Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

IRANからのメール

2013-08-02 10:54:02 | 雑感

 

先日

カリブ海を漂っていた時

Inmarsat(海事衛星通信)で会社から送ってきたFAXの中に

仕事の進捗や決裁を必要とする内容を伝えてきた項目とともに

付け加えられていたのが

 

IRANの某氏から電話がありました とのこと

 

ドッヒャ~

その某氏

その昔

日本に研修のため来日してきてた時には我が家に招待し

こちらがIRANを訪問した際には

ペルシャ湾岸のBandar Abasuに同行してくれたり

休日にはテヘラン観光に連れて行ってくれたりと

友人とも呼べる人物

 

そうだ!

最初に送ってきたメールをご披露しちゃいますね

 

Dear ○○○○○


Hello
I am ◎□△○◇ at ×××× very long time  I did not have any news about you ,

I asked about you from ○○○ people.  Today iwas checking  linkin suddenly  I found you.
How are you and your nice wife and kids.
I always remember those days in tehran and osaka.
Fyi  irunning my marin supply and services    Arctic aqua  is not bad bud sanctions is harming.

Idont take your time
Hope see you again


Regards

(文法的には相当アレな英語ですが、我慢して意味をわかってあげてくださいネ



 

10年ほど前までは

よく仕事のオファーなんかもいただいてたんだけど

 

その後核兵器開発疑惑から

国連安保理決議による経済制裁が決まり 

日本も同調することになって

どうやら取引継続は不可能と諦めていた様子

 

 

ところが、先日実施された大統領選挙で

ようやくのこと2005年から就任していた強硬派の大統領から

民主穏健派に変わったのをキッカケに

今後情勢が変わってくれることを願って

SNS(Linkedln)でみつけてコンタクトしてきたようなんです。

 

よし

それなら久しぶりにテヘランに飛ぼう

思ったところ

経済産業省のHPから

まだまだ経済制裁が継続されていて

いまだ、ほぼ貿易取引が禁止されているのを知ってしまいました。。。

 

欧州製品の日本の代理店を請け負っている手前

 規則に違反して、顧客や取引先にご迷惑をかけるわけにはいかないので

現在のところとりあえず禁輸の内容を調査しながら

事態が好転してくれるのを待っているところなんです

 

 

さて

このIRANをいう国

以前はよく上野公園周辺で偽造テレカを販売し不良外国人として

東京近辺を中心に滞在していたため

ネガティブな印象をもたれてる方や

 

近年は、アカデミー賞を総なめした(?)のかな

アメリカ目線がみると

映画ARGOに象徴されるように

 

悪政から立ち上がった民衆により革命となり

パーレビ国王をアメリカに亡命させたこともあって

怒りに燃えた民衆によって大使館が占拠され

以後、双方で敵国扱いしてきたこともあって

西側諸国には悪印象しか与えられていませんよね

 

よくよく考えてみればアメリカが石油利権を独占しようと

国王を誑かし、悪政を助長したようにしかみえないんだけど

 

あまりヘタなことほざいてると

国家反逆の手先と思ってトラブルに巻き込まれるといけないんで

これくらいにしとこっと

 

 

 

んじゃついでにイランのことも少々ご紹介しちゃいますね

 

地球儀からみるとこんな位置(緑の部分)

 

”イラン”とはアーリア人の国 って意味なんだとか

 

その名のとおり東にパキスタン、アフガニスタン

北にアゼルバイジャン、アルメニア、トルクメニスタン

西にはトルコ、イラク

南はペルシャ湾を介して

クゥート、バーレーン、カタール、サウジアラビア、UAEと

まさにイスラム&アーリア系民族のど真ん中

以前は成田からの直行便も飛んでいたのですが

現在もっともポピュラーな経路が

エミレーツでドバイを経由して入るか

カタール航空でドーハから入る

またはトルコ航空でイスタンブールからの3種類

 

最近は、VISA取得がなかなか面倒だとか

それから現地の空港では

アルコールを持ち込んでいないかと カバンをひっくりかえして入念に検査されますので

渡航される方は、そのお覚悟を

 

(以前に行ってた頃のVISAです)

 

ペルシャ語標記なんで

ほとんどの人は内容が理解できないだろうから拡大しちゃいま~す

 

 

気候についてお話すると

イメージ的には灼熱の砂漠を彷彿とさせてしまうかもしれませんが

首都テヘランはカスピ海に面し(といっても山岳地帯を越えなければいけませんが)

冬には雪が積もり、スキー場もあったりするんです。

といってもテヘランから南は、ほぼ見渡す限りの砂漠地帯で

特にペルシャ湾沿岸は灼熱地獄で 

日中に外を歩くのは自殺行為って感じでした

 

次は服装

イスラム国家なので 街中を歩く女性は チャドルという身体全体を隠す布を羽織っていますが

(南部のペルシャ湾沿岸に行くとブルカっていう服装で目まで隠しちゃってるんですよ)

アーリア系なんで 結構美人が多くてビックリ

チャドルの下は結構派手な真っ赤なミニスカート穿いてたり

露出度の高いブラウスを着てたりして

女性として美の追求には余念がないようでした

 

革命によってイスラム国家となるまでは

しっかりとアメリカナイズされていたこともあって

その反動からか、外出から家に戻るとチャドルを脱ぎ捨ててましたね~

 

 

 

食べ物は ほぼケバブのみ

以前何度か滞在した時も 滞在中毎食ケバブでした

 

前にドイツで食べたケバブをご紹介したと思いますが

炊き立ての湯気の立ってるサフランライスに

バターを溶かしながら混ぜて

焼いたトマトを潰してまたまたライスに混ぜ込み

香草系やラディッシュを齧りながら、ケバブの肉とともにいただくんですが

これが結構美味でクセになっちゃうんですよ

 

 

そんなワケで サフランもイラン名物のひとつ

山ほど買って日本に持ち込んだこともありましたが

喜んでもらってくれる人もいなくて 

残念んがらほとんど捨てちゃいましたけど

ブイヤベースやサフランライスにしたら 美味しいのになぁ

あと、ザクロも超有名

街頭で搾りたてのジュースを売ってたりします

 

 

これまでの画像は、ネットから探してお借りしたものでしたが

ココからは、我が家にあるイラン土産

 

これはアラビック模様のお皿の飾りもの

典型的なブルーの色と 模様が気に入って買っちゃいました

 

実は、記事のタイトルにした友人が

日本に来た時にくれたお土産

ペルシャっぽいでしょ~(笑)

続いてはペルシャ絨毯

一口にペルシャ絨毯といっても素材や織り方産地によってさまざま

自分が気に入って購入したのは ”ナイン”というイランのほぼ中央の産地で織られたもの

素材は一般的なウールとシルク

白地はシルクなので光を当てるとピカピカに光ります

絨毯の良し悪しは、織り目の細かさなので

品定めをするときは 絨毯を裏返して網目の数を数えるんですよ

 

 

 いずれにしても

新大統領になって温和な政策を取るようにして 

一日も早く経済制裁が解かれ 国民が幸せな生活が送れることを心より願っています

 

ホントは、このこと(経済制裁)については

一言も二言もアレコレと反論したいところなんですが・・・

 

口チャック 口チャックっと(爆)

Comments (2)
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Be Optimistic!

2013-07-17 12:47:15 | 雑感

ここ数日
何度も↑こう自らに言い聞かせています(⌒-⌒; )

というのも、今回の出稼ぎ仕事

当初予定が
5日にPanama の Balboaで乗船して

早ければアンカレージ

またはパナマ運河を通過して
カリブ海側のPanama transitで下船

または先々月と同じコロンビアのカルタへナって話だったんだけど・・・

現地到着直前になって
運河を通過したら
そのままヒューストンまで向かうことに変わって

それでも11日には到着できるだろうって予想してたら

キューバ沖を通過しても
次の貨物が決まらなくなったため

燃料を節約するために
2日ほどエンジンを停めたままで漂ってから

とりあえずミシシッピかヒューストン方面に
向かうことになったとおもったら

船での上陸(下船)には
特別なVISAが必要だともめだし

このままだと不法入国扱いで
到着後、拘束されてから強制退去
うんぬんとバタバタしてたら

ようや積荷先がCorpus Christiに決定

13日に入港してから沖待ちしてるところです。(^◇^;)

その後も早ければ18日には接岸予定だったのが

本日17日の朝の連絡で
20日か21日になっちゃいました(T ^ T)

こちらの責任じゃないのに
下船手続き費用にクレームつけられて
遅延分の拘束代金のネゴが入りそうだし

来週からの香港からシンガポールまでの
仕事も断わざるを得なくなって

プライベートでは
前々から約束してた仲間の選挙応援もできなくなってしまいました。

次々と届く仕事の連絡も、なんとかインマルサット(衛星通信)のFaxやメールで対応しているものの

信用失墜にもなりかねない状況にも!

悩んでも仕方ないので

いまは運命に身を委ねるしかない!って開き直ってるところです。

今回のことで、迷惑をかけている家族や友達、仕事先のみなさんには
ホントウに申し訳ない思いでいっぱいなのですが


反面、逃げ場のない船内生活で

ここしばらくはアルコールも絶って
船内の食事も腹八分目に抑えて

夜はキャビンで筋トレに励んでるおかげで

あまり苦もなくシェープアップもできちゃってるし

つい最近まで気になっていた
血圧に血糖値、肝機能もすっかり改善された感じなんですヨ*\(^o^)/*

あと、イスラム原理主義強硬派の大統領になって
核開発疑惑が問題視され

アメリカに追従した経済制裁で
ここ10年ばかり連絡のとれなくなっていた
某産油国の友人から突然のメールが届き

新しい商談のオファーもあって

やっぱ人生悪いことばっかじやないなぁ~

と感じているところです☆


それにしても今回のハプニングは
なかなか強烈!

あまり周囲の人達を巻き込まずに
なんとか穏便に収まって欲しいと
心から願っている次第です。







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夜間中学校 と バリアフリーを目指す活動について

2013-06-12 19:38:09 | 雑感

 

夜間中学校と聞いて

一般的に どんな印象を持たれるのでしょうか

 

実は、私自身

奈良で暮らすようになって出会った

JOCVの仲間(OB)が、この中学校の教師をしていると耳にして

 

”ふ~ん。 へぇ~、そうなんだ~。変わった中学があるんだな~”

と あまり深くも考えず、夜間高校と同じようなモノくらいにしか考えませんでした。

 

その後、その教師をしているOB仲間が、主宰していた活動の会場として

幾度か夜間中学校に行く機会を得たものの

 

義務教育なのに なぜ夜間中学校が存在し その必要があるのかと

深く考えることもしないでいました。

 

(いまから考えると、あまりの無知ぶりに、羞恥してただただ赤面するばかりですが)

 

 

そして或る日

韓国に駐在していた間

仕事を終えたあとの 唯一の楽しみであったTVで

NHK(ワールドプレミアム)を観ていたところ

 

大好きな番組のひとつであった”知るを楽しむ”で放送された

ある内容に釘づけにされてしまったのです

 

それは

”夜間中学校は僕らのふるさと”という題名のシリーズ

の2作目 ”生きる力を支える言葉”で

あまりの感動に 流れ落ちる涙を拭うことさえ忘れて

画面に見入ってしまうほどでした。

 

番組終了後、それがシリーズで、再放送があることを知り

急いで日本の自宅に電話して

必ず録画しておいてとお願いし

 

その後、シリーズ全編を視聴することができて

ようやく夜間中学校が どんな世界なのかを知ることができたのです

 

実は、この番組を見終わって

自分(私)がどんなことを思ったかというと

 

いまからでも教員免許を取って

夜間中学校の先生になりたい(ボランティアでもいいから)!!!

 

ってことでした

それくらい深い感動を与えてくれた番組でした

 

 

 

私の稚拙な説明では

折角の感動が薄れてしまうかもしれないので

 

よかったらNHKアーカイブスで

ご覧になってみてください。

 

http://cgi2.nhk.or.jp/chronicle/list.cgi?q=%E5%A4%9C%E9%96%93%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1&sd=1&fy=2006&fm=&fd=&ty=2006&tm=&td=&.x=66&.y=22

 

または我が家にDVDとVTRテープもありますから

お気軽にメールでご連絡ください

 

他にも、こちらでも貸出や視聴できるようです(ご参考まで)

http://www.yokohama-rf.jp/shisetsu/rapport/jyoutei/ddoc/ddoc2008-1.html

 

更に NHKの番組の素材ともなった

ドキュメンタリー こんばんはのDVDもあります。(私も持ってますので、ご希望の方にお貸しします)

http://ukky.jimdo.com/%E6%98%A0%E7%94%BB-%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%93%E3%81%AF/

 

あとは映画になった 山田洋次監督の 「学校」(I,II,III)も

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 

http://www.gavza.com/nikoniko/kiyo/kiyo23.html

 

 

さて、実はここまでがマエフリ

本日の記事のコアについて

これからお話させていただきたいと思います。

 

 前述で、夜間中学校の存在を知るきっかけとなった仲間が

この度、意を決して新たな活動を始める決意を固めました。

 

先日、事務局開きの時に、どのようにしてそのような意識を持ったのかを知ったのですが

まず

自分の生徒の中にいた在日韓国朝鮮人のおばあさんが

「私ら外国人だから差別されるのも仕方のないことだと諦めているけど、同じ日本人同士でなぜ差別をするのですか?」

との言葉を受けて 

自分に何ができるだろうかと 長年自問自答していたのだそうです。

 

そして次に

筋ジストロフィー症の生徒でもあり、小尾(こび)さんが主宰する

奈良グローバル教育研究会のメンバー兼サポーターでもあったあった彼が

昨年、悲しいことに病状が悪化して とうとう帰らぬ人となってしまったのですが

 

その彼が生前

さまざまな世の中の矛盾(差別や弱者を庇護できない社会)に対し

政治への参加を常々口にしながらも 

とうとう夢を叶えることができず他界してしまったことから

 

彼にかわって 

自分にその機会が与えられるかチャレンジしてみたいとの思いから

定年までまだ5年の期間を残して教師の職を辞し

バリアフリーの社会(障害、言葉、文字、ジェンダー)を目指す活動を始める意思を固めたのだそうです。

 

 

 

 

この小尾(こび)二郎という人物

 

普段はどちかというと 寡黙で控えめな目立たないタイプの人間なのですが

稀にみる クソ真面目かつ、強い意志を持っていて

その人物を知れば知るほど

敬愛の念を抱いてしまう とても貴重な人なのです。

 

 

また後日、別の記事として取り上げたいと考えていますが

そんな純粋に艇身して世の中を変えようとしている人物がいることを

みなさんにお知らせしたくて この場をお借りしちゃいました

 

 

 

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花は咲く

2012-12-24 18:30:36 | 雑感

実は、いままだイスタンブール滞在中なのですが、

ホテルの部屋にいて、TVから流れる この曲を聴きながら東北の被災地への思いを新たにしています。







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