山
リルケ
富嶽三十六景といい、富嶽百景という。
画家はただひたすら一つの山を描いた。
描いてはやめ、やめては描き、
三十六回、百回、描いたのだ。
彼はこの不思議な火山に対(むか)った。
幸福にあふれ、さまざまの試みを計量し、ふたたび途方にくれて。
モティーフの山は
常住あらゆる美をあらわした。
日々のかがやきに姿をかえ、
たぐいない夜ごとのころもを
何の惜しげもなくぬぎすて、
一瞬に、一つのすぐれた画面を反故(ほご)にし、
形から形へ、無限の変化をならべてみせた。
非情。広漠。無心。思無邪。
そして不意に、山は
奇蹟のように叡智をひらめかし、
家の軒端や樹間や波まから、
ありとあらゆる間隙から、秀麗に、そびえていた。
(大山定一訳)
葛飾北斎の絵を、ライナー・マリア・リルケが詩にしていたなんて!
東都浅草本願寺
本所立川
武陽佃嶌(佃島がこんなに小さかったとは。今は子の家族が住む)
五百らかんさざゐ堂(期日前投票で載せた五百羅漢寺)
(本物からの写真ではなく、版画屋のネットより)
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リルケ
富嶽三十六景といい、富嶽百景という。
画家はただひたすら一つの山を描いた。
描いてはやめ、やめては描き、
三十六回、百回、描いたのだ。
彼はこの不思議な火山に対(むか)った。
幸福にあふれ、さまざまの試みを計量し、ふたたび途方にくれて。
モティーフの山は
常住あらゆる美をあらわした。
日々のかがやきに姿をかえ、
たぐいない夜ごとのころもを
何の惜しげもなくぬぎすて、
一瞬に、一つのすぐれた画面を反故(ほご)にし、
形から形へ、無限の変化をならべてみせた。
非情。広漠。無心。思無邪。
そして不意に、山は
奇蹟のように叡智をひらめかし、
家の軒端や樹間や波まから、
ありとあらゆる間隙から、秀麗に、そびえていた。
(大山定一訳)
葛飾北斎の絵を、ライナー・マリア・リルケが詩にしていたなんて!
東都浅草本願寺
本所立川
武陽佃嶌(佃島がこんなに小さかったとは。今は子の家族が住む)
五百らかんさざゐ堂(期日前投票で載せた五百羅漢寺)
(本物からの写真ではなく、版画屋のネットより)
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北斎の有名な言葉は90歳のとき「天がわしをもう五年間だけ生かしておいてくれたら、私は真の画家になれただろうに」
北斎の三女も版画家で
葛飾応為(お栄)『吉原格子先之図』は素晴らしい版画です。
https://www.youtube.com/watch?v=L71ElQKfTA8
北斎の美人画はお栄が描いたのではないかと。
また、画家が描いていく過程の喜びや失望をリルケは、言葉によって表現している気がします。
応為の格子先之図?も、とっくり見せていただきました。
光と陰の表し方が、とても近代的で、版画絵とは思えません。
素晴らしい作品ですね。
ワンスアポンナタイム。
富士山と八ヶ岳が背比べをしました。
決着がつかないので、神様が判定に乗り出しました。
樋を両者の頭に乗せ、中間点に水を流しました。
すると富士山の方に流れました。八ヶ岳の勝ちです。
この判定を気に入らない富士山は、八ヶ岳を殴りました。
八ヶ岳は粉々になり八つの峰となりました。
幼稚園時代に保母さんから聞いた話です。
八ヶ岳ちゃん、可哀想にね。
でも、山登りさんたちには、
八ヶ岳のほうが変化に富んでいて、
愛されているようですね。
甲府へ桃の季節に旅をしたとき、
どこかの丘に上がったら、富士山が見えました。
裾野までは見えませんでした。
それはそれで風情がありました。
驚きですが、浮世絵がヨーロッパの画家に影響を与えたのは知られるところですが、その北斎の「神奈沖浪裏」の、あの有名な波の絵は、房総の彫師、波の伊八の欄間彫刻からだったとか、お聞きました。
現存する欄間彫刻のリアルな臨場感は、確かに芸術家にインスピレーションを与え得るものだったでしょう。
房総の鄙びた寺社に、結構ありますので、見られる幸せに感謝です。
素晴らしいものは、広い範囲でこうして輪廻というか、影響を与え合っているのですね。
2016年秋に開館した「すみだ北斎美術館」へ行ってみたいと思っています。
ジャポニスムで西欧の名だたる画家たちが影響を受けたことは、知っていましたが、リルケも見ていたのですね。なんだかうれしくて。
リルケも詩を書きながら、一瞬にすぐれた詩句を反故にしたりしていたのでしょう。
あの最も有名な、教科書にも載っている波間の富士の絵は、「神奈沖浪裏」というのですか。
欄間彫刻は三次元ですものね、北斎は、二次元から三次元の世界を目指したのでしょう。
もうご覧になっているのですね。
次は、「すみだ北斎美術館」へ?
もっと元気だったら、ご一緒できるのに、残念です。
また、ブログでご紹介ください。
→「神奈沖浪裏」、、、、間違いでした。
訂正→、「神奈川沖浪裏」でした。m(__)m
失礼いたしました。
でも、どなたも、あの絵だ、って、
お分りになってますとも。
「神奈川沖浪裏」ね、
覚えたつもり。
だけど、きっと忘れます。
この頃、忘れることに自信あります。
東海道五十三次でしたが当時の生活が見られて絵心がない私には歴史を見る様でとても興味深いものでした。
あまり、よくは知らないのですが、
広重のほうが、生活感があるような気がします。
北斎は、絵画!という感じ。
こんな言い方で通じますかどうか。
ただ、広重も絵画的にするため、小名木川などは掘り川なので、ほんとは真っ直ぐですが、蛇行しているように描いているそうです。