猪突猛進の亥年が終わろうとしている。脳出血で倒れて足掛け早7年目を迎える。7年目の浮気という言葉がかつて流行ったが、7年目の再発というか再見には気をつけたい。病魔はそこいら中に蔓延っているから・・・ 右半身不随を宣告されて半年後には自分がたくさん抱えていた仕事の主たるひとつを捨て、ひとつを拾い上げる決心をした。捨てた仕事のひとつは家事労働である。家事労働を完璧にこなすには必須条件が五体満足であるという事は明らかである。お料理大好きだった私は食べる事に専念する事にした。だけど暴飲暴食は止めた。長年トライしてきたが結果を見るに至らなかったダイエット作戦は自然消滅し、アルコールも依存症を心配する事なくストップした。人生って悪い事ばかり続く訳でなく、いい事も背中合わせにやって来るものなんだと私は実感する。「都合つんぼ」という顰蹙を買うような言葉がかつてあったが、今は禁語になり死語になったらしい。簡単に自分を表現すると「都合掃除人」だった。普段は散らかし放題で気が向くと、徹底的に私らしいやり方で掃除しまくっていた事がよくあった。掃除がままならぬ身になった今、精々散らかすのを自粛しようと心がけている。
ところで、私が自ら拾い上げたもののひとつは言うまでもなく美術館関係の仕事である。これまでも趣味とは言わないまでも、好きな事を自分の仕事にしてきた私は「好きな事」と「出来る事」だけを受け入れる自分を長年に亘って見てきた。幸いなるかな、私は自分の仕事をいつも楽しんできた。病魔に出会った事で、その楽しみを捨てるには忍びなかったのが本音だった。亡き父が誤って転倒して、脊髄損傷が原因で両下肢麻痺を受け入れて車椅子生活を余儀なくする事になった時、言った言葉が記憶に残っていた。
「リハビリは自分の判断でする」
父は全てを取り戻すのは不可能だと考え、足を捨てて手を拾い上げたのである。無論、療法士は口を揃えて「歩く練習」と「手を動かす」事を目標にすると言った。だが、意見の相違を感じ取った父は自ら退院を希望し、自宅療法は「手の訓練」に絞られた。入院当時は手も足も思うようには全く動かなかった。既に70歳になっていた父は「時間を無駄にしたくない」と言い、更に「足は使い物にならなくなってもいい、生きている限り仕事をしていたい」と言って自分の意見を頑なに主張した。その結果、父は亡くなるまでの十数年間、決して歩く事は出来なかった。しかし、彼は急性肺炎で緊急入院した後、昇天の刻を迎える一ヶ月前まで障害生涯現役人生を送っていた。
親子はよくよく似るもので、私も歩け歩けのリハビリだけに時間を費やすのは避けよう、仕事を続けるのが人生最高の喜びだと断言する事にした。父親は趣味を兼ねたような翻訳の仕事を他界する寸前まで楽しんで稼いでいた。私は大好きな美術館関係の仕事に復帰した今現在、これぞ至福の時だと思っている。そして、私は別の全く別の楽しみをつい最近知った。
2007年は年頭から違っていた。前年の戌年に因んで亡き愛犬の追悼記を出版した事が切掛けでミクシィなるものを始めたのである。これが思わぬ転機を私に齎したのである。ミクシィの進め方も分からないままに息子の可愛いガールフレンドに招待された私は彼女が呆気にとられている内に、あれよあれよと言いながら仲間を増やしていった。その殆どがワンちゃん繋がりで今や五十人の仲間が出来た。暫くは余程の事がない限り増やすのは控えようと思っている。心が行き届かなくなって、自らの日記も、コメントも、メッセージも更に返信も「無責任」が一人歩きしてしまうような気がするからである。
今年は実に充実した多忙の年であった。美術館の仕事関係では前半にはドキュメンタリー映画制作の為に海外から撮影隊が来日した。映画は来年中旬にはオンという事になる。また、日本の専門新聞や雑誌社からのインタビューも立て続けにこなしてきた。そして、マイミクのワンちゃん仲間はそんな大忙しの私に豊かなリラックスタイムを約束してくれたのである。
そして今、私は自ら2007年の足跡を辿ってみようと思い立った。
ところで、ある著名な考古学者がこんなことを今更のように言っていた。
「日本人は着想力には欠けるが、それを一旦知るとその発展力は倍増して伸びていく」
曰く、日本では古墳が出現して間もなく稲作社会が生れている。なるほどね、と常日頃から思っていた私は今年一年を振り返ってつくづく頷いている。日本人が猿真似という好ましくないニックネームを貰っていたのは遥か昔の事で、今や猿真似が発展して独特な創作を生み出すのが日本人だという訳である。
猿真似という言葉、実はかつての私は敬遠していたが、今はそれほど自分から排除したいとは思っていない。猿真似上手な私がいるからこそ結果を残せる私がいる、と思えるからである。先ず、英語脳の話になると私は所詮FEN放送から流れ出る英語の歌を真似して歌っていた幼い頃の自分を思い出す。それがバイリンガルの名に対して自らもOKが出せる程になり、英文法ではprecisつまり要約の繰り返し学習に興味を持つようになったのである。
何かしらの散文などを手にとって、要点を掴み取るのは自分でも驚くほどの早業なのである。この作業に手間取ると、次が進まなくなる。読み聞きした材料を素早く自分なりに料理して私らしいエピソード作りに励む、これほど愉しい仕事はないと思ったのはつい先日の事であるといっても過言ではない。例えば、ブログに登場して貰うワンちゃんの日記やフォトを読むのだが、その時、チョッと分かり難い説明になるが、読んだ文章を脳に送り込んだ途端、英訳してしまう。そこでブレンダーにかけている間に関連のフォトを並べていく。即ち、自分で言うのも何だが、とても器用に脳では英語が動き回り、目の前の画面ではワンちゃんが「上手く纏めてね!」と語りかけ、私の左手は和文をパソコンに打ち込んでいく。私も驚いた! 徐々に出来上がっていくカレンダーには驚異にも似た感激が私に拍手を送ってくれているような気がしたのである。
マイミクの仲間達が異口同音、私には「ありがとう」を、また、手伝ってくれた障害仲間には「ご苦労様」を送信してきた。だが、私は本当の「ありがとう」をマイミクのワンちゃん仲間達に言いたい。多くの作家は書く材料が無くなって行き詰まるのに、ハイパーグラフィアつまり「書きたい脳」の持ち主は気楽なものだと私は思ってしまう。才能のない私は小説家には到底なれないが、幸い時折、ハイパーグラフィアの訪問を受ける事がある。小説とは違って事実を織り込んで書き綴る文章は止め処もなく私の脳内を埋めていく。とにかく、ミクシィのワンちゃん達は私に書き纏める材料を惜しげもなく提供してくれた。そして、ハイパーグラフィアを揺さぶってくれた。ありがとう、ホントにありがとう!
A Happy New Year!
ところで、私が自ら拾い上げたもののひとつは言うまでもなく美術館関係の仕事である。これまでも趣味とは言わないまでも、好きな事を自分の仕事にしてきた私は「好きな事」と「出来る事」だけを受け入れる自分を長年に亘って見てきた。幸いなるかな、私は自分の仕事をいつも楽しんできた。病魔に出会った事で、その楽しみを捨てるには忍びなかったのが本音だった。亡き父が誤って転倒して、脊髄損傷が原因で両下肢麻痺を受け入れて車椅子生活を余儀なくする事になった時、言った言葉が記憶に残っていた。
「リハビリは自分の判断でする」
父は全てを取り戻すのは不可能だと考え、足を捨てて手を拾い上げたのである。無論、療法士は口を揃えて「歩く練習」と「手を動かす」事を目標にすると言った。だが、意見の相違を感じ取った父は自ら退院を希望し、自宅療法は「手の訓練」に絞られた。入院当時は手も足も思うようには全く動かなかった。既に70歳になっていた父は「時間を無駄にしたくない」と言い、更に「足は使い物にならなくなってもいい、生きている限り仕事をしていたい」と言って自分の意見を頑なに主張した。その結果、父は亡くなるまでの十数年間、決して歩く事は出来なかった。しかし、彼は急性肺炎で緊急入院した後、昇天の刻を迎える一ヶ月前まで障害生涯現役人生を送っていた。
親子はよくよく似るもので、私も歩け歩けのリハビリだけに時間を費やすのは避けよう、仕事を続けるのが人生最高の喜びだと断言する事にした。父親は趣味を兼ねたような翻訳の仕事を他界する寸前まで楽しんで稼いでいた。私は大好きな美術館関係の仕事に復帰した今現在、これぞ至福の時だと思っている。そして、私は別の全く別の楽しみをつい最近知った。
2007年は年頭から違っていた。前年の戌年に因んで亡き愛犬の追悼記を出版した事が切掛けでミクシィなるものを始めたのである。これが思わぬ転機を私に齎したのである。ミクシィの進め方も分からないままに息子の可愛いガールフレンドに招待された私は彼女が呆気にとられている内に、あれよあれよと言いながら仲間を増やしていった。その殆どがワンちゃん繋がりで今や五十人の仲間が出来た。暫くは余程の事がない限り増やすのは控えようと思っている。心が行き届かなくなって、自らの日記も、コメントも、メッセージも更に返信も「無責任」が一人歩きしてしまうような気がするからである。
今年は実に充実した多忙の年であった。美術館の仕事関係では前半にはドキュメンタリー映画制作の為に海外から撮影隊が来日した。映画は来年中旬にはオンという事になる。また、日本の専門新聞や雑誌社からのインタビューも立て続けにこなしてきた。そして、マイミクのワンちゃん仲間はそんな大忙しの私に豊かなリラックスタイムを約束してくれたのである。
そして今、私は自ら2007年の足跡を辿ってみようと思い立った。
ところで、ある著名な考古学者がこんなことを今更のように言っていた。
「日本人は着想力には欠けるが、それを一旦知るとその発展力は倍増して伸びていく」
曰く、日本では古墳が出現して間もなく稲作社会が生れている。なるほどね、と常日頃から思っていた私は今年一年を振り返ってつくづく頷いている。日本人が猿真似という好ましくないニックネームを貰っていたのは遥か昔の事で、今や猿真似が発展して独特な創作を生み出すのが日本人だという訳である。
猿真似という言葉、実はかつての私は敬遠していたが、今はそれほど自分から排除したいとは思っていない。猿真似上手な私がいるからこそ結果を残せる私がいる、と思えるからである。先ず、英語脳の話になると私は所詮FEN放送から流れ出る英語の歌を真似して歌っていた幼い頃の自分を思い出す。それがバイリンガルの名に対して自らもOKが出せる程になり、英文法ではprecisつまり要約の繰り返し学習に興味を持つようになったのである。
何かしらの散文などを手にとって、要点を掴み取るのは自分でも驚くほどの早業なのである。この作業に手間取ると、次が進まなくなる。読み聞きした材料を素早く自分なりに料理して私らしいエピソード作りに励む、これほど愉しい仕事はないと思ったのはつい先日の事であるといっても過言ではない。例えば、ブログに登場して貰うワンちゃんの日記やフォトを読むのだが、その時、チョッと分かり難い説明になるが、読んだ文章を脳に送り込んだ途端、英訳してしまう。そこでブレンダーにかけている間に関連のフォトを並べていく。即ち、自分で言うのも何だが、とても器用に脳では英語が動き回り、目の前の画面ではワンちゃんが「上手く纏めてね!」と語りかけ、私の左手は和文をパソコンに打ち込んでいく。私も驚いた! 徐々に出来上がっていくカレンダーには驚異にも似た感激が私に拍手を送ってくれているような気がしたのである。
マイミクの仲間達が異口同音、私には「ありがとう」を、また、手伝ってくれた障害仲間には「ご苦労様」を送信してきた。だが、私は本当の「ありがとう」をマイミクのワンちゃん仲間達に言いたい。多くの作家は書く材料が無くなって行き詰まるのに、ハイパーグラフィアつまり「書きたい脳」の持ち主は気楽なものだと私は思ってしまう。才能のない私は小説家には到底なれないが、幸い時折、ハイパーグラフィアの訪問を受ける事がある。小説とは違って事実を織り込んで書き綴る文章は止め処もなく私の脳内を埋めていく。とにかく、ミクシィのワンちゃん達は私に書き纏める材料を惜しげもなく提供してくれた。そして、ハイパーグラフィアを揺さぶってくれた。ありがとう、ホントにありがとう!
A Happy New Year!