春先からこの方、新型コロナウイルスの感染拡大抑止のため、家にいること、いわゆる「ステイホーム」が推奨されているわけですが、寮生諸君は、毎日、どう過ごしているんだろうか。大学の授業は自宅でオンラインで受け、寮の自宅研修の日課はこなしているとしても(!)、隣の部屋に寮の同期がいて話ができるわけでもなく、食料品、日用品の買い物など、特段の用がなければ自宅から外に出るのもはばかられるとなれば、はっきりいって時間をもて余しているのではなかろうか。どうか自分なりに工夫して、今の特別な時間をできるだけ有効に使うようにしてください。
私は現在、基本的に自宅で寝起きをし、寮には車で通って来ています。寮生の皆と寮生活を送っている間は、夏季休暇、春季休暇などを除いて、日曜も含めてほとんど自宅で寝起きをすることはないわけですが、その反動と言ってもいいくらいに思いがけず家での時間が増えたので、妻は仕事に出ていることもあり、ここのところ自分で料理を作ることが多くなりました。
写真は、この2ヶ月ほどで作った料理を撮った写真がたまったので、PHOTOSHOPで1枚にしてみたものですが、我ながら、鶏肉と大根の照り煮、タケノコの土佐煮から、餃子、シウマイ、人参シリシリ、青椒肉絲、棒々鶏、ガパオライス、サルティン・ボッカ、サーモンのマリネなど、随分いろいろ作ったものだ。まあ、妻には家事の手間が省けてしかも美味しいと喜ばれています。
この中で一番難しかったのは、右上の方にあるシュークリームかな。昨年、臘八摂心で頂いた添菜のお金で、全寮生に何個かずつ洋菓子を購入させて頂いたが、あれをきっかけに一度洋菓子を作ってみたくなってな。私が作ったのはカスタードクリームとホイップクリームの2段重ねですが、クリームはさておき、シューがなかなかうまく膨らんでくれなくて困った。
実は私は中学、高校の頃から料理をするのが好きで、お山に上がった時も、アンケートで希望を訊かれて、一も二もなく「庫院」と書いたのだが、結局、大庫院にも小庫院にも転役はされず、安居4年間のうち、伝道部(最近は寮舎の統合で名称が変わっているようだが)、後単行(ごたんなん)寮から法堂、堂行寮を経ながら、飛び飛びで通算2年間は国際部という寮舎にいました。もちろん行く先々で大変有意義な時間を過ごさせて頂きましたが、やはり庫院には行きたかったというのが本音です。
料理を作っているからという訳でもないが、ここ数日はかなり久しぶり(二十年ぶりくらいか)に『典座教訓』を読んでいます。
叢林における典座の役割のこと、米を洗ったり野菜を調理する時の心構えについて、粥や惣菜の具体的な調理法、什物の扱い方、典座職の本質について、苔(椎茸)を干す六十八歳の老典座のこと、有名な阿育王山の老典座との問答、建仁寺の典座のこと(ボロクソにけなしておられる)、喜心・老心・大心のこと等々、あらためてじっくり読んでみると、誠に味わい深い。
中でも今回読み返してみて特に印象に残ったのは、寧波に停泊中の船の中で阿育王山の典座から劇的な学びのチャンスを与えられた道元禅師が、二ヶ月ほどして天童山に掛塔していた折、故郷に帰ることになったかの典座が、禅師が天童山にいるという話を聞いて、わざわざ禅師に会いに立ち寄った時の描写です。
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(以下原文引用)同年七月、山僧天童に掛錫せし時、彼の典座来たりて相見するを得て云く、「解夏し了って典座を退き、郷に帰り去かんとす。適兄弟の老子箇裏に在りと説くを聞き、如何ぞ来りて相見せざらんや」と。山僧、喜踊感激して他を接す。
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道元禅師がご自分の行為として「喜踊(きよう)」(喜びのあまり踊りあがる。非常に喜ぶさま〈漢字海〉)というような言い回しを使って、大変素直にご自分の喜びを表されるのが微笑ましい、といっては大変不遜だが、珍しいと思ってね。憤りの感情を表されることはままあるが。文献を読む際、こういう角度から鑑賞してもいいんじゃないかな。ちなみに「他を接す」の「他」は、現代中国語でも「彼」の意。
私は現在、基本的に自宅で寝起きをし、寮には車で通って来ています。寮生の皆と寮生活を送っている間は、夏季休暇、春季休暇などを除いて、日曜も含めてほとんど自宅で寝起きをすることはないわけですが、その反動と言ってもいいくらいに思いがけず家での時間が増えたので、妻は仕事に出ていることもあり、ここのところ自分で料理を作ることが多くなりました。
写真は、この2ヶ月ほどで作った料理を撮った写真がたまったので、PHOTOSHOPで1枚にしてみたものですが、我ながら、鶏肉と大根の照り煮、タケノコの土佐煮から、餃子、シウマイ、人参シリシリ、青椒肉絲、棒々鶏、ガパオライス、サルティン・ボッカ、サーモンのマリネなど、随分いろいろ作ったものだ。まあ、妻には家事の手間が省けてしかも美味しいと喜ばれています。
この中で一番難しかったのは、右上の方にあるシュークリームかな。昨年、臘八摂心で頂いた添菜のお金で、全寮生に何個かずつ洋菓子を購入させて頂いたが、あれをきっかけに一度洋菓子を作ってみたくなってな。私が作ったのはカスタードクリームとホイップクリームの2段重ねですが、クリームはさておき、シューがなかなかうまく膨らんでくれなくて困った。
実は私は中学、高校の頃から料理をするのが好きで、お山に上がった時も、アンケートで希望を訊かれて、一も二もなく「庫院」と書いたのだが、結局、大庫院にも小庫院にも転役はされず、安居4年間のうち、伝道部(最近は寮舎の統合で名称が変わっているようだが)、後単行(ごたんなん)寮から法堂、堂行寮を経ながら、飛び飛びで通算2年間は国際部という寮舎にいました。もちろん行く先々で大変有意義な時間を過ごさせて頂きましたが、やはり庫院には行きたかったというのが本音です。
料理を作っているからという訳でもないが、ここ数日はかなり久しぶり(二十年ぶりくらいか)に『典座教訓』を読んでいます。
叢林における典座の役割のこと、米を洗ったり野菜を調理する時の心構えについて、粥や惣菜の具体的な調理法、什物の扱い方、典座職の本質について、苔(椎茸)を干す六十八歳の老典座のこと、有名な阿育王山の老典座との問答、建仁寺の典座のこと(ボロクソにけなしておられる)、喜心・老心・大心のこと等々、あらためてじっくり読んでみると、誠に味わい深い。
中でも今回読み返してみて特に印象に残ったのは、寧波に停泊中の船の中で阿育王山の典座から劇的な学びのチャンスを与えられた道元禅師が、二ヶ月ほどして天童山に掛塔していた折、故郷に帰ることになったかの典座が、禅師が天童山にいるという話を聞いて、わざわざ禅師に会いに立ち寄った時の描写です。
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(以下原文引用)同年七月、山僧天童に掛錫せし時、彼の典座来たりて相見するを得て云く、「解夏し了って典座を退き、郷に帰り去かんとす。適兄弟の老子箇裏に在りと説くを聞き、如何ぞ来りて相見せざらんや」と。山僧、喜踊感激して他を接す。
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道元禅師がご自分の行為として「喜踊(きよう)」(喜びのあまり踊りあがる。非常に喜ぶさま〈漢字海〉)というような言い回しを使って、大変素直にご自分の喜びを表されるのが微笑ましい、といっては大変不遜だが、珍しいと思ってね。憤りの感情を表されることはままあるが。文献を読む際、こういう角度から鑑賞してもいいんじゃないかな。ちなみに「他を接す」の「他」は、現代中国語でも「彼」の意。