脳のミステリー

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283.2007年亥年を振り返って!

2007-12-31 06:47:19 | Weblog
 猪突猛進の亥年が終わろうとしている。脳出血で倒れて足掛け早7年目を迎える。7年目の浮気という言葉がかつて流行ったが、7年目の再発というか再見には気をつけたい。病魔はそこいら中に蔓延っているから・・・ 右半身不随を宣告されて半年後には自分がたくさん抱えていた仕事の主たるひとつを捨て、ひとつを拾い上げる決心をした。捨てた仕事のひとつは家事労働である。家事労働を完璧にこなすには必須条件が五体満足であるという事は明らかである。お料理大好きだった私は食べる事に専念する事にした。だけど暴飲暴食は止めた。長年トライしてきたが結果を見るに至らなかったダイエット作戦は自然消滅し、アルコールも依存症を心配する事なくストップした。人生って悪い事ばかり続く訳でなく、いい事も背中合わせにやって来るものなんだと私は実感する。「都合つんぼ」という顰蹙を買うような言葉がかつてあったが、今は禁語になり死語になったらしい。簡単に自分を表現すると「都合掃除人」だった。普段は散らかし放題で気が向くと、徹底的に私らしいやり方で掃除しまくっていた事がよくあった。掃除がままならぬ身になった今、精々散らかすのを自粛しようと心がけている。
 ところで、私が自ら拾い上げたもののひとつは言うまでもなく美術館関係の仕事である。これまでも趣味とは言わないまでも、好きな事を自分の仕事にしてきた私は「好きな事」と「出来る事」だけを受け入れる自分を長年に亘って見てきた。幸いなるかな、私は自分の仕事をいつも楽しんできた。病魔に出会った事で、その楽しみを捨てるには忍びなかったのが本音だった。亡き父が誤って転倒して、脊髄損傷が原因で両下肢麻痺を受け入れて車椅子生活を余儀なくする事になった時、言った言葉が記憶に残っていた。
「リハビリは自分の判断でする」
父は全てを取り戻すのは不可能だと考え、足を捨てて手を拾い上げたのである。無論、療法士は口を揃えて「歩く練習」と「手を動かす」事を目標にすると言った。だが、意見の相違を感じ取った父は自ら退院を希望し、自宅療法は「手の訓練」に絞られた。入院当時は手も足も思うようには全く動かなかった。既に70歳になっていた父は「時間を無駄にしたくない」と言い、更に「足は使い物にならなくなってもいい、生きている限り仕事をしていたい」と言って自分の意見を頑なに主張した。その結果、父は亡くなるまでの十数年間、決して歩く事は出来なかった。しかし、彼は急性肺炎で緊急入院した後、昇天の刻を迎える一ヶ月前まで障害生涯現役人生を送っていた。
 親子はよくよく似るもので、私も歩け歩けのリハビリだけに時間を費やすのは避けよう、仕事を続けるのが人生最高の喜びだと断言する事にした。父親は趣味を兼ねたような翻訳の仕事を他界する寸前まで楽しんで稼いでいた。私は大好きな美術館関係の仕事に復帰した今現在、これぞ至福の時だと思っている。そして、私は別の全く別の楽しみをつい最近知った。
 2007年は年頭から違っていた。前年の戌年に因んで亡き愛犬の追悼記を出版した事が切掛けでミクシィなるものを始めたのである。これが思わぬ転機を私に齎したのである。ミクシィの進め方も分からないままに息子の可愛いガールフレンドに招待された私は彼女が呆気にとられている内に、あれよあれよと言いながら仲間を増やしていった。その殆どがワンちゃん繋がりで今や五十人の仲間が出来た。暫くは余程の事がない限り増やすのは控えようと思っている。心が行き届かなくなって、自らの日記も、コメントも、メッセージも更に返信も「無責任」が一人歩きしてしまうような気がするからである。
 今年は実に充実した多忙の年であった。美術館の仕事関係では前半にはドキュメンタリー映画制作の為に海外から撮影隊が来日した。映画は来年中旬にはオンという事になる。また、日本の専門新聞や雑誌社からのインタビューも立て続けにこなしてきた。そして、マイミクのワンちゃん仲間はそんな大忙しの私に豊かなリラックスタイムを約束してくれたのである。
 そして今、私は自ら2007年の足跡を辿ってみようと思い立った。
 ところで、ある著名な考古学者がこんなことを今更のように言っていた。
 「日本人は着想力には欠けるが、それを一旦知るとその発展力は倍増して伸びていく」
曰く、日本では古墳が出現して間もなく稲作社会が生れている。なるほどね、と常日頃から思っていた私は今年一年を振り返ってつくづく頷いている。日本人が猿真似という好ましくないニックネームを貰っていたのは遥か昔の事で、今や猿真似が発展して独特な創作を生み出すのが日本人だという訳である。
猿真似という言葉、実はかつての私は敬遠していたが、今はそれほど自分から排除したいとは思っていない。猿真似上手な私がいるからこそ結果を残せる私がいる、と思えるからである。先ず、英語脳の話になると私は所詮FEN放送から流れ出る英語の歌を真似して歌っていた幼い頃の自分を思い出す。それがバイリンガルの名に対して自らもOKが出せる程になり、英文法ではprecisつまり要約の繰り返し学習に興味を持つようになったのである。
何かしらの散文などを手にとって、要点を掴み取るのは自分でも驚くほどの早業なのである。この作業に手間取ると、次が進まなくなる。読み聞きした材料を素早く自分なりに料理して私らしいエピソード作りに励む、これほど愉しい仕事はないと思ったのはつい先日の事であるといっても過言ではない。例えば、ブログに登場して貰うワンちゃんの日記やフォトを読むのだが、その時、チョッと分かり難い説明になるが、読んだ文章を脳に送り込んだ途端、英訳してしまう。そこでブレンダーにかけている間に関連のフォトを並べていく。即ち、自分で言うのも何だが、とても器用に脳では英語が動き回り、目の前の画面ではワンちゃんが「上手く纏めてね!」と語りかけ、私の左手は和文をパソコンに打ち込んでいく。私も驚いた! 徐々に出来上がっていくカレンダーには驚異にも似た感激が私に拍手を送ってくれているような気がしたのである。
マイミクの仲間達が異口同音、私には「ありがとう」を、また、手伝ってくれた障害仲間には「ご苦労様」を送信してきた。だが、私は本当の「ありがとう」をマイミクのワンちゃん仲間達に言いたい。多くの作家は書く材料が無くなって行き詰まるのに、ハイパーグラフィアつまり「書きたい脳」の持ち主は気楽なものだと私は思ってしまう。才能のない私は小説家には到底なれないが、幸い時折、ハイパーグラフィアの訪問を受ける事がある。小説とは違って事実を織り込んで書き綴る文章は止め処もなく私の脳内を埋めていく。とにかく、ミクシィのワンちゃん達は私に書き纏める材料を惜しげもなく提供してくれた。そして、ハイパーグラフィアを揺さぶってくれた。ありがとう、ホントにありがとう!

A Happy New Year!

282.私の中のクリスマス今昔物語

2007-12-25 23:46:21 | Weblog
 生粋の日本人である私が初めてクリスマスという行事に出会ったのはそう、奇しくも初めてペット犬に出遭った頃に重なる。
 私の幼稚園はお寺さんの庭先に園舎があった位だから、行事は入園式直後の4月8日のお釈迦様の花祭りを皮切りに色々あったが、クリスマス会の記憶はない。
 父親の仕事上のパートナーの子供達がカトリックの学校に通っていたので、そちらの家族と合同で「子供クリスマス会」が帝国ホテルのバイキング・クリスマス・ディナーで始まったのである。ここで幼い私は様々な事を学んだ。女の子の素敵なドレスは当たり前で私は毎年レースで飾られたワンピースを買って貰えるのが待ち遠しかった。5歳年上の姉は好みがシンプルでいつも彼女が飾り気のないワンピースを買って貰っているのを見て「折角なのに、何であんな普通の、新しいだけで普段と変わらない服を選ぶんだろう」幼い私はそう思ったものである。
 むこうの小6の男の子がネクタイを忘れてホテルで借りていたのをよく覚えている。「ノータイではダイニングルーム入る事もダメなんだ!」私は少しずつ初歩的なマナーを学んだものである。
 やがて子供全員(私の11歳上の兄は既に社会人だった!)の義務教育を終える頃、このクリスマス会はクローズされた。そして私自身がキリスト教の学校に進学して色々な行事に出会っていった。まさにペギー葉山が歌う「学生時代」であった。ペギーさん自身があの時代は女学校で共学ではなかったから、まあ、私の頃はもう既に女学校ではなかったので姉のように慕う人はいなかったが、恋人のように思いを馳せる人は・・・ ♪その美しい横顔 姉のように慕い・・・ ではなく、♪その格好いい横顔、恋人のように慕い・・・ ああ、でも・・・居眠りしてる・・・慕うどころじゃない!見つかるよ!起きて!・・・   
 私が半世紀近く何気なく過ごしやって来たクリスマス行事にも様々な思い出がある。高校時代はやはり学生生活絡みで、あの歌が語ってくれる。曲を手がけた人も歌った人も先輩ならではの表現だといつも思っている。
 とっても印象に残っているのは南半球に渡ってからである。夏のクリスマスの感動は12月というフェスティブ・シーズンが始まると、住宅街にクリスマス・キャロル(キャロルは祝歌)が流れ、暗くなるに連れて南十字星は燦然と輝き始める事だった。普段、何でもない様に歩いている道の十字路で歌う賛美歌はかつて私が礼拝堂で義務的に日本語で歌っていたものとメロディーを共にしていた。
 クリスマス・キャロルにも勝る出来事はイブに起きた。初めてのクリスマス・イブに目を丸くしっ放しの私が帰宅したのはもう既にクリスマス・デーになっていた。ホスト・ファミリーというか私の豪両親と行動を共にして帰宅した時、未成年の私以外はみなほろ酔い気分だった! パパが車を車庫に入れている?間に玄関の鍵を開けて入ろうとした途端、ママが何かに躓いた。「大丈夫?」と聞く私にEverybody loves somebody・・・ と酔っ払いのディーン・マーチンの真似をしながら、手に何か拾い上げた。「あなたに~!」本当に私宛だった。リボンで気取った小さな包みにはカードが付いていた。
☆☆☆Dear Mikko, Merry Christmas to you! Love from Noreen ☆☆☆
留学最初の日の隣席人、Noreenという女の子からだった。海外の慣わしに感激した夜だった。以来、彼女と私の友情は今でもメールを通して続いている。どの学友よりも長く続いている。恐らく、あのクリスマス・イブの出来事、日本娘とっては大きな出来事だった小さな贈り物が二人の絆を毎年強めてくれているのだろう。
 帰国後日本で迎えたクリスマスの思い出は、古都京都の教会で迎えたイブの事である。ミサを終えて教会の外に出た二人に思いがけない初雪が・・・ 初めてのホワイト・クリスマスだった。
 それから数十年、子供中心のクリスマスは当然、典型的な日本版と外国版のコラボだった。
 そして、今年、ワンちゃん中心の私はカードならぬカレンダー作りに丹精込めて、クリスマス・イブの朝を迎えた。ワンちゃん仲間にワンダフル・カレンダーを発送し、夜はシャンパン(Veuve Clicquot)を飲み、息子が料理したロースト・ディッシュを賞味し、更には娘がフルーツケーキを用意してくれた。「亭主元気で留守がいい」の典型的な家族だが、私が倒れてからは二人の子供が采配を振るって外出は25日に、と決めてくれている。父親に習わずとも、父親の上をいく息子のシャンパン栓抜きはブラボーを叫びたい程見事だった!最近の我が家はイブと当日を分けずに、クリスマス・イブ・サパーとクリスマス・ディナーを一夜で一度に味わう事になっている。
 節目々々のクリスマスはどれも記憶に新しく蘇る。今年も私のクリスマスページにひとつ大きな記憶が残る事になった。

NB:ワンダフル・カレンダー到着のメッセージが続々・・・

281.イブにワンダフル・カレンダー発送!

2007-12-23 23:50:02 | Weblog
Postie Postie,
Don’t be late!
Take this post straight to mixi-mates one by one!

 相変わらず摩訶不思議な日本人は、キリスト教徒だろうが仏教徒だろうが世は挙げてのクリスマスムードに酔いしれている。12月24日はクリスマス・イブ、教会で静かに過ごしたのはもう何十年も前の事になる。大人になるにつれて、教会から足が遠退いて気づけば私も飲めや歌えの大騒ぎが好きになっていた。
 だが、2年前から僅かな時間だがせめて、天に召された愛犬を偲ぶようになってきた。私にとって初めてのプライベート介護犬になった愛犬の命日に重なるからである。
 以下はクリスマス・イブ発送が出来る事になったワンダフル・カレンダーに綴った前書と後書を抜粋したものである。
 出逢いがあれば、必ず別れがある。この当たり前の真実の受容に耐えられないのは人間だけなのかもしれない。老計の中で老後を考えるのは日本人だけだろうか。老後という言葉は私には返す返すも奇妙に思えるのである。老いの後に来るのは死だと考えればその前には死に臨む計画、即ち死計があるという事になる。
 ミクシィ仲間は死計を実行するワンちゃん達の為に死後の世界に挙って「虹の橋」を掛けようとする。本来、虹は円形で、実は地球発天国着では終わらない。そう、環状線ように終わりのないエンドレス・リングなのだ。
 2007年も例年に負けず劣らず、たくさんの嬉しい誕生があり、数え切れない哀しい死別があった。七夕の季節が近づいて、長寿を全うし、昇天の刻を迎えたゴルの花子ちゃんはみんなに惜しまれながらも北の国から星の国に向かって旅立った。辿り着いた処はとても素敵なワンダフル・プレイランド! そこには、ドッグランパークは勿論、フラワーガーデンもウォータープールもある。何よりも素敵な事は、サン太陽も、ムーン月も、ギャラクシィ銀河もすぐ手が届くところにある。
 花子ちゃんの若いママであるムーさんは、スケッチを通して青い地球を駆け回るワンちゃん達と大空を飛び回るワンちゃん達に虹の架け橋を掛けようと思い立った。ワンダフル・リングは犬から人へ、人からリングへ、「愛と平和!」を合言葉にきっと永遠に続くだろう。半年かそこいらで、何十人にも広がったミクシィ仲間には数え切れないワンちゃんが繋がって来ている。何と素晴らしい!
 2008年ワンダフル・カレンダーを毎朝見て自らを元気付け、毎晩見ながらベッドに入って夢の世界で生死関係なく、ワンちゃん達と思いっきり駆けずり回って下さい。
 ご挨拶に引き続いて後記も抜粋してみる。
 一昨年酉年のクリスマスイブに、私は我が愛しのゴールデン、ドックを見送り、翌年の戌年には、追悼記『マイ・ラブ、マイ・ドッグ』を出版するに至った。更に今年のクリスマスイブには、たくさんのワンちゃんの協力を得て『ワンダフル・カレンダー』を恰も祖業アルバムのように残す事になった。
 ワンちゃん達は「アニマルセラピー」という仕事を人間に向けて実践し、自然界に於ける共生というものが如何に大切かを人間に教えてくれる。ワンダフル・カレンダーを側に置いて、願わくは現存するペット犬にはたっぷりの愛情を注ぎ、昇天したペット犬には追憶の彼方に夫々いっぱいの思い出を懐かしんで戴きたいと思う。

280.感覚が戻ってくるという不都合が一変して教訓を!

2007-12-18 23:56:50 | Weblog
 今年の新潟中越沖地震以来、私の体内に変化が起きているような気がする。
地下のマグマ溜まりのように高温で溶解状態の物質は、冷却されたり、固結されれば火成岩になるのだが、最近の自らの右半身にはそのマグマ即ち岩漿を思わせる何かがある。
 常時、病巣を抱えて暮らしていると、人は「爆弾を抱えて生きている」と表現することがある。故意に置かれた爆弾を取り除くにはどうするか。専門家がやってきて慎重に除去作業に取り掛かる。上手くいけば、何事も無かったように静けさを取り戻す。同じ場所での再発はあり得ないとも言える。だが、人間の体の中の変化は少し違う。極最近、忌々しい記憶に残る散弾銃殺人事件があるので、例にするのはとても辛いが・・・ 散弾銃はどちらかと言うと、ショットガンと違って多分一度の引金で連続発射が出来るのだと思う。そして、無数の鉛の玉が無数の発射で体の中に入り込む。例え命中しなくとも、ひとつでも体内に残れば、鉛の害は取り除く事が出来ない。鉛は触っただけでは人体に害があるものではないが、水俣病のように鉛が溶けて魚類に入り込んでとんでもない結果になることがある。
 普段、何も気にせずに飲んでいた水道管の水も現在は結構嫌われ物になってきている。昔は日本酒のワンカップ片手のオジさんをよく見かけたものだが、最近は飲料水のペットボトル片手のオバさんにもよく出会う。水道水も沸騰させてから冷やして飲む時代なのだろうか。温水器から直に注いだ水は飲料水には適さないというが、少量でも鉛が含まれているかも知れないという事だろうか。
 自然界を通ってくる水と水道管を通って人間社会に入ってくる水の違いをチョッと考えるのも面白い。水の源である山間部の地肌からの湧き水は適量のミネラルが含まれている。美味しいと味わえる水には適度なミネラル以外に適度な自然の炭酸ガスや酸素が溶け込んでいるという事になる。天然水には自然と適量という言葉が似合う。一方水道水では、その昔は鉛管が使われていたが、鉛が水中に溶け出して鉛中毒が罹患する危険があるという事で現在は避けられ、交換事業が進められている。海外の硬水は洗濯や飲料には不向きとはいうものの、水道管内でカルシウムが析出して膜を作るので、例え鉄管でも赤水が出ることはないということである。古代ローマ帝国では鉛管を使用していたが、これが帝国滅亡の原因だったとも言われている。日本を流れる川は全て海に直結だが、世界の多くの大河は色々な国を通っている。まるで空を飛ぶ飛行機のトラフィック・ライトを思わせるが、20世紀の「石油の戦争」は今世紀の戦いでは「水の戦争」が考えられるのかも知れない。殆どが軟水の日本では、相変わらず予算云々で未だ鉛管が使われている場合は少なくない。古代ローマ帝国滅亡の原因のひとつをもっと早くから知っていれば、日本人は鉛管を水道官には使わなかったかもしれない。
 今朝もトイレで水を流した時しみじみと考えた。見た目は綺麗に流れていても、水を流した後は必ずトイレブラシをかけてあげようっと! そうすれば、赤い汚れは出ない筈だから・・・ 左手だけでもブラシは使えるもの・・・
 そして、今、我が身を改めてじっくり考える。我が体内に既に潜在しているマイマグマである痺痛はトイレブラシ同様、始終ストレッチ運動などで対処してあげていないと・・・例え私なりに耐えられる痺痛でも、苦痛や激痛を感じなくともストレッチ怠ることは最悪の事体を招くかも知れないから!
 今日も音楽セラピーで鈴が勢いよく大合奏を始めたら、右側が「ガッガガーン!ガッガガーン!」と痺れ出して一瞬別の世界に行ってしまった。ベートーベンの「運命」でドボルザークの「新世界」へなんて駄洒落も浮かばないほどの痺痛だった! これぞ生きている証拠!

279.名犬ジョリーに憧れて・・・

2007-12-15 06:10:21 | Weblog
 初めてお邪魔した時は、ホント言って、なべあこさんという名前は「割れ鍋に綴じ蓋」からきたニックネーム(ゴメンナサイ!)かと思うほどビックリした。私は、決して関西人にはなれないが、関西人ほど興味深い人達はいないような気がする。友人にも、マイミクにも関西人は少なからずもいるが、何か不思議な魅力があると思う。「割れ鍋・・・」は割れた鍋にもうまく合う蓋があるという意味だが、それが「修繕した蓋」というのがとても可笑しい。「誰にでもピッタリ合う相手がいる」とか「似たもの同士が夫婦になればうまくいく」という時に使う例えである。
 ナベさんのお相手は超デッカイ子、ピレネー犬のぴっぴである。この子が確実にナベさんの鍋が割れても必ずデッカイ蓋になって治めてくれるという訳である。御年9歳だが、昨年、3歳のぴっぴとナベさんが紹介しているから、前の飼い主さんの所に既に5年以上いた勘定になる。
  超大型犬の存在を知らない人が家の前を通ったら、警察だの、保健所など、緊急出動の要請をされかねないという飼い主のナベさん! 愛犬ぴっぴは、大きいくせにお家大好きワンちゃん! だから列記とした屋内犬で今年の夏からはマンション犬の仲間入り!
 初紹介の時はピレネー犬初めてのトリミングから帰った直後だったらしい。自分も滅多には美容院に行かない方だというのに、お犬様は・・・ 4時間のシャンプーを終えて「これ、マイ・ペット?」とその美しい毛並みに驚き、お会計の金額には更に驚き、顔はマジに心底笑えなかったと本音をチョロリ! それでも犬バカのナベさんは・・・ その夜は、フサフサのいい香りの極上毛枕が素敵な夢に誘ってくれたのだろう!と想像する。 
 45キロのお犬様をシャンプーするのは・・・容易な事ではない筈。しかもぴっぴちゃんは大の水嫌い! どうする? 風呂場で暴れだしたら・・・ やっぱり、ナベさんはチョッと飲み代を節約してでも・・・
 綺麗なお犬様は好きですか? その連れのお姉さんもついでに好きですか? ナベさん、ゴメンなさい!
 あの初めてのトリミングから未だ半月ほどで、綺麗なぴっぴは綺麗な桜を見に行ったという事実が犬バカのナベさんには「ありがとう」の一言をあげたくなる。ぴっぴのお陰で「モテモテ!」だったが帰りはナベさんが「へべれけ!」という事で、気になるなあ! どうやって帰ったのかしら? ぴっぴの背中に乗ってご帰還だったのかしら? 気をつけてね。ナベさんは警察入りでぴっぴは保健所入りなんて、犬も食わぬエピソードでしょう! 残されたチビ柴こころちゃんが心から哀しむって・・・
 とにかく、なべあこさんの小さい頃からのデッカイ夢はグレートピレニーズをいっぱい飼って、口笛ひとつでドドドーッと駆けつけてくれるような環境で、夜は毎晩犬に埋もれて寝たいんですって! かなり本気らしくて、実現にはいったいいくら掛かるのかと心配しているようだけど、ナベさん、飲み代を・・・ねっ! 2D即ちドリームもドリンクも絶対に諦めないかもね!
 秋分の日の頃は、ナベさん泥酔状態にデッカイ犬が大脱走! こころちゃんはどんな顔で見守っていたのか・・・ 続いて飲酒運転・・・!!! 誰が? 決して犬共ではありません! でも、デッカイ犬ぴっぴちゃんには労いの意味もあって七五三には社員旅行には家族同伴、イエイエ犬同伴! 温泉と大部屋ではなく、キャンプ場のコッテージだったというから、ナベさんの心遣いが嬉しい! 尤も梅の季節には「ビッグワンパーティー」にも一緒に参加しているようで、ナベさんは女性でありながら、かつての日本の親父像をついつい重ねてしまう。更に、最近は大型犬OKのマンションの5階に引越したとか・・・ 犬の物音で近所迷惑を心配するより、飼い主の酔っ払い騒ぎの方に気をつけてね!
 その飼い主の酔っ払い騒ぎに、天晴れなぴっぴちゃんの行動が・・・ 11月7日の夜のぴっぴちゃんには「デカシタぞ!」を・・・ 気になる方はあの日のなべあこさんの日記を読んで下さい!
 チビ柴のこころちゃん、いつもデッカイぴっぴちゃんが全身で護ってくれるから安心していなさいね!

278.伝統的な日本の食卓は・・・

2007-12-11 07:45:24 | Weblog
 今や世界有数のグルメ国、日本は先頃のミシェランの星が幾つも燦然と輝いた事実が記憶に新しい。こんな小さな島国がグルメの宝庫だなんて、敗戦から干支も既に還暦を越えた今、どの先進国が想像していたと明言できようか。
 洋式の食卓は目前に数種類のナイフ、フォーク、スプーンが処狭しと並ぶ。日本式は箸が一組あれば、それで済む。正月を間近に控える季節になると「重箱」が話題になる。ご存知「重箱」は箱を積み重ねた箱で、食物を入れる為のものである事は誰もが知っている。正式には四季を表す意味で四段重とされていたが、四は死と発音が同じで忌み言葉だとして敢えて「与の重」などと呼ばれる。その重箱に関する文献は室町時代に見る事が出来る。一般的には江戸時代にかなり普及したらしく、武家や大名の処では漆塗などの豪華なものが作り出されている。また、狩りなどに出かける時に持ち運び可能な物も出始めていた。
 信玄弁当という持ち運びに便利な弁当箱は武田信玄考案だと伝えられている。二段重ねの入れ物を京都花町の甘味屋が昭和初期に模して累鈿製の器で「葛きり」と「黒蜜」を提供し、祇園で遊ぶ文人や墨客に好まれ、今も尚使っている。私も若い頃は、よく義母と立ち寄った店でこうして改めて綴っているととても懐かしい。
 さて、弁当と言えば「松花堂弁当」抜きでは語れないだろう。これは一段で中に十字形の仕切りがあり、被せ蓋がある器である。仕切りの夫々に刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄えよくいれてある。これは茶の湯での簡素な懐石料理からのもので、「幕の内弁当」というのがあるが、こっちの方は本膳料理の流れを汲んでいる。「幕の内弁当」は江戸時代中期に出始めたもので、芝居の幕間に幕の内側で役者が食べていたのだが、相撲では小結が幕の内力士という事で、小さなおむすびが入っている弁当を「幕の内弁当」と呼ぶようになった。
 では、話を「松花堂弁当」に戻す事にする。松花堂は江戸初期のある社僧の名に因んだもので、元は農家が種入れに使っていた器の形を絵の具箱や煙草盆として使用していたという。その入れ物が数百年の年月を経て、弁当の器にするようになった訳である。この発想は何と、あの大阪吉兆の創始者である。十字形の仕切りは互いの味や匂いを損なわないと考えられたものである。
 あ~ぁ、やっと今回私が語りたい事に近づいてきた! 
 日本の食生活が世界のグルメを驚かせたのはこの小さな島国は正に「山椒は小粒でも・・・」であると知らしめたいなと思ったからである。
 ごはんが主食の日本では「おにぎり」はまさしく握って掌でご飯を詰める食べ物である。そして「鮨」でも魚にご飯を載せて鮨職人が掌と指先を器用に使ってご飯を詰める。然るに「重箱」には種々の食べ物をいっぱい詰めるという事である。
そう、小さな国、日本にはたくさんの気鋭の日本人が重箱の隅を楊枝で突くようなテクニックで探したらどうだろう、きっといっぱい出てくる、と私は言いたかったのである。
 そして、日本独特な和洋折衷の年末行事、是非自分らしい和と洋のコラボを夫々に愉しいでみましょうよ! これぞ、日本ならではの醍醐味を見出す筈である。

277.亥年12月:カレンダーに夢中になる

2007-12-04 07:55:50 | Weblog
 何十年ぶりになるだろう、一年のこの時期にカレンダーに夢中になるのは・・・ 私が航空会社に勤務していた頃、エアーラインのカレンダーの人気は尋常ではなかった。日本での一番人気は「兼高かおる世界の旅」で有名だったパンナムPAAのカレンダーだった。
 兼高かおるさんに憧れて、世界に向けて飛び立った人もかなり大勢いたと思う。私も現役時代には時折、香港などの飛行場で出会ったが、疲労困憊の様子が記憶にある。だが、ひょんな事で、私が港区の外国人相談室々長をしていた頃、会合でよく会ったが、くたびれた様子は全く無くやっぱり素敵な女性を感じさせる人だ、と改めて思った。数年前、ある催しの際バッタリ車椅子の私に会うと「どうなさったの? 事故?」と心配して下さった。相変わらずの話し方とチャーミングな笑顔は私に「元気プラス魅了」を再認識させてくれた。
 PAAの「兼高かおる世界の旅」は1959年12月から何と30年10ヶ月も続いた番組だった。そして、更に60年代の日本人にPAAの名を知らしめたのは、何と大相撲千秋楽の表彰式で社のデビット・ジョーンズ氏が「ヒョーショージョー」と言って優勝力士にPAA杯のトロフィーをユーモアたっぷりに授与したからである。こちらも約30年間も続いたのだから凄い!
 私は個人的にはPAAの世界の美女のカレンダーが好きだった。愛社BAのカレンダーはお医者さん達が好んでいたようで、方々から確保を頼まれた記憶がある。気づくと自分用のが無くて慌てて営業の人から貰ったものである。
 今年は、前期に亡きドックちゃん付きのワンシート・カレンダーを、後期にはやはりワンシートにテトの写真を使って新聞販売所に作って貰った。
 だが、来年用のはミクシィ仲間のワンちゃん達と触れ合って空に見えない路線が広がり、更にマイブログに順次、登場をお願いするようになって自分で「カレンダーを作ってみよう!」という事になった。いつもは美術館側に立って鑑賞してはレポートを書いている私だが、今年は初めて製作者側に座って「カレンダー制作」に取り組んでいる。前出お二人のように30年は無理だろうが、せめて3年も続いたら自分に「敢闘賞」か「努力賞」をあげたいと思う。今年はさしずめ自ら「新人賞」を授与できるように頑張ってみようと思っている。何しろ、新人賞は一回こっきりだから、かなり夢中になってくる。そんなExcuseを用意してブログが休みがちになるかも、という私はやっぱりズルイ女なのかなあ!