1945年8月9日、ソ連は「日ソ中立条約を破って」満州に侵攻した。
ソ連の満州侵攻には、必ず括弧付きで「日ソ中立条約を破って」と記述されたり語られたりしている。
その4年前の1941年6月「独ソ不可侵条約を破って」ドイツは、ソ連領内に進出し、独ソ開戦に至っている。条約は破るためにあったようなものだ。
しかし、日本も破ろうとしていた時期があった。
カントクエン(関東特別演習)として、1941年の7月から数回にわたり、約60万人の兵士を満州に大動員した。なぜか。
ドイツが勝ち続ければ、ソ連軍の戦力はそちらに回り、極東の戦力は薄くなるはず、そこを狙って、ソ連に突っ込むためである。
日ソ中立条約は、その年4月に結ばれている。日本は、もちろんそれを「破って」ソ連に攻め込むつもりだった。
しかし、その後のドイツの情勢が悪くなり、対ソ連戦は中止となった。
条約なんて、ある程度の抑止力になりこそすれ、とことん信ずるものではない。
日米安全保障条約だって、今は大した情勢ではないから守る姿勢を「見せて」はいる。
が、アメリカが中東もしくは欧州と戦争を始めて情勢不利な場合、
中国かロシアが日本に押し寄せてきたら、米軍はすたこらさっさと本国へ逃げてしまうだろう。
ソ連の満州侵攻の際、関東軍がいちはやく逃げたように。
最後まで守ってなんてくれるものかと、私は思っている。
日本人は誠実で人を信じやすい。ポチみたいに盲信してはいけない。
カントクエンの頃の狡猾さ、したたかさをもって、のらりくらりと諸外国と“平和交渉”にあたってほしい。
素人の私でさえそう考えるくらいだから、頭のおよろしいお偉がたは、とっくのとんにご承知のうえだと思うけれど。
これは3年前に書いたブログの再掲である。
今は、なおのこと、北とあんな子どもみたいなやり取りしかできない米。
自分たちは、何千キロも離れているから、挑発行為をしているが、
信用できない。
素人の単純な疑問なのだが、大戦前は世界じゅうから嫌われていたドイツと組み、
今は、世界じゅうから愛されていない米と組むのは、なぜ?
どうしてもっと中国と宥和してこなかったの。
私だって、今の首席は大嫌いだよ、何人も人を殺してきた顔してるし。
時代錯誤の覇権主義もいただけない。言いたいことはいっぱいある。
そこは、大人になって、ご機嫌取り結ぶのが外交ーーというものでしょう。
小国日本は、憲法9条あってこそ、尊敬もされてきたのだ。
タイの山岳地帯に行ったとき、姉が「満洲では、よく立ち葵が咲いていたのよ」と言った。
ボケた写真でゴメンナサイ。
火の天を咲きのぼりゆく立ち葵 ソ連侵攻のあの年の夏
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