浜町公園へ行きたかった、もう一つの理由は明治座だった。


まさか、あのビル? 散歩している人に尋ねたら、やはりそうだった。

右手の角になんと「明治座」というお稲荷さん。この辺りは、ちょっと古いものに出会うようだ。
歌舞伎座は、姉が追っかけをしていたので、よくご相伴にあずかった。ときどき、友人にも誘われたり。
最後に見たのが、仇討ちを終えた赤穂浪士が、与力の一行に出会う話だった。帰り際に友人とお茶したが、そこの椅子に座っているのが辛かったことを覚えている。10年も前から、疼痛もちなのだ。
国立劇場も行ったが、明治座へ来たことはない。

明治座を見たかったのは、子どものころダンスを習っていて、東京の明治座へ何人か出ることになった。夜行列車で帰って来てからの母は、二言目には、明治座で踊ったんですの、と言っていた。
明治座がどんな姿をしていたかも覚えていないが、こんなビルではなかった。
(ネットより借用)
きっとこんなふうだったのだろう。
ポスターが何枚も貼られたウィンドウがあったが、どうせ来れないのだし、疲れてきた。

遊歩道の椿?が華やかだった。

懐かしい建物。

ビルの谷間の家。いえ、こうした家の谷間にビルが建っていったのだ。

湾曲した駅。

帰りの列車は、あっという間だった。ここも湾曲しているが、青空が見える。


まさか、あのビル? 散歩している人に尋ねたら、やはりそうだった。

右手の角になんと「明治座」というお稲荷さん。この辺りは、ちょっと古いものに出会うようだ。
歌舞伎座は、姉が追っかけをしていたので、よくご相伴にあずかった。ときどき、友人にも誘われたり。
最後に見たのが、仇討ちを終えた赤穂浪士が、与力の一行に出会う話だった。帰り際に友人とお茶したが、そこの椅子に座っているのが辛かったことを覚えている。10年も前から、疼痛もちなのだ。
国立劇場も行ったが、明治座へ来たことはない。

明治座を見たかったのは、子どものころダンスを習っていて、東京の明治座へ何人か出ることになった。夜行列車で帰って来てからの母は、二言目には、明治座で踊ったんですの、と言っていた。
明治座がどんな姿をしていたかも覚えていないが、こんなビルではなかった。

きっとこんなふうだったのだろう。
ポスターが何枚も貼られたウィンドウがあったが、どうせ来れないのだし、疲れてきた。

遊歩道の椿?が華やかだった。

懐かしい建物。

ビルの谷間の家。いえ、こうした家の谷間にビルが建っていったのだ。

湾曲した駅。

帰りの列車は、あっという間だった。ここも湾曲しているが、青空が見える。
お母様、明治座に家の娘が出て踊ったという事が嬉しくて自慢だったのでしょうね^^いいなあ^^
オトメツバキだと思いますが、きれいですね^^
昔の風情のお家もいいですね、ビルに挟まるようなお家も、そうそう、どっちが先?と言うことですよね^^
明治座で踊られたなんて素敵な思い出です拍手!
ビルの谷間のお家、いまも住んでおられるのですね。
地上げ屋の攻撃に遭われたかもしれませんね。
住人の方の意志が感じられます。
お疲れになられたでしょうが、
よき街歩きなさいました。
明治座でダンスを踊られた思い出なんて、
素晴らしいですね。
良い思い出をお持ちで羨ましいです。
バラのような椿ですね。綺麗!
おはようございます。
時々無性に思い出の場所に立ち寄りたいときがありますね。私もまさに昨日がそうでした。
高校時代の友達の家の前に行ってきました。
近くまで用事があったからです。このあたりだろうなと思いながら歩きましたが、50年も前の家があるはずもなく、懐かしさだけを味わい帰ってきました。
明治座も近代的なビルで昔の風情がなくなりましたね?!
昔の子供は、みんなそうやって育てられましたね!
懐かしいー
ありがとー
最近、子供自慢、連れ合い自慢の元気が無くなったようですが、主人の母は96歳で相変わらず好調のようです。
母は、自慢する相手が皆亡くなって、言う人が居ないんだと、今、気がつきました。
最近はネットも見ていないようです。
母が見ていた掲示板の中に、
長い事ブログで、出生自慢に学歴、職歴、嫁、子供に孫、財産自慢、息子の就職も自分の光だと、自慢満々の人でしたが、その内、病気自慢、かかっている病院自慢、医者自慢、何でもかんでも自慢でしたが
目が見えなくなったと言いながら、ブログ更新(音声入力かも) 昨年亡くなりましたが、ブログはそのまま、勿論更新もありませんが、毎日閲覧も100人以上あります。
ブログって、本人しか閉じる人がいなかったら、永遠に表示されるのですかね?
最後の自慢は、遺言を書いた、それが最後でした。
何でこんな話になったのでしょう。
あ、自慢話からでした。
失礼しました。
オトメツバキですか、可愛い名前ですね。
この辺より暖かい感じで、
花々が生き生きしていました。
道幅は広くないのに、新しいビルばかり.
昭和らしき家が挟まれてしまって、面白い光景でした。
浜町は、乗り換え等で降りたことは何度もあるのですが、
ゆっくりと歩いたことがなくて。
暮れに転倒してから
これが最後と行きやすい所から、
プチ・ジャーニーです。
地上げ屋さんの攻勢、すごかったようですから、
ここは、当然狙われたことでしょう。
そう言えば、固い意志を感じます。
小学生くらいですから、大したことないのですよ。
カモメの水兵さんか、月の砂漠あたり。書いたつもりが消えてしまいました。
バラかツバキかと、私も思いました。
オトメツバキらしいです。
地下鉄を使っていると、
地下から地下へと、もぐら生活が多かったですね、
意外に、地上を知らないのです。
今回は、ゆっくりと見てきました。
ご友人の家ですか、よほど強い絆のあった方なのですね。
でも、まだ懐かしい部分があって……
明治座も昔の建物のままなら、私ももっといろいろ思い出せたかもしれません。
そう、私も自慢して歩きたかったのに、我が子たちは、高速道路を自転車で走り、警察から電話があったり、もぉ、いろいろ。
年寄りは過去しかないから、子どもの話になるのですねぇ。
ご両人とも、90半ば越えで、すごいですね。
私の両親も、90半ば前でした。
痛いままなら、そんなにン長生きしたくないのですが。
へぇ、そんな自慢ばかりの掲示板に、皆さん、興味があるのですか。
陰がないところが、いいのでしょうね。
お母様も、90過ぎて、PCなさって、すごしですね。
私は、このごろ辛くて、やめようかな、と思いながら、
年が明けたらしょうと思っていたことが1日延ばし。もう3か月経ってしまいました。
随分前に亡くなった友人のブログもそのままです。
お子さんも知っていますが、本人が辛がっていたところは、消してありました。
自慢ばかりするので掲示板は、次々に居なくなり、
最後の1〜2年位は、1人で毎日書いていました。
根気良く!
ブログの方は、本名で知り合いも多く、なので、無糖な自慢はできなかったので、愚痴っぽい自慢!
私も、母が見ている掲示板を覗いていて、
3年くらい経った頃、アレ、この方もしかして?
やはり!
間接的によーく存じてる方で驚きました‼️
なので、自慢自慢の内容を知っているだけに
映像を見ているようでした。
勿論、ご本人は知らぬが仏、私もニックネームでした。
つゆさんの痛いのは回復の出来ないものなのですか?
痛みに強い方と弱い方がいるようですが
私はとても痛みに弱いので、痛みの辛さわかります。
お台所出来ないつゆさんに、私の画像見てもらうのは酷な気がします
ごめんなさいね
ここでの興業は有名スターでも一流の舞台です
そこでダンスを披露したことは お母さまにとってもご自慢だったでしょう
あの辺も再開発され劇場も変わりましたね
近くまで行けたら 今度はまた変わった景色と会ってきてください
知っている方だったのですか。
それは、面白いような気がしますね。
私は、友人知人には知られたくないのです。
パカパカ歩いていたのが、シルバーカーにすがりついて歩くのを知られたくないのです。
でもこっそり見ている人がいるかもしれませんね。
疼痛は、入院すること2回、疼痛ジプシーといって、あちこちの医者めぐり。
要支援になれと言われ、2です。
ペインクリニックへ月2回、訪問医師が月2回、療法士さんのリハビリ月2回、ケアマネさんや看護師さんと、
正直イヤになります( ; ; )
この辺りのことは、昔から、よくご存知でしょうね。
半世紀前、東京へ来たころは、千葉から都下へ、まだ北多摩郡なんて言ってたころでした。
田舎でしたねー
こちらへ引っ越してよかったのは、仕事を始められたことです。
浜町も空港へ行くときは、ここまで地下鉄、
タクシーで箱崎へと、よく通りはしたのですが、
明治座のことを思い出したのは、今回初めてでした。
3人で上京して、我が家にしては、母も随分お金を使っただろうな、と今にして思います。
自慢の一つや二つ、元取らなきゃ(笑)
嫁の里は、岡山県の中央部、高梁市なのですが、盆地の駅の近くなのに・・・浜町(はまちょう)です。
寅さんや釣りバカなどの映画の撮影が行われた城下町です。
日本一高い場所にあって、建立当時の天守閣の残っている山城(備中松山城)があります。
今雲海に浮かぶ天空の城としてカメラマンに人気です。
日本のマチュピチュとかで、兵庫県の竹田城が有名ですが、備中松山城は天守閣が残っているなんてほざいていますが・・・
マチとチョウの読み方、私の早とちりだったかもしれません。
千代田区では、そうだということを、全国的なことと勘違いしたようです。
実家が引き揚げてきた当初は、マチでしたが、
チョウに変わりましたし。
ちゃんと調べると面白いでしょうが、
もうダメですね。
天空の城って竹田城かと思っていたら、
最近別の名前が聞こえてきて、
? と思っていました。
観光で人を呼べそうだと、お役所も張り切りますからね。