尖閣諸島事件、中国への対応と世界への対応
戦々恐々とするうろたえる日本
今回の尖閣諸島対立問題。中国に一方的に押し切られて日本が何もできない。問題が大きくならないように戦々恐々としている。羊の国。中国はさらに最大限権益を得ようと日本の弱腰を突いてくる。そして世界に対しても、自分の正当性を機会あるごとに主張している。しかし日本(の政治家)は、中国を刺激することを恐れて世界に対してさえも何もいえない。ひたすら問題が忘れ去られて熱がさめるのを、怯えながら待つだけ、手をこまねいているようにしか見えない。世界から見たら、おどおどしている羊マインドの国にしか見えないだろう。むしろ、中国の主張しか聞く機会がない世界の人々にとっては、日本が悪いのだと、思われてしまうだろう。本当に日本に主権国家としての自覚はあるのだろうか?
なぜこうなのか?
日本人の感性。
今回の問題で、報道番組等をみていると「あんなに仲良くやってきたのにどうしてこうなってしまうのだろう」と消沈している意見を聞く。こちらが仲良くしようとしているのにどうして次からつぎへと日本を非難するのだろう。という声を聞く。それは、日本国内では、助けあい譲り合っていくのが当たり前のように感じるが世界ではそうではない。海に囲まれた日本で育った人には違う相手を理解する能力がどうしても欠如してしまうのだろうか。自分がこうだから相手もこうだと思ってしまうのだろう。国際的な感覚が欠如しているといわれる所以か。
中国人の感性
中国のような大陸国家、他民族と陸で国境を接している国では、生き残るすべを知っている。
日本人の気持ちとしては、ちょっと譲っても仲良くすることが最優先事項であるが、それは日本人だけで通用する話ではないだろうか。
中国大陸で譲り合いなんてやってたら、そんな民族は、とっくに侵略されて、滅んでいたことだろうと思う。
中国は、そういう経験を歴史的に学んできた。だからいざというときは、ありとあらゆる手段を使って国益を守るという習慣が身についている。それが今回に限らず、中国の対応の基本になっていると思う。欧米や日本から散々ひどい目に合わされてきた歴史がある。中国に有るのはそういう同じ轍を踏んじゃいけないということを学んできたのだから、当然だと思う。日本が中国に対して70年前にやってきたことが今日本に跳ね返って来ているのではないだろうか。中国の対応は当然なのだ。日本人はそれをなかなか理解できない。それも仕方がないことだろうと思う。しかし今回学習できたのではないか?
国益が最優先
大陸的な考え方では、国益のために仲良くもするし、国益のためにはあらゆる手段を尽くして、相手をやっつける。国益が優先なのだ。日本人のように人間関係や仲良くすることが、最優先事項ではない。国益を確保する手段のひとつが、仲良くするということなのだ。互恵関係というが、それは、またはウィンウィンの関係であって、ウィンがなければ、すなわち相手の利益で自分の利益が損なわれるならば、仲良くはしないだろう。ここが「譲っても仲良く」という日本人の感覚とまったく違うと思う。仲良くすることは、国益のための手段に過ぎない。(第2優先事項であって、少なくとも第一優先事項ではない)そういうことをお互いやるのが当たり前の感覚である。こちらが譲れば、しっかり分捕って、「ああ日本はなんていいやつだ」となって、仲良くしてくる。分捕るために仲良くしてくる。よく言えば国益に沿って仲良くもするし、主張対立もする。仲良くするのは、国益の為の手段でしかない。そういう心情を、理解できるようにならなくては、世界の中で通用しないのではないか。
中国国内の事情
中国の強行派に対する配慮も相当大きいと思う。そのために日本との関係改善を急げない事情もあるようだ。反日デモも繰り返されている。少々の反日デモは中国にとって都合の良いことかも知れない。しかし反日デモが常習化し、デモをすることに慣れっこになって人民の権利意識につながれば、中国にとっても穏やかな問題ではないだろう。それがいつ政府に向かわないとも限らない。反日デモは最初のうちは、日本企業の打ちこわしなど日本や日本企業が犠牲になってしまうかもしれないが、それによって、人民の権利意識が目覚め、デモが、人民の権利を獲得する手段になることを学習する機会を提供することになることもあるだろう。そうなれば、民族問題を抱える中国にとっては大問題だろう。だから中国も一方的に反日デモを野放しにはできないだろう。日本はそういうことも戦略的に考えながら布石を打っていくべきだ。日本政府は、中国当局が反日デモを抑えてくれることを「すがるような気持ちで期待してる」ようにしか見えない。「こういう状況であればこうする。」「ここまでは何もしない」とか、そういう戦略がまるでないように見える。何かが起きてから慌てて場当たり的な対応をしているようにしか見えない。ここは戦略国家中国を見習うべき。
対立時こそ布石を打つチャンス。
対立している時こそ日本にとってもチャンスではないか。こういうときに、尖閣諸島に保安官を常駐させるとか、対立ついでに布石を打っていくべきだ。今回の一件でもお分かりと思うが、中国はこちらが譲歩しても、次から次へ主張し、非難し、要求して来る。こちらが、譲歩したのだから、相手も譲歩するだろう、あるいは相手もこれ以上追及しないだろうなどと思うのは間違いだということが、今回の中国の対応でわかったと思う。こちらが譲れば、相手はもっと引き出せるだろうと要求を強めてくる。戦略なしに譲れば、とられるだけなのだ。日本は更に国益を失うだけなのだ。そして中国が国益を獲得する。中国の立場で考えれば当たり前だ。そうであれば、こういうときこそ布石を打っていくべきだ。理由は、良好な関係のときにこのような布石を打ったら、関係が悪くなるが、関係が悪いときであれば、どうせすぐには、よくはならないのだから。こちらもどんどん手を打っていくべき。互いに歩み寄らなければ相手の国益にならないということを示すべき。報復合戦のような様相を呈してくるが、それは覚悟するしかない。(交渉ごとと割り切ればよい。)世界を見ていればそういう理屈で各国が動いているのが容易に分かると思う。開戦の手前になるぐらいの覚悟だけはしておくべき。そこまで覚悟しないのであれば、最初からやるなと言いたい。関係がよいときには、協力して、いい関係を作り、運悪く関係が悪くなったとしてもそれはそれで割り切って、領土確定の布石を打っていけばいい。世界にはそういう対立は山ほどあるのだから、そんなことに一喜一憂していてもしょうがない。
そういうしたたかさを日本は、もつべきだ。季節はめぐるのだから、冬のように関係が冷え込んだら、春を待てばよい(努力は怠らないで)。
囲碁や将棋のたとえ
囲碁や将棋で言えば、相手は、どんどん手を打っているのに、こちらは、何もしないでパスしてばかり。相手が、手を打ったら、こちらも手を打つ、それが将棋や囲碁のルールだろう。それと一緒ではないか。そのぐらいの度量が必要だ。いつまでも盤面をオープンにしておくから、争いが生じる。手を打って早く盤面を埋めてしまえば、それ以上要求しようがない。それ以上悪くなりようがない。あとは、じっくり関係改善するしかないだろう。表向きは努力するが、内心時が解決するだろうと思っていていいのではないか。どうしても領土を取るつもりなら、実力行使、すなわち戦争しかないのだから。それが、満州事変や第2次世界大戦などの過去の戦争歴史そのものだったのではないか。いつまでもオープンにしておけば、将来日本の国力が相対的に弱くなったとき、必ずや中国が上陸するだろう。民間人が感情に任せて上陸し、そのまま居座りやがて中国軍が上陸するシナリオだろうか。
世界に対して堂々と説明できない日本政府
なぜ、世界の国々や人々が、正しく理解できるような証拠を示して説明しないのだろうか。ビデオは動かぬ証拠である。日本の政治家は国会などでは、すき放題言っているにもかかわらず、世界に対しては、何もいえない。信念理念も発信できない。与野党で論戦しているような(調子で)こと(意味不明)は世界に向かっては言えない。中国は、中国として堂々と世界に対して説明している。そして日本を非難している。日本の政治家は、中国の反発を恐れて、何もいえない。そしたら世界の人々は中国の主張を信じるしかないだろう。当たり前のことだと思う。日本の政治家はきちんと世界に知らしめる努力を怠っている。それだけの信念と自覚を持ってないということだろう。説明をしなければ、世界は日本が悪かったのだと思う。ヴィデオを隠すのは日本が悪かったのを世界に対して認めているようなものだ。世界にきちんと論理的に説明出来てこそ国益にかなうことだろう。日本がきちんと、論理的な証拠に基づいて世界に説明することによって、中国がどういう基準で行動する国なのか、各国が正しく認識してもらえるのではないか。きちんと客観的事実に基づいて説明すれば中国の中であっても、日本の対応を理解する人が
出てくるのではないだろうか。国ばかりを相手にするのではなくて、国レベルで対立があったとしても、相手の国に暮らす人々に説明していくことも重要だと認識する必要があると思う。日本政府は、中国政府に気を使っているだけで世界を意識する余裕もないし、中国国内の人々にも意識を向ける余裕がないようだ。
日本の弱腰を見据えてつけば中国の国益にかなう。
中国はあらゆる機会を捕らえて世界に向けて自国の正当性を発信している。日本は2国間で穏便に済まそうとするあまり何も主張しない。そういう精神的な弱みを見すえれば見据えるほど、中国は突いてくる。中国の国益にとっては当たり前だろう。日本の弱腰をつけばつくほど、中国の国益につながるということを学習させてしまっているのが、日本の政治家の態度であると思う。中国と意見衝突してでも日本の行動が論理的であることを世界に向かってきちんと説明納得してもらえれば、中国の国益にならないことが理解され、考え方を変えていかざるを得ないのではないか。少なくとも今の日本の行動は、触らぬ神にたたりなしの隠蔽思考で、問題に対して蓋をしているだけ。世界からも理解されない。だから世界と共同歩調を取れない。ただ一国孤立して、日本が悪者という理解が中国のしたたかな戦略によって、世界に植えつけられるのが落ちではないだろうか。
中国と日本以外の問題
中国と問題を抱えている国はたくさんある。
フィリピンはアメリカ駐留軍を追い出した瞬間に島を占領されてしまったではないか?力(武力)のない国はそうなのだ、それが世界の現実だ。ベトナムを見てみると、ベトナムの海岸線のすぐ近くまで、中国の領海になっている。また、ノーベル平和賞の問題でノルウェイとの問題もしかり。中国の活動家劉暁波(りゅうぎょうは)氏にノーベル平和賞が決まっても身柄を拘束し続けて出席させないとか、各国に欠席を要請したり、他のあらゆる手段を使って、働きかける。普段から、日本がきちんと日中間で起きた問題を世界に説明しておけば、こういうときにすぐに中国に対する認識を各国と共有できるだろう。そのことが、中国の態度を世界のルールに従わせる、有効な方法だと思う。しかし、こういうことに対して気をてらわず実行してくる中国は、一方で行動力のある国だと思う。さすがに世界の批判をかったようだが、日本の政治家はこういうところを少しはみならったほうがよいのではないか。
生物本能
話は飛ぶが、動物の世界での縄張り争いも熾烈だ。最近みたTV番組の中で次のような趣旨のことが述べられていたと思う。
「縄張り争いは、生物の本能、喧嘩してどちらかが負けないと決まらない。縄張りの確保は種の保存にとって最重要事項である。」そのために動物や昆虫は戦いを繰り返す。人間もその本能から未だ逃れられていない。だから、他の揉め事よりもより感情的に反応すると感じるのは自分だけではないだろう。領土問題がどれだけ危険な問題かがわかるような気がする。実行支配を崩さないよう注意深く対応することが必要と思う。オープンにして置くといつか取られると思う。
蛇足。
船長が、酔っ払っていたという話はどこへ行ったのだろうか。ぶつけたこと自体は、船長が酒を飲んで大胆な行動に出ただけのことなのではないだろうか。そんな酔っ払い行為で、国同士が喧々諤々の状態になるのは、やくざの喧嘩と一緒ではないか。今回の問題が、酔っ払い行為という実にくだらない原因であることを世界に示せばよかったのではないだろうか?そう言う客観的な証拠があって、酒気帯び操船で逮捕ということになれば、取るに足らないことということでクローズしてしまえば良かった。本当に酔っ払っていたとしたら、海上保安官もそういう証拠を持っていないのだろうか?海上保安庁が、そういう客観的な証拠をいつでも取れるように準備をしておくことが大切と思う。アルコール検査したのかな?今回の問題は逆の立場であれば、銃撃されかねない。しかし日本は銃撃はしてはいけない。しかし実力で阻止しなければならない場合も出てくるだろう。今後のために警備艇は体当たりされても大丈夫なようにしておけばいいのではないか?警備艇を岸壁代わりに使えばよい。そして、ぶつけられても細かいことを気にしないで、実効支配を続けることに注力したほうが良いと思う。
戦々恐々とするうろたえる日本
今回の尖閣諸島対立問題。中国に一方的に押し切られて日本が何もできない。問題が大きくならないように戦々恐々としている。羊の国。中国はさらに最大限権益を得ようと日本の弱腰を突いてくる。そして世界に対しても、自分の正当性を機会あるごとに主張している。しかし日本(の政治家)は、中国を刺激することを恐れて世界に対してさえも何もいえない。ひたすら問題が忘れ去られて熱がさめるのを、怯えながら待つだけ、手をこまねいているようにしか見えない。世界から見たら、おどおどしている羊マインドの国にしか見えないだろう。むしろ、中国の主張しか聞く機会がない世界の人々にとっては、日本が悪いのだと、思われてしまうだろう。本当に日本に主権国家としての自覚はあるのだろうか?
なぜこうなのか?
日本人の感性。
今回の問題で、報道番組等をみていると「あんなに仲良くやってきたのにどうしてこうなってしまうのだろう」と消沈している意見を聞く。こちらが仲良くしようとしているのにどうして次からつぎへと日本を非難するのだろう。という声を聞く。それは、日本国内では、助けあい譲り合っていくのが当たり前のように感じるが世界ではそうではない。海に囲まれた日本で育った人には違う相手を理解する能力がどうしても欠如してしまうのだろうか。自分がこうだから相手もこうだと思ってしまうのだろう。国際的な感覚が欠如しているといわれる所以か。
中国人の感性
中国のような大陸国家、他民族と陸で国境を接している国では、生き残るすべを知っている。
日本人の気持ちとしては、ちょっと譲っても仲良くすることが最優先事項であるが、それは日本人だけで通用する話ではないだろうか。
中国大陸で譲り合いなんてやってたら、そんな民族は、とっくに侵略されて、滅んでいたことだろうと思う。
中国は、そういう経験を歴史的に学んできた。だからいざというときは、ありとあらゆる手段を使って国益を守るという習慣が身についている。それが今回に限らず、中国の対応の基本になっていると思う。欧米や日本から散々ひどい目に合わされてきた歴史がある。中国に有るのはそういう同じ轍を踏んじゃいけないということを学んできたのだから、当然だと思う。日本が中国に対して70年前にやってきたことが今日本に跳ね返って来ているのではないだろうか。中国の対応は当然なのだ。日本人はそれをなかなか理解できない。それも仕方がないことだろうと思う。しかし今回学習できたのではないか?
国益が最優先
大陸的な考え方では、国益のために仲良くもするし、国益のためにはあらゆる手段を尽くして、相手をやっつける。国益が優先なのだ。日本人のように人間関係や仲良くすることが、最優先事項ではない。国益を確保する手段のひとつが、仲良くするということなのだ。互恵関係というが、それは、またはウィンウィンの関係であって、ウィンがなければ、すなわち相手の利益で自分の利益が損なわれるならば、仲良くはしないだろう。ここが「譲っても仲良く」という日本人の感覚とまったく違うと思う。仲良くすることは、国益のための手段に過ぎない。(第2優先事項であって、少なくとも第一優先事項ではない)そういうことをお互いやるのが当たり前の感覚である。こちらが譲れば、しっかり分捕って、「ああ日本はなんていいやつだ」となって、仲良くしてくる。分捕るために仲良くしてくる。よく言えば国益に沿って仲良くもするし、主張対立もする。仲良くするのは、国益の為の手段でしかない。そういう心情を、理解できるようにならなくては、世界の中で通用しないのではないか。
中国国内の事情
中国の強行派に対する配慮も相当大きいと思う。そのために日本との関係改善を急げない事情もあるようだ。反日デモも繰り返されている。少々の反日デモは中国にとって都合の良いことかも知れない。しかし反日デモが常習化し、デモをすることに慣れっこになって人民の権利意識につながれば、中国にとっても穏やかな問題ではないだろう。それがいつ政府に向かわないとも限らない。反日デモは最初のうちは、日本企業の打ちこわしなど日本や日本企業が犠牲になってしまうかもしれないが、それによって、人民の権利意識が目覚め、デモが、人民の権利を獲得する手段になることを学習する機会を提供することになることもあるだろう。そうなれば、民族問題を抱える中国にとっては大問題だろう。だから中国も一方的に反日デモを野放しにはできないだろう。日本はそういうことも戦略的に考えながら布石を打っていくべきだ。日本政府は、中国当局が反日デモを抑えてくれることを「すがるような気持ちで期待してる」ようにしか見えない。「こういう状況であればこうする。」「ここまでは何もしない」とか、そういう戦略がまるでないように見える。何かが起きてから慌てて場当たり的な対応をしているようにしか見えない。ここは戦略国家中国を見習うべき。
対立時こそ布石を打つチャンス。
対立している時こそ日本にとってもチャンスではないか。こういうときに、尖閣諸島に保安官を常駐させるとか、対立ついでに布石を打っていくべきだ。今回の一件でもお分かりと思うが、中国はこちらが譲歩しても、次から次へ主張し、非難し、要求して来る。こちらが、譲歩したのだから、相手も譲歩するだろう、あるいは相手もこれ以上追及しないだろうなどと思うのは間違いだということが、今回の中国の対応でわかったと思う。こちらが譲れば、相手はもっと引き出せるだろうと要求を強めてくる。戦略なしに譲れば、とられるだけなのだ。日本は更に国益を失うだけなのだ。そして中国が国益を獲得する。中国の立場で考えれば当たり前だ。そうであれば、こういうときこそ布石を打っていくべきだ。理由は、良好な関係のときにこのような布石を打ったら、関係が悪くなるが、関係が悪いときであれば、どうせすぐには、よくはならないのだから。こちらもどんどん手を打っていくべき。互いに歩み寄らなければ相手の国益にならないということを示すべき。報復合戦のような様相を呈してくるが、それは覚悟するしかない。(交渉ごとと割り切ればよい。)世界を見ていればそういう理屈で各国が動いているのが容易に分かると思う。開戦の手前になるぐらいの覚悟だけはしておくべき。そこまで覚悟しないのであれば、最初からやるなと言いたい。関係がよいときには、協力して、いい関係を作り、運悪く関係が悪くなったとしてもそれはそれで割り切って、領土確定の布石を打っていけばいい。世界にはそういう対立は山ほどあるのだから、そんなことに一喜一憂していてもしょうがない。
そういうしたたかさを日本は、もつべきだ。季節はめぐるのだから、冬のように関係が冷え込んだら、春を待てばよい(努力は怠らないで)。
囲碁や将棋のたとえ
囲碁や将棋で言えば、相手は、どんどん手を打っているのに、こちらは、何もしないでパスしてばかり。相手が、手を打ったら、こちらも手を打つ、それが将棋や囲碁のルールだろう。それと一緒ではないか。そのぐらいの度量が必要だ。いつまでも盤面をオープンにしておくから、争いが生じる。手を打って早く盤面を埋めてしまえば、それ以上要求しようがない。それ以上悪くなりようがない。あとは、じっくり関係改善するしかないだろう。表向きは努力するが、内心時が解決するだろうと思っていていいのではないか。どうしても領土を取るつもりなら、実力行使、すなわち戦争しかないのだから。それが、満州事変や第2次世界大戦などの過去の戦争歴史そのものだったのではないか。いつまでもオープンにしておけば、将来日本の国力が相対的に弱くなったとき、必ずや中国が上陸するだろう。民間人が感情に任せて上陸し、そのまま居座りやがて中国軍が上陸するシナリオだろうか。
世界に対して堂々と説明できない日本政府
なぜ、世界の国々や人々が、正しく理解できるような証拠を示して説明しないのだろうか。ビデオは動かぬ証拠である。日本の政治家は国会などでは、すき放題言っているにもかかわらず、世界に対しては、何もいえない。信念理念も発信できない。与野党で論戦しているような(調子で)こと(意味不明)は世界に向かっては言えない。中国は、中国として堂々と世界に対して説明している。そして日本を非難している。日本の政治家は、中国の反発を恐れて、何もいえない。そしたら世界の人々は中国の主張を信じるしかないだろう。当たり前のことだと思う。日本の政治家はきちんと世界に知らしめる努力を怠っている。それだけの信念と自覚を持ってないということだろう。説明をしなければ、世界は日本が悪かったのだと思う。ヴィデオを隠すのは日本が悪かったのを世界に対して認めているようなものだ。世界にきちんと論理的に説明出来てこそ国益にかなうことだろう。日本がきちんと、論理的な証拠に基づいて世界に説明することによって、中国がどういう基準で行動する国なのか、各国が正しく認識してもらえるのではないか。きちんと客観的事実に基づいて説明すれば中国の中であっても、日本の対応を理解する人が
出てくるのではないだろうか。国ばかりを相手にするのではなくて、国レベルで対立があったとしても、相手の国に暮らす人々に説明していくことも重要だと認識する必要があると思う。日本政府は、中国政府に気を使っているだけで世界を意識する余裕もないし、中国国内の人々にも意識を向ける余裕がないようだ。
日本の弱腰を見据えてつけば中国の国益にかなう。
中国はあらゆる機会を捕らえて世界に向けて自国の正当性を発信している。日本は2国間で穏便に済まそうとするあまり何も主張しない。そういう精神的な弱みを見すえれば見据えるほど、中国は突いてくる。中国の国益にとっては当たり前だろう。日本の弱腰をつけばつくほど、中国の国益につながるということを学習させてしまっているのが、日本の政治家の態度であると思う。中国と意見衝突してでも日本の行動が論理的であることを世界に向かってきちんと説明納得してもらえれば、中国の国益にならないことが理解され、考え方を変えていかざるを得ないのではないか。少なくとも今の日本の行動は、触らぬ神にたたりなしの隠蔽思考で、問題に対して蓋をしているだけ。世界からも理解されない。だから世界と共同歩調を取れない。ただ一国孤立して、日本が悪者という理解が中国のしたたかな戦略によって、世界に植えつけられるのが落ちではないだろうか。
中国と日本以外の問題
中国と問題を抱えている国はたくさんある。
フィリピンはアメリカ駐留軍を追い出した瞬間に島を占領されてしまったではないか?力(武力)のない国はそうなのだ、それが世界の現実だ。ベトナムを見てみると、ベトナムの海岸線のすぐ近くまで、中国の領海になっている。また、ノーベル平和賞の問題でノルウェイとの問題もしかり。中国の活動家劉暁波(りゅうぎょうは)氏にノーベル平和賞が決まっても身柄を拘束し続けて出席させないとか、各国に欠席を要請したり、他のあらゆる手段を使って、働きかける。普段から、日本がきちんと日中間で起きた問題を世界に説明しておけば、こういうときにすぐに中国に対する認識を各国と共有できるだろう。そのことが、中国の態度を世界のルールに従わせる、有効な方法だと思う。しかし、こういうことに対して気をてらわず実行してくる中国は、一方で行動力のある国だと思う。さすがに世界の批判をかったようだが、日本の政治家はこういうところを少しはみならったほうがよいのではないか。
生物本能
話は飛ぶが、動物の世界での縄張り争いも熾烈だ。最近みたTV番組の中で次のような趣旨のことが述べられていたと思う。
「縄張り争いは、生物の本能、喧嘩してどちらかが負けないと決まらない。縄張りの確保は種の保存にとって最重要事項である。」そのために動物や昆虫は戦いを繰り返す。人間もその本能から未だ逃れられていない。だから、他の揉め事よりもより感情的に反応すると感じるのは自分だけではないだろう。領土問題がどれだけ危険な問題かがわかるような気がする。実行支配を崩さないよう注意深く対応することが必要と思う。オープンにして置くといつか取られると思う。
蛇足。
船長が、酔っ払っていたという話はどこへ行ったのだろうか。ぶつけたこと自体は、船長が酒を飲んで大胆な行動に出ただけのことなのではないだろうか。そんな酔っ払い行為で、国同士が喧々諤々の状態になるのは、やくざの喧嘩と一緒ではないか。今回の問題が、酔っ払い行為という実にくだらない原因であることを世界に示せばよかったのではないだろうか?そう言う客観的な証拠があって、酒気帯び操船で逮捕ということになれば、取るに足らないことということでクローズしてしまえば良かった。本当に酔っ払っていたとしたら、海上保安官もそういう証拠を持っていないのだろうか?海上保安庁が、そういう客観的な証拠をいつでも取れるように準備をしておくことが大切と思う。アルコール検査したのかな?今回の問題は逆の立場であれば、銃撃されかねない。しかし日本は銃撃はしてはいけない。しかし実力で阻止しなければならない場合も出てくるだろう。今後のために警備艇は体当たりされても大丈夫なようにしておけばいいのではないか?警備艇を岸壁代わりに使えばよい。そして、ぶつけられても細かいことを気にしないで、実効支配を続けることに注力したほうが良いと思う。