そうかん日誌 ~Du 11eme arrondissement de Paris

タイトルを「りょうかん日誌」から「そうかん日誌」に変更しました。

寮監職を振り返って(1)

2022-01-28 | Weblog
昨日、私にとって竹友寮で最後の法要となる令和3年度退寮式が無事終わりました。昨日中に大半の寮生が帰省し、今月中には全員が退寮します。

ここに至って、様々な記憶が蘇って来ました。

平成7年3月、春季休業中に、前職の上原元隆先生から業務の引継ぎを受け、4月1日、法堂で初めて寮生の前に立ったのはもう27年も前のことになります。令和3年度の寮生数は26名ですが、当時は62名もの寮生がおり、この人数を一人でどう束ねていくか、あの時は正直途方に暮れました。

寮監という職は、本山でいえば監院、副寺、直歳、維那、知客、講師を兼ねたようなものですが、事務仕事は大学の総務部と連携して行うのでさほど苦労はしません。やはり大変なのは寮生の生活指導とケアでした。

大半の寮生は、寮内の規則をきちんと守り、寮監の言うことも素直に聞いてくれますが、中には横着者や跳ね返りもいるのは、世間のあらゆる集団と変わりません。最近はほとんどなくなりましたが、以前は、暁天坐禅や朝課をサボって出て来ない者を、私が坐を下り、位を立って彼らの部屋に踏み込み、引きずり出して随喜させるなどということもよくありました。私が若い頃には、こういう場合、怖い最上級生が睨みを利かせていて、このような事態は未然に防がれていたものですが、昨今は寮生同士の縛りが甘く、寮監が直接出ることになります。すべて昔の方がいいというつもりは毛頭ありませんが、昨今、時代の風潮として、学生の自治や自浄作用といったものが希薄になっているのは否めないところでしょう。

とにかく寮監一人に対して、寮生の人数が多すぎて目が届かない。目の届かないところで規則違反など様々な取りこぼしがあったであろうことはわかっていても、寮生はそれを寮監に上告(悪い言い方をすれば告げ口)をすることはほとんどないので、例えばその規則違反を子どもから聞きつけた家族の方からの通報によってそれが発覚し、私がご家族に平身低頭で謝罪し、当該の寮生に雷を落とすというようなことも、以前は度々ありました。

そういう一部の横着者に対しては不動明王のような厳しい態度で臨むわけですが、真面目に寮生活に取り組んでいる大半の寮生たちには観音様のような柔和な顔で接したい。しかし、寮監は一人しかおらず、顔は一つしかない。全員の前で話をする時などは、その点で苦労しました。いつも厳しい態度をとっていれば大半の寮生を萎縮させることになり、緩い態度で接していれば、横着者を増長させることになる。たびたび、柔和相や憤怒相を併せ持つ十一面観音を羨ましく思ったものでした。いや、冗談でなく。

在任中の大きな出来事の一つに平成19年の新寮舎への移転がありました。キャンパスに隣接する敷地から、駒沢通りの南側の現在地に移ったわけですが、この時は思いの外仕事が多く大変でした。

新寮舎建設にあたって寄付をお願いする旨の趣意書の作成(この趣意書の内容に関して批判も頂きました)に始まり、設計にあたっては、設計事務所・本学管財部・本学総務部・寮監の4者による打ち合わせを30回以上重ねました。また、新調する仏具、調度品の調達にあたって、総務部と仏具店と綿密な打ち合わせを重ね、引っ越しの際には、法堂・坐禅堂の仏像、仏具などの荷造り等にはすべて立ち会い、その他、食堂や事務室、受付、寮監室等の膨大な荷物の仕分けをして百数十個の段ボールに詰め、新寮舎側に来ては、荷物の受け入れ、置き場所の指定、段ボールの荷ほどきに明け暮れました。これらの作業は大学の春休み中に行いましたが、新入生受け入れの作業もある中、寮監一人で行うのは本当に骨が折れました。

(続く)

(写真は昨日の退寮式のもの)
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