緊急事態宣言を解除して、1ケ月ほど時間が経過。
やはり感染者は100人を超し、さらに増加傾向にある。当然だと思う。
移動制限を解除したのだから、間違いなく感染の危険は増している。しかし頭ではわかっていても、移動制限が解除されて自由になると、心理的に「危険は去った」と勘違いに陥ってしまう人も多いのではないか。危険が増しているという認識に立って、緊張感を持たなければならない。
ドイツは実効再生産数 Rtを管理 経済の指標と、感染率の指標を計算してGDP被害を最小にするような実効再生産数R≑0.75を求めてそれで管理するという。感染対策と経済の両方にとっての最適解を見つけたということだろう。(NHKの「化学か経済か最適のバランスの模索」という番組)。さすが論理的なドイツ人だと思う。何かしらの指標をキチンとデータに基づいて判断するような仕組みにしなければ、最適なコントロールはできないと思う。
実効再生産数は0~1の間を目標にコントロールしなければならない。短期的には1を超えてしまうこともあるでしょう。Rtが1以上がずうっと続けば、感染者は、集団免疫が飽和するまで増え続ける。そしたら経済は悪くなるに決まっているでしょう。Rtを指標として、掲げ、手段としていろいろな対策が出てくる。例えば、ロックダウン、三密を避ける。手を洗う。マスクをする。多くの人が触るところを消毒する等。しかしあくまでこれらの対策は、指標Rtを1以下にコントロールするための手段なのである。指標を維持するための手段であるという認識が重要だと思う。
ロックダウンは非常に強力な手段であって、感染を収束に向かわせるためには有効であったことがわかる。しかし、ロックダウンを解除してから、感染者数は増加傾向になり、最近は毎日100人を超えるようになった。Rtは1を超えているのではないかなと思う。
ロックダウン以外の残された対策を、徹底的にやることを国民にお願いするか、別な新たな対策を追加しなければ感染者数は減らないと思う。国民にお願いしても、1割ぐらいは守ってくれない人は必ずいる。新たな対策が必要でしょう。
ここまでは、一つの指標Rtを例に述べてきたが、指標は必ずしも、Rtでなくてもよいと思う。しかしあまりいろいろ、目移りしないほうがよいと思う。他の指標を使ったとしても、コロナの場合まだ分からないことが多い今の時点では、いろいろな指標の細かい差の議論ができるような十分な情報はないだろう。だんだん最適な指標に収斂させていけばよいものと思う。
政府や東京都などが言うには、いろんな分野の専門家、医療や、経済学者、その他関係者の意見を聞いて対策を総合的に判断するということだが、基準の指標を数値で管理しないと、それぞれの意見の単なる調整になってしまうように思う。日本の場合こういう傾向が強いと思われるが、こうなっては的確な対策が打てるかは疑問です。
東京都が数値管理をやめて言葉で基準を表すように変えた。(東京都に限った話ではないが、)言葉で表現することにより、基準が曖昧になる。更に、基準とする文言をたくさん作って更に分かりづらくしている(意図的にわかりづらくしているように見える)。数値管理の場合、感染のパラメータがあらかじめ約束した数値に達したら、直ちに決断実行しなければならない。曖昧にすることによって決断をしなくて済む。要は責任回避のやりやすい基準にしたのだろう。決断し実行した結果が裏目に出た場合の失敗を恐れるからだろうか。あるいは自信がないのか。
国民が、もうやらないとまずいだろうと、感じるまで手を打たない。それは、国民に責任を預けてリーダーが意思決定を放棄していることに他ならない。失敗したときに、「それは、国民(都民)が願ったことだろう」と責任を口先で回避できるからだろうか。
・・・・と私は勘ぐっています。
やはり感染者は100人を超し、さらに増加傾向にある。当然だと思う。
移動制限を解除したのだから、間違いなく感染の危険は増している。しかし頭ではわかっていても、移動制限が解除されて自由になると、心理的に「危険は去った」と勘違いに陥ってしまう人も多いのではないか。危険が増しているという認識に立って、緊張感を持たなければならない。
ドイツは実効再生産数 Rtを管理 経済の指標と、感染率の指標を計算してGDP被害を最小にするような実効再生産数R≑0.75を求めてそれで管理するという。感染対策と経済の両方にとっての最適解を見つけたということだろう。(NHKの「化学か経済か最適のバランスの模索」という番組)。さすが論理的なドイツ人だと思う。何かしらの指標をキチンとデータに基づいて判断するような仕組みにしなければ、最適なコントロールはできないと思う。
実効再生産数は0~1の間を目標にコントロールしなければならない。短期的には1を超えてしまうこともあるでしょう。Rtが1以上がずうっと続けば、感染者は、集団免疫が飽和するまで増え続ける。そしたら経済は悪くなるに決まっているでしょう。Rtを指標として、掲げ、手段としていろいろな対策が出てくる。例えば、ロックダウン、三密を避ける。手を洗う。マスクをする。多くの人が触るところを消毒する等。しかしあくまでこれらの対策は、指標Rtを1以下にコントロールするための手段なのである。指標を維持するための手段であるという認識が重要だと思う。
ロックダウンは非常に強力な手段であって、感染を収束に向かわせるためには有効であったことがわかる。しかし、ロックダウンを解除してから、感染者数は増加傾向になり、最近は毎日100人を超えるようになった。Rtは1を超えているのではないかなと思う。
ロックダウン以外の残された対策を、徹底的にやることを国民にお願いするか、別な新たな対策を追加しなければ感染者数は減らないと思う。国民にお願いしても、1割ぐらいは守ってくれない人は必ずいる。新たな対策が必要でしょう。
ここまでは、一つの指標Rtを例に述べてきたが、指標は必ずしも、Rtでなくてもよいと思う。しかしあまりいろいろ、目移りしないほうがよいと思う。他の指標を使ったとしても、コロナの場合まだ分からないことが多い今の時点では、いろいろな指標の細かい差の議論ができるような十分な情報はないだろう。だんだん最適な指標に収斂させていけばよいものと思う。
政府や東京都などが言うには、いろんな分野の専門家、医療や、経済学者、その他関係者の意見を聞いて対策を総合的に判断するということだが、基準の指標を数値で管理しないと、それぞれの意見の単なる調整になってしまうように思う。日本の場合こういう傾向が強いと思われるが、こうなっては的確な対策が打てるかは疑問です。
東京都が数値管理をやめて言葉で基準を表すように変えた。(東京都に限った話ではないが、)言葉で表現することにより、基準が曖昧になる。更に、基準とする文言をたくさん作って更に分かりづらくしている(意図的にわかりづらくしているように見える)。数値管理の場合、感染のパラメータがあらかじめ約束した数値に達したら、直ちに決断実行しなければならない。曖昧にすることによって決断をしなくて済む。要は責任回避のやりやすい基準にしたのだろう。決断し実行した結果が裏目に出た場合の失敗を恐れるからだろうか。あるいは自信がないのか。
国民が、もうやらないとまずいだろうと、感じるまで手を打たない。それは、国民に責任を預けてリーダーが意思決定を放棄していることに他ならない。失敗したときに、「それは、国民(都民)が願ったことだろう」と責任を口先で回避できるからだろうか。
・・・・と私は勘ぐっています。