初春のお慶びを申し上げます。
一月も4日が過ぎ、もうお仕事初めの方も多い事と思います。
日本のお正月は静かに、除夜の鐘の音と共に明けていく。
ご近所の神社でまずは手を合わせ、一年間の感謝と来るべき一年間の無事を祈る。
この「粛々」とした「祝いの佇まい」が私は大好きです。
<室礼三千>教室の室礼 ブックマークからHPをご覧下さい。
両親が健在の頃は、28日に餅つきをして30日にお正月の準備をしていました。
仕事から帰って来て、夕飯を食べてからの餅つき。
父の「几帳面さ」VS母の「曖昧さ」のバトルで一年の〆となりました。
毎年、この日が私も妹も本当に憂鬱で仕方がありませんでしたが、搗き立ての柔らかなお餅を
味見出来るのが楽しみでもありました。
1998年のお正月、注文した鏡餅を見ながら父は「又、作れたらいいけどな・・。」と申しておりましたが
その年の3月30日に母は天国へ旅立ちました。
もう、自宅で餅つきをしなくなってから10年以上の歳月が流れてしまいました。
<室礼で習った鏡餅> <竈の神様>
お正月は元来、年神様を迎えて旧年の実りと平穏に感謝し、新年の豊穣と平安を祈念する行事でした。
「でした。」・・と過去形にするのは少し寂しいですが、現在はあまりそのようには伝えられていませんよね。
でも、今こそ正月のお祝いの「意味」を考えても良いのでは・・。
ここ数年の不景気には、この古来からの正月の在り方を心に秘めることで「再生」が出来るような気が致します。
お正月の「鏡餅」は神へのお供え物であり、ご神体そのものと考えられていました。
神へお供えする食事は御節料理、神から分け与えられる「魂」がお年玉です。
門松は神の依代、しめ縄飾りは災いが家の中に入らないようにする為の結界を表します。
ウフっ
何てロマンティックなんでしょう
「日本の美しさ」はこうした一つ一つの「想い」で裏づけされているのです。
お正月には「鏡餅」を飾りましょう
だって、お餅には稲の霊が宿り食べると生命力が与えられるハレの日の食物ですもの。
家の中心に飾ることで、繁栄と健康を祈ることが出来ます。
<古い留袖を暖簾にしたもの>
我が家の玄関の正面では、この暖簾の松と鶴がお正月にはお客様をお迎え致します。
松には神様が降りてきますように。南天は難が転じて福が訪れますように。
そして、柳に紅白のお餅を沢山つけて一年間の豊作を祈る。
語呂合わせのようなお節料理も含めて、「子々孫々」と受け継がせたい「愛情」の想いが込められている事を知ると、
大晦日から元旦は家族と共に「感謝」の想いで過ごしたいと思いますよね
「日々」が何らかの「縁」で成り立っています。
私のように商売をしていますと、それは心からの実感。
毎日が「新しい事との出逢い」・・又そうでありたい、と私は願っています。
今年の年賀状には「我逢人」(がほうじん)と書きました。人と人との出逢いの尊さを三文字で表した禅語です。
曹洞宗開祖の道元様が、中国で念願の師に出会った時を「まのあたり先師をみる。これ、人に逢ふなり。」という
言葉にしたそうです。
どんな出逢い方でも、それが人との出逢いだけではなく「物」や「文化」や「場所」だとしても
必ず何かを「心」の糧として生み出すのでは・・と、この言葉に出逢って感じ入りました。
「出逢いこそ人生の命」・・皆様との出逢いが私の人生の一端を担って下さっている・・そんな「感謝」を込めた
私の一年の始まりとなりました
自宅のお正月室礼 SHOPのお正月
今年は梅・松・柳に紅白のお餅を付けて
とってもシンプルですけど梅のつぼみが咲くと雪化粧のよう。