呂さんとはじめて出会ったのは2011年5月16日のことでした ^^
東日本大震災でおおきな支援をくださった台湾のみなさんにお礼が言いたくて台北に行きました ^^
たまたまある旅行会社が「 台湾鮎釣りツアー 」を募集していたので「 師匠 」といっしょにそのツアーに参加いたしました ^^
ツアーといっても参加者はたったの三人。 現地の大勢の釣り師たちがガイドをしてくださったのですが、そのなかのひとりが呂さんでした ^^
台湾のみなさんはとてもやさしく、いろんなところで「 がんばって 」と声をかけてくださり、わたくしたちにとても親切にしてくださいました ^^
このとき呂さんとはあまりおはなしをすることもなかったのですが、「 じょーずな人やなぁ 」と感じたことを覚えています ^^
その翌年も台湾に行きました ^^
「 あらため 」もいっしょでした ^^;
このときはふたつのグループがアテンドしてくださいました ^^
ひとつは競技中心に活動しておられるグループで、もうひとつは呂さんが会長を務める釣りクラブ「 追星会 」でした ^^
その後も何回か台湾に釣りに行きましたが、それからはずっと呂さんがつきあってくださいました ^^
いつも空港まで迎えに来てくださいました ^^
いろんな川に行きました ^^
いっしょに釣りをして…
ごはんをたべて…
たのしい時間を過ごしました ^^
「 石川さゆり 」を口ずさみながら200キロ以上で高速を飛ばし、縫うようにクルマを追い越していく呂さんには閉口いたしました ^^;
いつの間にか呂さんの家に泊まらせていただいて遊び回るようになりました ^^;
そんなあるとき呂さんの部屋を見せていただいたのですが… ^^
おびただしいかずの仕掛けと…
まるで釣具店のような品ぞろえには腰が抜けるぐらいびっくりしました ^^;
呂さんも毎年のように日本に来られました ^^
時間が合えばいっしょに竿を伸ばしました ^^
朽木や廣瀬…
古座川に…
日置川や…
足羽川など…
いろんな川に行きました ^^
呂さんはとても行動力のある方で、自分一人でレンタカーを運転し、福井や和歌山、四国や九州など、わたしも行ったことのない「 名川 」を釣り回っておられました ^^
釣り道具の買い物に来られることもありました ^^
いっしょに偏光グラスを買いに行ったり… ^^
シーズンオフに竿をまとめ買いしたり、タモ作り名人のタモを買いに行ったこともありました ^^
おいしいものもいっしょにいっぱいたべました ^^
台湾料理に… ^^
台湾しゃぶしゃぶ ^^
日本でも…
中華や… ^^
おそば… ^^
おすしに… ^^
うなぎなどなど… ^^
いつもとなりには奥さんがおられました ^^
とてもなかのいいご夫婦でした ^^
呂さんとは6月8日のLINEがさいごの会話になりました。
あたらしいタモを作るのに「 仕付けピン 」を探してほしいという依頼でした。
NFCで買い求め、呂さんに送りました。
「 おカネはこんど会ったときでいいよ 」といっておりましたのに…
わたくしの大好物といっしょに…
代金も送ってきてくれました。
お礼のLINEを送りましたが「 既読 」になることはありませんでした。
電話をしてもメールを送っても連絡が取れず、呂さんに「 大丈夫? 返事ください 」とハガキを書いたところ、お嬢さんからかなしい知らせが返ってきたのでした。
6月18日、台北の「 福山 」というところに釣りに行って、川に流され、発見されたときにはすでに息絶えていたということでした。
亡くなったのは朝の8時ごろだったそうです。
呂さんからお菓子とおカネが届いたのが6月18日の午後でした。
律儀なひとです。
年取ったら冬は台湾に行って温泉めぐりして、夏は呂さんといっしょに日本でのんびり釣りをしようとおもっておりました。
もうそれも叶わなくなりました。
台湾の葬儀のしきたりはよくわかりませんが、今日7月18日がお葬式だそうです。
さようなら。
根掛かりはんの対応で大事な人と察知しました。
これからの見本となるような方、
台湾日本の友好の架け橋、笑顔が好印象のダンディ
ご冥福をお祈りいたしますm(__)m
今年も、一緒に鮎釣りするはずでした。
Yahoo!ニュースにて、フルネームまで出てて、それが真実なんだ、とショックな1日でした。
事故は、自分が起こすつもりもなく、とは理解しますが、残された側は、無念の死を受け入れるのは、辛く苦しく、、
これ以上、趣味での訃報は、聞きたくない、、
呂さんの雄叫びとそれを嬉しそうに眺める奥様・・・
忘れません。
もうこんなかなしいことはごめんです。