」といいました。ダン族は「そのようなたわごとを我々に聞かせるな。さもないと、苦々しく思った連中があなたたちを打ち付け、あなただけでなくあなたの家族も命を失うことになろう」といいました。ダン族は旅を続けます。ミカはダン族が強いと見て、引き返し、家に帰って行くのです。

ダン族はミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かいます。その静かで穏やかな民を襲って、剣にかけて殺し、町に火を放って焼きました。そのライシュの町はシドンからも遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者はなかったのです。ダン族は、その町を再建して住み着き、町の名をダンと付けました。その町の元の名はライシュでした。ダン族は、自分たちが拝むためにミカの彫像を立てることにしました。また、モーセの孫でヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日まで、ダン族の祭司を勤めていくことになりました。この捕囚の日とは、前733年ごろのアッシリアによるものと考えられます。また、神殿がシロにあった間、ダン族はミカの造った彫像を保っていたとあります。細かいようですが、神殿ができたのはソロモンの時代のエルサレムです。でも、ここでは神殿と書かれてありますので、そのまま使います。神殿がシロにあった間とは、ヨシュアの時代に、会見の幕屋がシロに建てられています。(ヨシュア18:1)また、次のサムエル記の時代にもシロが聖所でした。(サムエル上1:3)

この士師記18章はダン族が新しい土地を手に入れることが書かれてありました。そのためには、ミカの家にあった彫像と鋳像、エフォドとテラフィム、また祭司を奪って、自分たちのものとしたこと、手に入れた土地を一度は燃やしてしまいましたが、再建し、住み着くようになっていきました。それからずっとミカから奪った彫像を自分たちが拝む対象としていたのです。神の教えはどこにいってしまったのかという思いです。ここまで読んできて、私が気になったのは、ライシュの町のことです。ライシュの町は理想的な環境にあると思いました。振り返ると、ライシュの町は、静かに、また穏やかに安らかな日々を送っていました。人をさげすんで権力を握る者も全くなく、シドン人からも遠く離れていて、またどの人間とも交渉がなかったというのでした。ダン族の5人は、このライシュの町の様子を見て、簡単に攻め落とすことができると考えました。そして、実際に、その通りだったのです。ライシュの町は、この地上のものが何1つ欠けることがない所だとありましたが、突然のダン族に攻め込まれて、何もすることもできず、襲われて、剣かけて殺され、町に火を放たれて滅んでいきました。

このライシュの町の人々のことで、自分たちだけで平和に暮らしていて、どの人間との交渉もなかったというのが印象に残りました。自分たちだけで平和であればいいというだけでなく、他の人間との交渉もとても大切なように思います。このことをどのように考えればいいのでしょうか。私たちの歩みの課題でもあると思います。

祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。ミカとダン族の勝手な振る舞いを見てきました。神の民でありながら、神のなしに生きている現実の罪が見えて来ます。また、ライシュの人々のことを考えます。理想的な社会だと思いますが、何か大切なものが欠けていたのでしょうか。その欠けているものを見つけることができますように願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                             」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)


12月8日の礼拝の内容です。

2024-12-07 20:22:00 | 日記
12月8日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.242‣2.200.403.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/ZRfpr572Ag0?feature=shareです。

礼拝説教        使徒13:13~15「失敗から学ぶ」     2024.12.8

 「失敗から学ぶ」という説教題で、今日の聖書の箇所から考えてみたいと思います。皆さんは失敗したことがあるでしょうか。おそらくですが、ここにいる方はすべて失敗したことはあると思います。自分は今まで一度も失敗したことはないという人はいないと考えます。失敗にもいろいろなものがあると思いますが、絶対にしてはいけない失敗もあると思います。例えば、人を殺すなどということです。極端な話ですが、そのような絶対にしてならない失敗もありますが、私たちが多くする失敗はいろいろです。昨日でも忘れることのできない失敗をすることは起って来ます。

 新型コロナウィルス感染症からYouTube配信を始めました。初めは手探りで失敗ばかりでした。配信ができない、音が出ていない、ノイズが起っているなど、きりがありませんでした。新しい配信手段を始めた時に、画質はいいのですが、音がまったくダメだった時がありました。その時には、音響関係を新しい設備にしていただきました。今でも、配信を始める時はドキドキです。必ず祈ってからしているのです。また、その他にもいろいろな失敗があります。失敗しない方がいいのですが、失敗することは避けることができないものです。問題は、そのしてしまった失敗をどのように受け止めるかだと考えます。

 今日の聖書の箇所は、ヨハネの失敗のことを取り上げてみます。このヨハネは別の名前をマルコといいます。これからのことを考えてマルコといわせていただきますことをお許しください。使徒言行録は13章に入って、異邦人伝道が本格化していきます。異邦人の初めての教会としてアンテオケ教会が誕生しました。そこには多くの人々が集まっていました。教会の人々が神に礼拝をしている時に、または断食をしている時に、聖霊が「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって2人に決めておいた仕事にあたられるために」という言葉によって、教会の人々は断食して祈り、2人に手を置いて出発させるのです。

 第1回伝道旅行のスタートです。聖霊によって送り出されたバルナバとサウロはアンテオケ教会を出発し、キプロス島に向かって船出しました。このキプロス島はバルナバの出身地です。故郷伝道ということになるでしょうか。この時に、2人はマルコを助手として連れて行きました。このマルコはバルナバの親戚にあたります。キプロス島の伝道が終り、キプロス島のパフォスから船出し、パンフィリア州のペルゲに来ました。ここで、マルコはバルナバとサウロの一行から離れてエルサレムに帰ってしまったのです。このマルコがどうして急に伝道旅行の際に、途中で帰ってしまったのか、これが後で大きな問題となってしまいます。このマルコの伝道旅行の時の失敗といってもいいと思いますが、この点を考えていきたいと願います。どうして、マルコは第1回伝道旅行が始まって、一緒に同行できるという状況だったのに、途中で挫折してしまったのでしょうか。とても残念なことだと思います。

 マルコの挫折の理由ははっきりとは分かっていません。だから、失敗の理由は分からないということになってしまいます。考えられることが、マルコはバルナバの親戚といいました。実は、第1回伝道旅行が始まった時は、リーダーはバルナバでした。ところが途中から、それがパウロに変っていきます。使徒13:4、7には「バルナバとサウロ」となっています。使徒13:9には「パウロとも呼ばれたサウロ」となっています。その後、使徒13:14では「パウロとバルナバ」と変わっているのです。そのリーダーがバルナバからパウロに変ったことがマルコによって気に入らなかったからというのが、挫折の1つの理由といわれています。次が、伝道旅行には様々な困難があって、その伝道の困難にマルコは耐えることができなかったというのがその理由になっています。このマルコの挫折が、大きな問題になって行くといいましたが、それは、第2伝道旅行が始まる時に起って来ます。

 使徒15:36~41です。第1回伝道旅行が終って、異邦人への伝道についての協議を行ったエルサレム会議が終ってから、第2回伝道旅行に出発することになりました。それはパウロの言葉から始まっていきます。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って、兄弟たちを訪問しどのようにしているかを見て来ようではないか」というものでした。パウロの提案は、第1回伝道旅行に行った後の様子を知りたいということだったと思います。この時に、問題が起って来ます。それは、バルナバはマルコを連れて行きたいと思ったのです。一度は挫折して、伝道旅行の途中で帰ってしまったけれど、成長するチャンスを与えたいと考えたのです。バルナバらしい考えだと思います。パウロが回心でして、キリスト者になった時に、エルサレム教会の人々は、パウロを警戒して受け入れようとはしませんでした。その時に仲介したのがバルナバでした。バルナバの考えはマルコにとって、とても嬉しい事だったと想像します。しかし、反対する人がいました。それは第2回伝道旅行を計画したパウロです。パウロの言い分は、前にパンフリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は連れて行くべきではないと考えたからです。パウロの考えも理解できますし、バルナバの考えも理解できます。どうすればいいのでしょうか。

 この時に、バルナバは自分の考えを曲げなかったのです。慰めの子といわれたバルナバは、しっかりと自分の考えを持ち、必要ならそれを実行する強い思いは持っていたのでした。ここで、パウロとバルナバの意見が激しく衝突してしまいます。ついには別行動をとるようになってしまいます。第1回伝道旅行で一緒に行った者同士が、ここで激しい意見の対立によって、別行動してしまうことは大きな悲しみだと思います。何とか仲直りすることはできなかったのでしょうか。残念なことです。初代教会にこのような激しい対立があったことは忘れてはいけないと思います。バルナバはマルコを連れて、キプロス島に向かって船出します。ここからバルナバの記録は途絶えてしまいます。一方でパウロはシラスを選び、教会の兄弟たちから主の恵みに委ねられて出発します。このように第2回伝道旅行は、パウロはバルナバと離れて、伝道旅行を続けていきます。使徒言行録は、その後、パウロの旅を追っていきます。パウロはシリア州やキリキア州を回って教会を力づけていきます。考えみれば、パウロとバルナバの対立は、伝道旅行が2つ行われるというメリットにもつながっていきます。

 その後のマルコはどのようになっていくのでしょうか。実は、マルコはパウロの伝道にとって大切な役割を担いようになっていくのです。

2テモテ4:11
ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。

 第1回伝道旅行の途中で、伝道旅行の困難さのために挫折して、途中で、エルサレムに帰ってしまったマルコ、彼はその後、どのような気持ちでいたのでしょうか。また、第2回伝道旅行が始まる時に、自分を連れて行くかどうかでバルナバとパウロが激しく対立し、別行動をとることになってことをどのように受け止めていたのでしょうか。使徒言行録は第2回伝道旅行の様子を、パウロを中心に書いていますので、バルナバとマルコの働きについては書いていませんので分かりませんが、おそらく最後まで、バルナバと共にマルコはその伝道の働きを全うしたのでしょう。それから時が流れて、パウロの伝道の働きに同流することになっていったのでしょう。マルコの働きは、パウロにとって良きものだったのでしょう。それがパウロの手紙の中に書かれてあります。

 人は生きていく中で、いろいろな失敗をしていきます。その失敗の中で成長していくのです。そういうパウロ自身も、かつては熱心なユダヤ教徒として、教会を攻撃し、迫害を加えていました。そのようことから、イエス・キリスト出会い、アナニアやバルナバの働きによって、教会の伝道者として働くことができるようになったのです。そういう意味で、パウロ自身も失敗を経験しています。

 今、私たちは教会暦で待降節を歩んでいます。イエス・キリストの誕生を待ち望んでいます。神の子イエス・キリストがわたしたちのために、この世に来てくださるのです。それは、私たち1人1人のために、罪を贖い、永遠の命を与えるためです。神に感謝しながら、私たちは、自分たちができることをして、神の恵みに応えていきたいと思います。

祈り 神よ。あなたを礼拝することができますことを心から感謝します。マルコの失敗のことをみてきました。人は多くの失敗をしてしまいます。でも、その失敗を通して、成長していきます。私たち1人1人が、神に愛されていることを知っています。小さな私たちですが、あなたのために働くことができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。