脳のミステリー

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大脳新皮質でも・・・& 青龍の水晶玉は偶然ではない

2009-12-30 22:11:29 | Weblog
少し前に額の裏側の「前頭脳皮質」についてチョッと触れた。

12月28日の新聞に興味ある記事を見つけた。
思考や人格を司る高度な脳の部位で、成長してからも神経細胞が新生するというのだ。
認知症や精神疾患の治療に繋がる成果が見られるという。
海馬での新生は既に公表されているが、個性などを司る「大脳新皮質」で新生が見つかったのは初めてである。
抑制性神経細胞は神経の乱れを鎮める役目があって、脳に血液が行き渡らないと生じるてんかん症状や認知機能の低下を防ぐと見られている。
現在の私の悩みである四六時中右半身に長逗留している「痺疼痛」には、時にてんかん症に相通じる症状が見られるようなのでこの記事は興味をもって読んだ。

余談だが、今年の暮の贈り物の中に「水晶チャーム」があった。
水晶、即ちクォーツは全てに対して調和を生み出し、それらを結合してよりパワフルな力を発揮するように導く力があるという。あらゆる面での優れた浄化力があり、新陳代謝を活発にして細胞の再生を促して免疫力を高めて体内に蓄積された毒素を排除する力がある。水晶玉には五本指の龍が彫られている。五本指の龍は中国の皇帝のみが着用を許可された最高位の龍だという。東方を守護する「青龍」は中国の伝説上の神獣で、舌を長く出すと龍の形になり、「青」は五行説では東方の色とされる。

大脳新皮質での神経細胞新生の記事を見つけた時に「青龍が彫刻された水晶玉」をプレゼントされたのも偶然とは思えない。

『痴呆』は止めて~ せめて『認知症』と呼んで~

2009-12-22 15:22:05 | Weblog
『認知症』人里離れた地方ではそれほど主だって話題にはならないかもしれないが、
都会では一般の人達の間に入り込む事が多いので話題にもなる。

幸せな結婚をし、子宝にも恵まれた友人の義母の痴呆が進み、
在日米軍基地に入り込む癖が定着しつつあって苦労していたのを知っている。
在日米軍については、政府解釈によれば、在日米軍はいわゆる治外法権の地位にない。
痴呆が進んだ義母はやがて衣類を脱いで入り込むようになったと聞いている。
その後を語るには哀しくて辛過ぎる・・・
協議離婚をしたところまでは連絡がきていたけど、今は互いに音信不通!

『痴呆』を差別用語だと問題提起したのは日本老年医学会での事である。
「痴」「呆」ともに「愚か」「馬鹿」という意味を持つ漢字だからである。
そこで新しい呼び名『認知症』という言葉がうまれた訳だ。

認知症とは 一旦発育した脳が損傷されて、その結果として、それまでに獲得された知的能力が低下してしまった状態をいうのだがこの状態について、日本では長らく「痴呆」と呼ばれていた。
「痴呆」の狭義の意味としては「知能が後天的に低下した状態」の事を指すが、医学的には「知能」の他に「記憶」「見当識」の障害や人格障害を伴った症候群として定義される。
単に老化に伴って物覚えが悪くなるといった現象や統合失調症などによる判断力の低下は、痴呆には含まれない。
逆に、頭部の外傷により知能が低下した場合などは痴呆と呼ばれる。

認知症の初期には精神活動の知的コントロールが弱くなり、性格特徴が先鋭化することがある。
短気だった人がいっそう怒りやすくなり、あるいは倹約家が極端にケチになったりする。
認知症が進むと早晩記憶障害が現れる。
新しいことを学習するのが困難となり、最近のことをよく忘れる。
社会的関心が乏しくなり、複雑な行為ができなくなる。
かつては知っていた諺の理解や高度な関係性の把握が困難になる。
思考は纏まり悪く、断片的となる。しばしば同じことを繰り返す。
今いる所は何処か、今は何時頃かなど、自分の現在の位置づけができなくなる。
感情は不安定となり、あるいは適度な不安や緊張を失う。
認知症が高度になると、思考や判断力はいっそう低下し、関心や自発性もなくなる。
記憶障害も強度となり、自分の年齢や、結婚したことがあるかないかもわからなくなる。
介助がなければ食事、排泄など身の回りのことも出来なくなる。

加齢でこんな事は多分多かれ少なかれあるのではないだろう。自分もそうなるかも知れない。

江戸時代においては、「痴呆」は「もうろく」とか「ろうろく」と呼ばれて一種の老化に伴う一時的な現象と捉えられて、余程深刻な症状でなければ医師が関与する事も無く、社会でも柔軟に受け止められていた。
当時においてはその介護は専ら家族によって任されていたが、祖先の霊が家を守っていると信じられていたので介護に尽くすことで高齢者が死後に祖先の霊として新たに加わって家を加護してくれる事で家族もまた報われると信じられていた節もあり、親への孝行を重視された儒教思想も加味されて、介護を負担としてのみで捉えてはいなかったという。
日本で「痴呆」が病気として扱われるようになったのは、実は西洋医学が伝わった以後のことである。

私は最近年配者との付き合いが結構ある。
出会った時に「この方は将来痴呆症になるみたい」とか「この方は素敵な老齢を愉しんで大往生されるのではないかしら」と自分のインスピレーションが捉える事がある。
昨年あった時は何ともなかったのに・・・
先週あった時は何ともなかったのに・・・
痴呆がゆっくり進む人もいれば、急速に進む人もいる。
私が逢った老齢者で急速に進む方は往々にして、かなりの自尊心が強い方が多いように感じている。
ご自分から愉しもうと思っている方は少々痴呆かな?とか少しずつ進行していてもあまり気にならないせいか見過ごせるのかもしれない。
自分も今年は65歳になるのだから、老人と呼ばれる年齢に入る。もう「予備軍」などと言っていられない。老人になる前に高齢者や老齢者に逢って色々学ぶ事が出来る私は幸せ者だと思う。

若い頃、老人性認知症を扱った小説 「恍惚の人」有吉佐和子を読んだ時、年を取るのは怖いなあ、と思った。この問題作は痴呆症(認知症および老年学)をいち早く扱った文学作品である。
高齢者介護に奮闘する家族の姿は現代にも十分通じるものがあり、介護医療の難しさは不変であることを思い知らされる作品といえる。出版当時空前のベストセラーとなり、痴呆・高齢者介護問題にスポットが当てられることになった。その関心度の高さから「恍惚の人」は当時の流行語にもなった。
今読んでも古い感じがしない・・・ということは、困ったことかも知れないが、もしかしたら惚けてしまうかもしれない可能性は、誰にでもある。老人福祉は進んでいるのだろうか。「本書が一日も早く歴史上の本になること」を願って『日本外史』に三好長慶が「老いて病み恍惚として人を知らず」とあるのを見て閃いたらしいがさすが有吉佐和子女子だと感心してしまう。1972年出版という事だから、もう30年以上も前に書かれた小説だという事実に有吉さんの凄さを感じる。53歳という若さで亡くなってしまったのが惜しい。生きていればもっともっと老人問題をテーマにした現実に何処にでも起り得る小説を世に出していただろう。

若い頃読んだ「恍惚の人」の印象と今、自分自身が老人の門を目前して読む「恍惚人」は捉え方が随分違っているのに私は気付いている。

人間みんな障がい者だとは思いませんか?

2009-12-17 17:54:28 | Weblog
『痴呆』は止めて~ せめて『認知症』と呼んで~とは本人が言った訳ではないだろう。障害者という言葉も差別用語だからせめて「障がい者」と呼ぶように言われている。確かに「障り」より「害」という字が気になる。
障りは「差し支え」「邪魔」「妨げ」「支障」・・・考えるだけでもあまりよい表現ではない。害を考えると「悪い結果や影響を及ぼす物事」だから尚悪い。
私も「中途障害者」という有難くないレッテルを貼られている。
つい8年前まで取敢えず五体満足の健常者だった私は未だ「健常者」と「障害者」の間に立って考える事が出来ると思っている。真半分の人間になって蘇ったからだろうか?
「障害」の「障」を考えると 妨げan obstacle; 邪魔して遅らせるも〕a hindrance; 難事a difficulty という事で日本人は海外に出ると多くの人が「語学の障害」にぶつかる。話し合いの中で確かに「妨げ」になって話が中々進まない。そんな経験を持つ健常者も少なくない筈だ。
40年近く前にパリで苦労した事がある。フランス人は得てして中々英語を使いたがらない。流暢な英語を話す日本人にはフランス語で答えてくる。頭に来た私は「英語で聞いているんだから英語で答えて!」と文句を言った。
すると相手は「ここはフランスのパリですから~」と嫌みたっぷりにエ・イ・ゴで答えた。尚も私を癪に障らせるパリジェンヌに「BEAのスタッフならBはブリティッシュのBなんだから英語を話して!」と言ってあげた。軍配は・・・勿論 わ・た・し!
あのままフランス語で通されたら、私は完全な「仏語障害者」になっていた筈だ。
「障害」の「害」を考える時「害を与える」という表現を頭に浮かべてみようか。すると英語では色々考えさせられる。
harm/do harm ((to))/〔損傷を〕damage/do damage ((to))/〔悪影響を〕have a harmful influence ((on)) これらは健常者側にどんな害が生じるかと思ってしまう。
ここまで考えてくると「中途右半身不随者」である私の右半身が「チョッとぉ気遣って!」と心の中で言い、「障害者である」という権力を振舞う者には健常な左半身が「いい加減にして!」と心の中で叫んでいる。

日本では「差別」を大問題視し、却って妙な事になる事もある。
目の不自由な人に「めくら」と言ったら怒られる。字は「目が亡い」と書く。全く見えない人もいるし、目の前が暗い程度で少しは見える人もいる。
何れにしても「目が不自由な人」の方が差し障りのない表現だろう。
耳が不自由な人には「つんぼ」と言ったら怒られる。字は「耳に龍が乗っている」ような漢字になる。
口が不自由な人も「おし」なんて言ったら大変な事になる。字は「口に亜」だが、私が知っている限り「亜」は生物学で、生物分類上の基本単位である門・綱・目・科・属・種などの、それぞれの下位単位を表す語だという事である。白亜の家なんて素敵な感じがするけどなあ!
英語では日常的に簡単に めくらblind、つんぼdeaf、おしdumb と言っているような気がする。
日本語に表現法がいっぱいあるからこそ 障害者を障がい者と書くように心がけようと思うのかも知れない。

用事が出来てしまい認知症の話まで持って行けなかったが・・・興味のある人は次回のブログに乞うご期待を!

認知症!

2009-12-15 20:34:45 | Weblog
認知症が高度になると、思考や判断力はいっそう低下し、関心や自発性もなくなる。
判断力は 額の裏側にある前頭脳皮質の機能が働くのだが、人間のそれはゴリラやチンパンジーといって猿類の2倍もある。
人の前頭脳皮質は脳体積の1%を占めている。
判断力、決断力等が認知症に大きな関係を持つという事を知ったからには『認知症』の事をもっと知りたいと思うようになった。  続きは次回・・・

生とは永久の闘い

2009-12-10 14:51:34 | Weblog
誰が言ったか?
我々が誕生を喜び、葬式を悲しむのは何故か?我々がその当人でないからだ。

なるほど・・・
生きているという事は 自然との闘いであり、社会との闘いである。
自分ではない、他との闘いである。
私にとっての「永久に解決のない闘い」とは夫々の病であり、眠りは緩和剤・・・
病は床に伏せっているばかりではない。
他人には見えない心の病が一番難しいかもしれない。

島崎藤村の歌に子供の頃から私が好きなのがある。
♪朝はふたたびここにあり
♪朝はわれらと共にあり
♪埋れよ眠り行(ゆ)けよ夢
♪隠れよさらば小夜嵐

「朝の光が見えて嬉しい」「生きている事の確認」と呟く自分に気づく時私は未だ「生きている花なのだ」と思える。

生とは永久の闘い・・・私の痺疼痛との闘いなど・・・ほんの僅かなものなのだなあ

何ごとも風評に迷わされず、真理を見極めることが大切

2009-12-05 15:20:15 | Weblog
私が敬服する学者のひとりが「病気にならない体はプラス10㎏ 」という本を出版し、読ませて戴いた時、私は調度自然にダイエット成功を喜んでいる時だった。

「お酒を飲むと太る」と言われている。
確かにお酒をたくさん飲むと、血液中の中性脂肪値が高くなる。
だから、中性脂肪値が高いとお医者さんから「お酒を控えるように」と釘をさされてしうのが当然。
でも、今日お酒を飲んだからといって、即、体に脂肪がつくわけではない。
思い出せば熟年層時代の亡き父は浴びるようにビールを飲んでいた。
子供の頃からキリンビールのマークだけは私の記憶から消滅した事はない。
まっ、我々子供達がビール党をバッチリ継いでいるから・・・
亡くなった時、キリンビールから献花でもないものかと思うほどだった。
タバコも指が黄色くなるほど吸っていた。
そう飲酒喫煙に関する限り、父親は好き勝手をしていた。
でも彼が人生を閉じたのは傘寿を無事に祝ってから後だったのだから、本望だったのだろうと思っている。

食べたもの、飲んだものが体脂肪となって体に定着するのは2週間後と言われている。
つまり、食べ過ぎ・飲み過ぎても、すぐに調整すれば太ることを防ぐことができる。
その執行猶予期間は48時間、つまり2日間だという事だそうだ。
余分に摂ってしまった食べ物は、分解されてグリコーゲンという糖質になり、肝臓に蓄えられる。
それは必要に応じてブドウ糖に分解され、エネルギー源として使われる。
だが肝臓にストックできるグリコーゲンの量は、約1食分なので決して多くない。
だからそのまま食べ続けると肝臓では蓄えきれなくなって、脂肪細胞という容量限界のない大きな倉庫に運ばれてしまうということになる。
脂肪細胞はいくらでも巨大化して体脂肪となって体に長逗留して「はみ出し肉」となってしまう!

確かに週末を迎える直前に暴飲してきた父は週末には肝臓を空っぽにしていたから、それに彼は暴食家ではなかったから・・・
飲んだ翌日は確かに朝食を抜いていた記憶がある。
一食抜いたくらいで人は死なない。
そんな時のために肝臓や脂肪細胞がしっかりエネルギーを備蓄しているのだから・・・

お酒を飲み続けると認知症のリスクも増加したり 脳が萎縮って本当か嘘か・・・

アルツハイマー型認知症のほか、脳血管性認知症やパーキンソン病に似た症状が出ることもあるルビー小体病なども、認知症の一種である。

父にはどれもなかった!

米国で「加齢で進む脳容積の減少を、適量のアルコールにより食い止めることが可能か」を検証しようとしたが、結果は不可能だったそうで
寧ろアルコールによって脳の委縮が進行するという恐ろしい結果が・・・
「認知症のリスクも増加!? お酒を飲み続けると脳が萎縮」そんな論文が発表されると・・・
でも父がもし生きていたら、確かにそのような論文を跳ね返してしまうだろう!
週4~5日飲む人は、いわゆる大酒飲みだと言われる。
だったら、父は「飲んだくれ?」ゴメンなさい!
一般的には、誰でも年齢とともに脳萎縮が見られてくるらしい。
1日2合以上の飲酒で普通の人より10年早く脳萎縮が進行し、有意差が出ると言われているという。
1日1合ぐらいまでであれば、脳萎縮の程度に有意差はないようだという訳か?。
飲むのが常習的だとアルツハイマーになるというよりは、脳の萎縮が早くから見られる可能性が高いということらしい。
早い人で40代。普通は50代から脳の萎縮が分かるようになってくるというのだ。

脳が萎縮しやすい生活習慣がある人男性は「脳卒中」が多いのに対して、女性は「認知症」と「骨折」が多いのだろうか。
ホルモンバランスがどんどん崩れて「骨粗鬆症」になり、更に年を取るとちょっとしたことでつまずいて転倒し、股関節を痛めて動けなくなる。そうなることで生活環境がガラッと変わって、認知症になるというパターンが多い。
連鎖していくわけで、お酒を飲んでテレビを観ながら寝転がっていたりすると、本当にすぐボケてしまう!
物忘れ外来の医者は「手と口と足を使え」って言う。
要するに人とコミュニケーションを取って話をする。
仕事を持ち続け、手作業をする。
そして散歩したりして体を動かすことが、予防に繋がる。

何も「お酒」に限った事ではないじゃないか!
確かに 私は50代で脳障害に出会った。
連日連夜の暴飲暴食が「脳の委縮」を速めていたのかもしれない。
認知症になりやすい体質が遺伝する可能性は、ゼロとは言えないが、お酒によって脳が萎縮しやすい体質が遺伝かどうかはよく分からない。
亡くなってしまった父の脳が正常だったか、脳委縮があったかは分からない。
お酒も強い人と弱い人がいるように、個人差がある。
肝機能が丈夫だから脳も萎縮し難いか、それも分からない。

私に言わせれば全て「ケセラセラ」という事になる!

締め括りに「チーズとワインがいい」と綴っておこう。
フランス人は小さい時からチーズと薄めたワインを飲むらしい。
これは私自身を頷かせた食品である。
無論、これにも個人差はある。
因みに私は毎朝トーストと一緒にチーズを食べ、夜時折ワインを飲んでいる。
ビールはビアホールに行った時だけ・・・ビアホールに行った時・・・だって他の飲物を頼んだのでは陳腐としか言えない!

色々な障害者に会って思った事は・・・

2009-12-01 16:03:46 | Weblog
第28回障害者週間が12月3日から9日まで始まる。
この「障害者週間」は障害や障害のある人への理解を深め、障害者の社会参加への意欲を高める事を目的としている。
偶々、著書『障害者の経済』という書物を通して知り合った慶大商学部の教授の講演があるというので、一年ぶりに会いに行った。
彼の基調講演は相変わらず理解し易い話だった。

世界には色々な人種が生きている。
世界には様々な障害(不便)を持つ人間が生きている。

私は8年前、左脳被殻出血に襲われて右半身不随になった。
救急病院で右半身が全く動かない自分を見つめて呆然とした。
私は自分の命と引き換えに右半身不随という宣告を受容した。
脳外科医達は異口同音「死んだ右半身は決して元通りには生き返らない」と明言した。
実はこれが私に「生きる道」を誘導してくれた。
私は時間をかけて「障害社会」に入り込んでじっくり観察し始めた。

これまで身近で私の知っている障害者は・・・目の不自由な人、耳の不自由な人、言葉に障害のある人、歩行が困難な人・・・そして自分が障害と言う壁にぶつかった8年前は未だ簡易電動車椅子は珍しかった。

アメリカが1975年に発表した脳卒中の診断基準で、病期による分類をしているのに注目すると一過性脳虚血発作のほかに、神経症状変動期として症状が悪化または軽快しつつある時期をあげ、悪化進行しているものを進行型発作progressing strokeとしている。神経症状固定期として、局所症状が24時間以上持続するが3週以内に消失するものを可逆性脳虚血症状reversible ischemic neurological deficitといい、局所症状が3週以上固定して存在するものを狭義の完成型発作completed strokeとしたという事である。
私なりに主治医等の話をよく噛みしめると、多分3度目のは一過性脳虚血発作等という簡単なものではなく被殻出血に即繋がって、結果的には2番目のRINDという脳卒中の診断だったのかなあ、と思っている。

私は勿論自分を病人だとは思っていない。障害手帳は戴いたが、障害者だとも思わない事さえある。私らしく厳密に言えば、自分は「ハーフ人間」だと思っている。誰が「五体満足」でなければ健常者と言えないと断言できるのだろうか。色々な難問を抱える障害者に会うと、自分は単なる「不便人間」だなと思ってしまう。自分の不便はなるべく他人を道連れにしないように努力しているつもりだ。

様々な障害を持つ人達の話を聞いていると、蘇り人生を歩んでいる自分は色々手を広げるより「盲導犬募金」一本で行こうと思った。

港区で外国人相談室長をやっている時もそうだった。目の前にする問題を全部引き受ける訳にはいかない。YESとNOをはっきり言うべきだと痛感した事がある。
障害にはあまりに考えられない程たくさんの問題がある。私に出来る事は「連日連夜痺疼痛を四六時中感じてはいるものの自分だけが耐えて我慢すれば生きていける」という事で「ただ生きていくのではなく、自分が出来る事を探して、それを世の中に還元して生きていく事だ」と思った。

老大木が自然に倒れると、その下に新しい命が数え切れないほど生まれ、生き生きと動き出してくる。そんな画像を見た事がある。
私はそんな「老計」を今から考えておこうとしみじみ思う。

こんな話を聞いた事がある。
「りんじゅうき」と耳で聞いただけでは、臨終期だと思うが、「人生の最期をどう生きる?か」ではなく、古代インドのバラキン教の思想にある「林住期」は人生の終りではなく、その時期を人生の最も重要な時期と捉えて、社会人としての努めを終えた後すべての人が迎える第三の人生であるというのである。
一昔前までは平均寿命も短く後の残り少ない人生を、どのように生きるか?という事になるのだが、最近では医学も発達し平均寿命もかなり延びている。
50歳~75歳という時期は今まで、子育てや仕事等で忙しくって出来なかった事ややりたかった趣味等をじっくりやるには最高に素晴らしい時なのだ。そんな素晴らしい時に半身不随にはなってしまったものの、私は自分の人生を誰にも邪魔されずに自分らしく生きる事が出来る時期だと考えるとまさに「人生の黄金時代」と言える。そう言い切った人がいるようだが、同感である。「林住期」と呼ばれ始めて約四半世紀を大切に大切に自分らしく生きていきたいといけたら最高に幸せな人間であると思わずにはいられない。80歳かあ、亡き父もごく自然に「生涯障害現役人生」を送ってたなあ! 傘寿かあ~ 
「林住期」を「人生の黄金時代」と言ったのは作家の五木寛之氏だったっけ?
こんな大事な事を忘れてしまうなんて、私もそれなりに年取ったのかなあ?!
還暦を無事迎えて、これからは66歳の緑寿、70歳の古希、77歳の喜寿、80歳の傘寿が待っている。ゴールドがお祝いの色として初めて出るのが80歳だという。万が一、それ以上の長寿の道を車椅子で歩んでいれば、これぞ私の「余生」と言えるだろう。