蓬 窓 閑 話

「休みのない海」を改題。初心に帰れで、
10年ほど前、gooブログを始めたときのタイトル。
蓬屋をもじったもの。

行き暮れて

2021年04月02日 | 言葉の散歩道

 

 前回ご紹介した上田三四二の

・ちるはなの数かぎりなしことごとく光をひきて谷におちゆく

 目に浮かぶこの光景、リアルで見たいと思いつづけていた。

 ある時期、名古屋でひとり暮らしをしている母のところに、5日から1週間ほど、よく訪ねていた。

 遠距離介護というはどではなく、ほとんどお話相手だった。二人で一日中しゃべった。

 東京へ帰る日、名古屋駅から新幹線には乗らず、近鉄で大阪へ向かった。

 そこから、なにやら乗り換えて、吉野の山に向かったのだった。

 知らない土地での乗り換えや歩きで、到着したころは、すっかり疲れていた。

 期待の吉野山は盛りを過ぎていて、まばらに咲く桜の山々があるだけだった。

 光をひきて谷におちゆくーー光景は見られなかった。

 

 あれから、十数年経ったいま、

 平忠度の

・行き暮れて木下(このした)陰を宿とせば花や今宵の主ならまし

  の行き暮れてが身にしみるのである。

 いつまでもあると思うな親と健康で、こんなどっちつかずの病いにとりつかれる、とは。

 疼痛のために仕事も辞めた。集中力、持久力が少しずつ削がiれていく。

 QOLは、落ちるばかり。いつまで生きるのだろうと、

 行き暮れて、 いるのである。

 長い一生のうちには、さまざまな事があり、それこそ喜びも悲しみも乗りこえて、

 いま、ここにいる。

 行き暮れて……

 

 

 

・写真がiPadに出ませんでしたので、やり直しました。



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