脳のミステリー

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84.漆のお箸

2006-09-28 06:08:23 | Weblog
 前回は赤ちゃんとお箸の話題で終わったが、西のイギリスの伝統も一寸覗いてみようか。私の留学先は英国系豪州人の家庭だったので、私に子供が生まれると銀のマグカップとか銀のフォーク・スプーンが贈られてきた。私への結婚祝いも銀のティーポットだった。
 以前にもマイ・ブログで取り上げたが「沈黙は金、雄弁は銀」はどちらに軍配をあげていいか分からない。そうかと言って必ずしも「雄弁よりも沈黙の方が有益」な訳ではない。そこで「雄弁は時間的なもので、沈黙は永遠なのだ」と考えるなら、喜ばしい赤ちゃん誕生に銀製品を贈る英国人やフランスの文豪ユゴーのジャン・バルジャンの銀の蜀台を私は思い出す事になる。時を経て鈍い輝きを放ち、且ついつまでも美しく気品溢れる銀の蜀台はジャン・バルジャン自らが犯した罪に苦しませる、そう考えると凄力を持つ銀は永遠の金に勝るのかなと私はつい思ってしまう。
 確かに、古代エジプトでも中世のヨーロッパでも銀の方が高価だった。だが、砂金は存在するが砂銀はなく、現代のジュエリー界でも相変わらず、価値観から考えると金の方が勝っていると言える。だが、金メダルと銀メダルを考えると、銀を土台に金メッキをした物をゴールドメダルとして出すという事で銀の底力に感心してしまう。金銀は好きずきと言ってしまえば、簡単だが「お金」と」なると一寸違ってくる。
 お金を扱うのに何故、金行とは呼ばず銀行と呼ぶのだろう? 普段はあまり気にしないが不思議と言えば不思議な呼び名である。中国の唐では、金製品と販売する商人を金行と呼び、銀製品を販売する店を銀行と呼んでいた。精製技術が進歩し、銀の産出量が金よりも多くなると、貨幣の主流は金貨から銀貨へ変化し、貨幣の使用が増えると大量の貨幣が必要になり、益々銀貨の方が普及していった。そして、銀行は経済の中心となる金融機関へと成長し、産出量が原因で銀は金よりも安価になったが、貨幣としては金よりも普及し、銀貨は経済の中心になった。これが銀行という呼び名の由来である。
 ところで、西洋で銀は伝統製品として丁重に扱われているが、日本では平安の時代から漆の存在がとても気になる。
 今年の誕生日に、私は姉から漆塗りのお箸をプレゼントして貰った。右手が不自由になった私が食卓で時折、ブツブツ独り言を呟いているからだ、と言っていた。
「食べる時、一苦労なのよね・・・」
家でなら、スプーンで掬い上げても、フォークで突き刺しても仕方ないかって思うけど、外ではそうはいかない、お里が知れるっていうものだ。私は外出する時、常に車椅子に箸、スプーン、フォークを載せている。今日からお箸の格上げという事である。
 姉の創作御箸―さすがだ、持ち易い、使い易い! 昨年の還暦祝いの漆の杖に続いて、私という贅沢者は今度は漆のお箸に出会った! 天然はいい! 自然はやっぱり凄い! ありがとう、みっちゃん! 後生大事に使うからね! ああ、日本人に生まれてよかった!

83.箸は日本の文化

2006-09-25 06:20:05 | Weblog
 9月の連休も無事に終わった。私流箸休めも今回で一応終了にする。以前は子供の頃、夕飯の食卓で箸の上げ下ろし云々という事で和風マナーを自然と躾けられたものである。何故、敢えて夕飯時って時間限定にしたかって? 朝はどの家庭も忙しかったし、夜はTVを見るわけじゃないし・・・ 我が家は食事中の会話はOKだったし、それ以上に「暢気な母さん」の異名が付いていた亡き母曰く、
「朝っぱらからガミガミ躾けはお互いに気分が悪くなって一日が台無しになるでしょう!」
 ところで、マナー違反も所変わればで、国によって様々である。留学生の頃、結構目を丸くした記憶が何度もある。憧れの淑女のママがレースで縁取られた綺麗な花柄のハンカチを出して(ここまでは素敵でしょ!)いきなり人前で鼻をかんだのだ。呆気にとられる私の横で、何とクシャクシャのハンカチを無造作にオロトンのバッグ(当時豪州のレディに絶大な人気を長い間持ち続けていたドイツ製のバッグの事)に突っ込んだ! 紳士はこれをポケットに突っ込むのだ! 更にビックリしたのはハンカチでなくティッシュだったら、鼻をかんだ後、長袖の手首の所に入れたりする人も少なくない! 半袖だったら何処に押し込むの? 仕方ないからご婦人はバッグに入れるの。男性は? 知らないわ! イギリス人も、ドイツ人も、フランス人も・・・ そう、オーストラリアはヨーロッパから来た人が多いから・・・ 兎に角、フランス語でハンカチは「手拭布」というより「鼻をかむ布」の意味なのだ!
 さて、前回に続いて今回の話題は日本の食文化の象徴である「お箸」で、お祝い事では真っ先に取り上げられるが、忌み箸とか嫌い箸は禁じ手の事でマナー違反とされる事に触れてみよう。タブーな箸の使い方は驚くなかれ30種類近くもある。
 幼い頃、先ず「握り箸」の癖が付かないように直された記憶がある。これは片手で二本の箸を握って食べる所作である。その際、極力右手を使うように矯正された子もいる。箸で人や物を指し示す「指し箸」や「叩き箸」といって箸で食器を叩いて音を出し、その音で人を呼ぶ所作などは言語道断である。安食堂や飲み屋で時折、見られる光景だが、最近若い子が出入りする居酒屋では決して流行らせたくないなと思ってしまう。食べ方も突き箸、受け箸、寄せ箸、探り箸、もぎ箸、咥え箸、掻き箸、噛み箸、洗い箸、直箸、込み箸、せせり箸等々・・・信じられないほど様々なタブーに頷いてしまう。
 どの料理を口にしようかと迷い、料理の上で箸を動かす「迷い箸」も似たような「移り箸」も手をピシャンと母にやられた記憶がある。「重ね箸」といって1つの料理ばかり食べ続けると「ばっかり食べはダメ!」と言われたものである。あの頃は、魚料理が多かったので骨付き魚の上側を食べた後、魚をひっくり返さずに骨越しに裏側の身をつついて食べる「すかし箸」も制限された。思い起こせば、注意する母自身が実に上手に魚を食べていたが、あっぱれの一言だった。箸から箸へ料理を渡す「合わせ箸」という所作も激怒を買ったものだが、母の遺骨を拾う時、拾い箸とか箸渡しという言葉を思い出した覚えがある。神妙な顔をする時に、こんな妙な事を考える私はやっぱり奇人変人!? 兎に角、自由気侭に育てられた私だが、お箸の使い方には厳しかった明治生まれの母には感謝している。今、私は左手に一生懸命教え込んでいるが、これが結構難しいリハビリになる。
 ところで、子供の誕生を祝い、成長を願う日本の素晴しい伝統文化に「お食い初め」というのがある。百日か百二十日目に初めて食べ物を口にする祝いの儀の事で平安時代の貴族社会から始まった。食べさせる真似事をするのだが、祝膳の器も平安時代は漆塗りだった。この祝膳には「箸初め」とか「箸揃え」「箸立て」といったりするところから考えると器より箸に重きが置かれていたとさえ思われる。秋篠宮家に親王誕生という事で、暫くすると「箸初の儀」があるから、ただただマスコミに挑発されてワイワイ騒ぐだけでなく、こんないいチャンスを日本の伝統再確認の時にしたら如何かしら?

82.箸休めのこぼれ話 その2

2006-09-24 05:29:21 | Weblog
 十二進法の話を続ける事にする。興味がなかったら、今回は素通りしてもいいかな・・・
 かつてゼロと数字の話をした事がある。大昔に人間が言葉を獲得し始めた頃、物々交換が始まり、物の数を数える事が生じてきたという事にも触れた記憶がある。最も身近な両手の指の数を利用して物を数えたのだろうという事は容易に想像がつく。この指の数型が10を単位にする十進法の起源だと言われる。片手で10を数えるのは国や地域によって異なるが、日本の一般人は指を折って、次に指を出して数える。十進法に慣れ親しんできた私には英語習得と同じくらい十二進法に慣れるという事は大変な事だった。
 単位の十二進法は1年が12ヶ月である事に因んでいる。満月と新月の回数がほぼ12回という事で、これが古代文明では1年を12ヶ月として暦にした。1年が365日として、12で割って凡そ30という事で、12と30が時間の基礎になったのである。昨年私が迎えた還暦には「高が干支を一周り!」とふざけたが、60は12と30の最小公倍数と言う訳だ。東洋人としては中国式に年を十二支で呼び、十千と合わせた干支は60年で一周すると考える方が分かり易いかも知れない。
 物の数を表すダースは最も日本人に親しみある西洋の単位である。ゲルマン語派には11と12に特別な言い方がある。英語ではeleven、twelveドイツ語では elf、zwölfで意味は1余り、2余りという事で、十進法に基づく言い方だとすると、成る程、それが生き延びて十二進法との関連ができるという訳か。十二進法は2、3、4、6で割り切れるので便利であるというかも知れないが、じゃあ、2と5でしか割り切れない十進法は不便だとは言えないだろうに!!!
 最後に、私にとっては英語をマスターするのに一役買った十二進法を今一度取り上げてみたい。十二進法は、親指以外の四本の指の12の「指の節」を使った事から始まり、その起源は十進法と同様に古い筈だ。節を親指の先で順番に数えていけば12まで間違える事はない。位が上がればもう一方の手で同じ様に数えれば12x12は144という事になって何と1グロス(12ダース)まで数えられるという訳だ。右半身不随の私には出来ない芸当だが・・・! 12の二乗が12ダースなら、12の三乗をグレートグロスと言い、12x10はスモールグロスと言う。グロス発注とかグロス注文は最近では日本の貨物業界でも耳にするがこの時のグロスは「全部で」という意味である。
 村の渡しの船頭さんは今年六十のお爺さん・・・なんて今では一寸失礼な歌があるが、去年六十の元気印は未だ未だ洒落っ気があって、グロスと言えば、唇に塗るリップグロスを思い出している。
 何れにしても以前にも記したが、オーストラリアで十二進法のお金の単位を習うのには苦労したが愉しい想い出である。今は百進法に改正されたが、昔のイギリスの通貨制度はかなり複雑だった。1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスで、かつてはイギリスにはギニーという単位があって1ポンドより僅かに高いが、その額面の硬貨もあった。そして何故か、1ギニー=21シリングと複雑だが、実は江戸時代の日本の貨幣はもっと混み入っていたらしい。複雑なポンドのお蔭で英語の習得は急行列車に乗ったかのように、猛スピードが付いたが、渡豪して暫くして十二進法の豪ポンドが百進法の1ポンド=100セントになって簡単だが、ちょっとガッカリした覚えがある。
 兎に角、「苦あれば楽あり」である。

81.箸休めのこぼれ話 その1

2006-09-23 10:41:17 | Weblog
 今日はちょっと箸休めの話を! 9月は私にとって特別な月である。敬老の日?まさか! 還暦祝いの赤い漆の杖は手元にあるけど未だ未だ・・・! そう、9月には私の誕生日がある。思い起こせば、第二の故郷、メルボルンに旅立ったのが海外渡航自由化実施年の9月末だった。そして50代半ばで迎えた第二の誕生日がある。私は5年前の9月23日秋分の日の昼下がり、双子で甦ったっけ! 結構難産だった! 第一の誕生の時は出迎えが私の家族だったが、第二の時に私を迎えたのは自らの脳だった。第一では脳で五官の機能が働いて五感の鋭鈍がものをいう事実を私に用意してくれたのだが、第二ではご丁寧にも右片麻痺という余計なお土産を付けてくれた。それまで自由気侭に毎日を送ってきた私は「不自由」も一緒に受け取ってしまったのだ。元来、遠慮はしないし、贈答品に「つまらないものですが・・・」という言葉を付けるのが嫌だ、と言っていたのが幸か不幸か、余計なものまで受け取ってしまったという訳だ。それならば、と私らしく、不自由気侭な生活を自ら手に入れてみよう、と心が勇み立ったのである。
 あれから5年の月日が経った。そして昨日の午後、例年の事だが、1年ぶりでMRI室の前に私は立った。撮影が終わって脳外科医を待つ私は面接試験に臨むような緊張感を覚えていた。暫くすると、名前を呼ばれ私は脳外科医の前にそそと進んだ。医師の前には、脳の写真がズラッと並んでいた。久しぶりのご対面である。「元気?」と話しかけたい気分である。
「別に変わりはありませんね!」
あれっ? そうか今日は金曜日か! 聞いた事のあるよう無いような声は・・・目の前に座る医師はいつもの医師ではなかった。去年定年退職した谷川医師の後は3人の医師に診て貰ってきている。座っていたのは今回、MRIの予約をしてくれた若い岡見先生だった。彼が指す先に黒い物が見えた。正しく私を襲った被殻出血の痕跡である。戦後の焼け野原は黒く焦げるようだが、私の脳の被害跡ははっきり黒く残っていた。病魔があの日あの時、私の脳の中の被殻で突然立ち止まって、血流を塞き止めようと頑張った場所か! 交通だって、渋滞ならいざ知らず、スムースに走る高速道路なんかで突然一台が止まろうものなら、堪ったものではない。忽ち、何台もが追突事故を起こしてしまう。そうか、私の体の中の高速道路みたいなブラッド・サーキュレーションで順調に流れていた筈の真っ赤な血がちょっとひとつ進行の不具合が出たら、血流は一車線なんだから、溢れてしまって玉突き事故を起こすのは必至だという事である。幸い、一瀉千里とまでいかなかったのが、九死に一生を得たと言える。
 ほうほうの体で甦り、二度目の誕生日を双子で受け入れた私は、不幸中の幸いで人間にしか与えられない「言葉」を残して貰った事に心から感謝した。二つある手は半身不随の悪影響をガッチリ受けてしまったが、一つしかない口と心は奪われなかった。脳の中にも捨てる神と拾う神がいるのかな? 口と心と左手は脳を絶えず刺激して、しかも英語脳を大事に扱ってくれるので私は逸早く社会復帰が出来たと思っている。
 数ヶ月ぶりに障害者センターの「ブラッシュアップ・イングリッシュ」の講習会が再開した。この講習会は私がリーダーになって英語脳を刺激する会とでも言おうか、隔週二時間ほど、英語で喋ろうと集まって出来たサークル活動である。センターと合体した区営住宅は例のシンドラー製のエレベーター事故で話題になった建物で区の職員や警察やマスコミの人達で混み合うから、と言う事で長ーい夏季休暇を頂戴していたのだ。久しぶりの会合には新メンバーが加わって、談話は延々と繰り広げられた。
 話題は「お金」の事、イエイエ投資の話ではありません。
金は今から約6000年前、古代エジプト文明やメソポタミア文明において既に作られていた事が確認されているのは周知の事である。一般的に、金には絶対的或いは普遍的な価値があると言われ、歴史も又その事を証明している。金の価値はその永遠性が評価されているところにある。
 ところで、金の通貨としての役目は金本位制の廃止により終わっているが、世界の金の約半分は各国政府や中央銀行により外貨と同じように準備資産として保有されている。金には何ら裏付けは不要で、金は金だから価値があるという訳だ。どんな状況においても、誰によっても受け入られる金は究極の決済手段と言える。
 日本人は何故か、好きなくせにお金を汚いもの扱いする事が間々ある。私が留学していた豪州では、確か、みーんーなお金大好き人間だったような気がする!!!
 日常生活に於いて絶対に必要だという事で、初めの数週間は「買物とお金」を教材にして私は色々教えられた。留学当時、豪州は未だ英国同様にポンドを貨幣として使用していた。ポンドはかつてはLibra(天秤)であった事から、英国のスターリング・ポンドは頭文字のLの筆記体£をその記号にしている。因みにスターリングは純粋の意味がある。この音を耳にして「独裁者スターリン」を思い出すあなたはまさしく昭和の子、「スターリン・シルバー」を頭に浮かべるあなたは平成のお洒落さん! 最後のgは無声音になるから・・・
 お金の話に戻ろう。Lはアルファベットの12番目の文字なので、ポンドという貨幣は、そうか、だから十進法でなく十二進法なのか。十二進法のお金のしくみを覚えるのに少なくとも1週間は優に費やした記憶がある。お蔭で様々な事を学んだ事も思い出される。
 そして、この十二進法勉強会が豪州の今は亡き父母(ちちはは)の元で毎晩実施された事が私の脳の尾状核を夢中になって活動に導いた原点だと思っている。

80・お箸の国―日本

2006-09-21 08:13:55 | Weblog
 リハビリにお箸の正しい使い方が役に立つのは日本くらいかしら? 中国も韓国もお箸が大き過ぎて持ち難いし、欧米の人はリハビリをする前に健手でいっぱい練習しておかないとね!
 最近、飛行機の中や、海外において外国人がお箸を上手に使う光景も珍しくなくなったというのに、箸を正しく使えない日本人が大人を含めて非常に多く感じる。「お箸の国」といわれる我々日本人が、正しくお箸を使えないとは何たる事か。
昭和40年代の初めに思わぬ状態に置かれた事があった。二十代だった私達は今でこそ「似てますね」と言われるが、似ても似つかぬ姉妹でアジアの友達だと思われたものである。
 東京駅八重洲口の地下街の日本蕎麦屋に入った時の事である。サラリーマンや旅行客で賑わう店内はお昼ちょっと前という事で比較的空いていた。それでも昼時の客数を予想して姉妹は横並びに座った。蕎麦を食べる二人の前にサラリーマン風の人が数人やってきた。食卓は長いテーブルで椅子も長椅子だった。口に蕎麦を頬張ったところで「ここ、いいですか?」と話しかけられた姉妹は返答に困り、口に蕎麦を押し込みながら頷いた。ドヤドヤと座り、各々の注文が終わると一人の若い男が言った。
「上手いもんだなあ! そこいらの日本人より箸の使い方が上手い」
「そうだな、俺より上手いかも」
「タイからの子と香港からの子かな?」
「うん、そうだな、きっと」
何の話? 誰の事? 姉妹は無言で食べ続けた。いや、寧ろ、無言で食べざるを得なかった。何故? だって、そこで急に姉妹が喋り出したら、サラリーマン達が恥をかくでしょう! タイ人に間違えられたのは姉で香港人に見えたのは私だった! 二十代の頃の私達姉妹にはこれに似通った逸話がもっともっとある。お望みとあらば、またの機会に・・・
 さて、お箸の話に戻ろうか。
 箸の使い方と脳の働きには深い関係があり、箸を使うという行為が非常に複雑な手の動きを要求する為、脳の発達に大きな影響を与えるという事がわかっているというのに・・・ 箸は東アジア地域特有の食具だが、中国・朝鮮・ベトナム・日本以外の国では定着しなかったというのに・・・ そして今、日本は多くの日本生まれや日本育ちを失いつつあるという事に私は気付いている。先だって、柔道の国際試合で「えっ! 柔道ってフランスのスポーツじゃないの?」なんていう驚きの声が聞こえたのが私には驚きだった! お箸も嘆かわしい末路なんていう事にならないようにしないとね!
 箸は中国語で「快子(クァイーツェ)」といい「素早く動くもの」の意である。この「クァイーツェ」がどうも英語圏の人には「Chopsticks(チョップスティックス)」と聞こえたらしい!?!? 日本の「箸」は「挟む」もしくは「端で掴む」が語源である。料理屋等でよく聞く「お手許(おてもと)」は「ハシ」という呼び名が「端」に通じ、縁起が悪いとされるからである。
 実は幼少の時に箸の正しい使い方を学ぶ事は頭と手の発達、更に躾けという面でも大変重要な要素といえる。「箸」には何で「御箸」と丁寧な接頭語がつくのか。中国で箸が発達したのは儒教の影響が大きいが、手づかみはどうしても一回で掴む量が多くなってしまうから、がっついた印象を与えるという訳で、目上の人と同席する時に、そのような悪い印象を与えるのは礼儀上甚だ良くないという事で、礼儀作法を記した儒教の経典「礼記」に正しい箸の使い方が書かれている。
 日本では現在も東京のど真ん中の赤坂日枝神社では毎年8月4日(はしの日)、お世話になったお箸に感謝を込めてお焚き上げをする「箸感謝祭」が古式ゆかしく執り行われる。この時、神社では五穀豊穰・万民和楽を祈る祝詞が奏上され、使用済みの箸が焼納される。
 人間は、脳で生まれたイメージを、手を使って表現してきた生物で、生物の器官は使えば使うほど、そして環境によって進化(発達)し、その逆だと衰えるのである。日本人は脳と直結する第二の脳の手と指を、毎日箸を使う事によって進化させてきた。
 亡き父が思うようにお箸を使えなくなった時、というより彼の場合は、ペンが握れなくなった時と言う方が適切かも知れないが、一生懸命両手に胡桃を握ってリハビリしていた姿が記憶に残っている。そこで、欲張りな私は胡桃プラス御箸でリハビリしよう!

79.ミクシィ現象が教えてくれた事

2006-09-16 06:07:42 | Weblog
 最近は、企業の実態とはかけ離れた株価に極端に驚く事も無くなってきたような気がする。新たな人気サービスが続々と生まれるネット業界は、サービス開始のタイミングを逃すと、即新たな世代交代を迫られる。一日に何と7万人もの会員が増えるという驚異的な企業ミクシィが新規上場した。つい2年前、18歳の長寿を全うして他界した我が家のペット猫、ヒマラヤン三毛猫の名前がミクシィだった! ミクシィは自分らしさを頑なに護った御猫様だった。だが、2年で甦って、ご多聞に漏れず我が家でも話題になったこの名前は何と今を時めくSNSの一社の社名でもある。どのチャンネルでも新王誕生の画面が賑わすのは微笑ましいが、TVをつければ株価の話題が即流れるのは如何なものかと私は思う。少し前は、株をやっている人は夫々密かに(オーバーかも?)自分から値をチェックしていたものだと記憶している。手軽なTVの情報は、ほぼ無知でも少々の金を持っている人の気持ちを煽るような風潮に眉を顰めてしまうのは私だけだろうか。
 さて、外来語の出現に驚いていたのは遥か昔の昭和の時代で、平成も今現在になるとカタカナも忘却の彼方に押しやられ、意味不明のアブリベーション、おっとゴメンなさい、略語が時も場所も考えずに噴出している。略語がIT関係に使われると慌てふためいてしまうのが現代日本人気質とでも言おうか。置いてきぼりにならないように焦るわけだ。頭文字だけが一人歩きする世の中で、自分らしさを失う恐怖に慄く事になるのではないだろうか。
 SNSとはそうか、social network serviceの略語か。セレクトされた人と情報交換するという事だが、確かに「セレクト」と「選出」とでは微妙に意味合いが違う。SNSではカタカナを利用した方が意味がまともに伝わる事が多いのも面白い事実である。
 兎に角、現ミクシィは猫のミクシィが逝去する2ヶ月前に機能提供に踏み切った企業である。金に縁遠い私は株価云々はお預けにして、ミクシィなる企業を蚊帳の外から見てみようかと思い立った。
 ミクシィでは掲げられたテーマに関心ある者が集まって掲示板などを利用する仕組みになっている。ミクシィの登録者なら誰でも自由に掲示板を作成できる。とは言っても紹介登録方式をとっている。イベントとしてメンバーの中から参加者を募ったり、択一式の回答をアンケートとしてメンバーに求めたりする。顔が見えないから?と懸念する私を前に、ネットの掲示板ではありがちなイザコザの対処法も予め教えてくれている。紛争回避の為の脱会や特定の人には参加させない機能も備えているらしい。
 「パソコンは便利な物だが、決して入り込まない」が私の頭の中には刻み込まれている。不便な障害社会に突然入り込み、抜けられない事になったが、嬉しくも感じている。不自由な所に置かれた私は殊の外、便利を有難く思うのである。
 ミクシィの企業内容を知るにつれ「人間らしさ」が失われていくような気がするのは私だけだろうか。顔が見えない、誰だかはっきり分からない、だから無責任になってしまう。責任回避には消去法を使えば簡単だという事になるのではないだろうか。五感が無視されるパソコンは私にとってはやはり未だ未だどころか永遠に生涯の親友にはなれないだろう。
 急成長しているミクシィがそれを改めて教えてくれた。「乗り遅れ」とか「置いてきぼり」を気にせず、マイペースで人間ならではの道を外さず進もうと私は願う。
障害者というのは実に便利だ、と思う私は奇人変人かしら? 時に流されず、自ら進む障害者は得てして、ふと立ち止まって、新しい事をよくかみ締めて既成概念を掘り起こす達人なのかも知れない。

78.もうカレンダー作成の季節か!

2006-09-14 09:01:28 | Weblog
 秋の長雨とはよく言ったものだ。今週の天気予報は新聞もTVも傘マークのオンパレードだ。雨雲という大きな傘が日本の上空に開いて天高く待機する青空をスッポリ隠している。恨めしい大きな雨傘の下に色とりどりの傘が華やかに所狭しとパッと咲く。「シェルブールの雨傘」の音楽が頭を横切る。
 昭和中頃まで、雨傘には結構無頓着だった日本の女性も凝り出したら止まる事を知らないのか、年々鮮やかな柄が増えている。いい事だ。地味だ、地味だと言われ続けてきた日本女性も少し前はかなり華やかだった。綺麗所がさす唐傘は華やかな着物に合わせて単色でも鮮やかなものだった。太い竹の骨に和紙を張って油を引いた番傘でさえ明るい感じだった。因みに、番傘って、不意の雨に商店が番号を付けて客に貸したんだって! 今じゃ、ビニール傘だから、味気ないわね。それに、紳士向けの傘は黒、茶、紺といった具合に暗ーい感じで、一日の始まりが憂鬱になっちゃう! せめて街を歩く女性には色々な傘で花を咲かせて欲しい。
 さてさて、車椅子の私は外出が出来なくてかわいそう? いえいえ、とんでもない、港区の福祉バスが迎えに来てくれるの! 贅沢でしょう! 過保護でしょう! 久しぶりに絵手紙教室に参加した。懐かしい先生が出戻りの私を笑顔で迎えてくれた。今年度前期の授業最後の今月の課題は「カレンダー」との事。何を描こうか? 思案に暮れた私は暫く雨降りの空を見詰めていた。季節感を考えると益々考え込んでしまうのがカレンダー作りである。何気なく和紙に目を戻すと、その向こうに何本かの筆があるのに気付いた。「そうか、筆か、筆にしよう!」私は筆を乱雑に置いてみた。襷掛けのように重ねるのは不味い、何処かの校章になってしまうから。平行に、でも乱雑に置いてみた。いいじゃない! 中々、風情があっていいじゃない! こんな身近な所にこんなにいいものがあるなんて!
描けた! 妙なもので絵を囲む文字はスラスラと頭に浮かぶものである。
― 筆を見て右手に嘆く私を前に 絵筆を握る左が笑う ―  
 筆なら、季節に無関係でカレンダーの何月をも飾る事ができる! 

77.銀ブラ現代版

2006-09-10 13:56:07 | Weblog
 大正末期から昭和の初めの頃まで、一日に一回は銀座をふらつかないと眠れないなんて風習があった。銀ブラは文字通り、東京の銀座通りをブラブラ散歩する事である。
 銀座は、1612年から1800年までという長い間、江戸幕府の銀貨鋳造所があった場所の地名だが、あまりにも有名な日本を代表する繁華街である。近世、東京といえば、原宿、六本木、表参道といった具合に好みの繁華街は色々だろうが、銀座は格別な雰囲気が漂う通りである。
 9月9日は救急の日だとかケンタの日だという。違う違う、サンタの日じゃない、ケンタの日!ケンタッキー・フライドチキンの創業者誕生の日なのだ。では、どれ程の現代日本人が9月9日は重陽の節句だと知っているだろう。陽の数である奇数の極である9が重なる事から重陽と呼ばれて大変めでたいとされている。
 余分な話はこれくらいにしておこう。とにかく、この週末は残暑お見舞い復活みたいな土曜日だった。前々から予定していた銀ブラに私は娘と出かけた。現在の私は車椅子で移動の身だから、あえて言うなら、銀ブラならぬ銀スーイスーイかも知れない。今や世界の宝飾店が建ち並び「私はどこに居るの?」と問いかけてしまいそうだ。でも、昭和の敗戦っ子の私は高級店と言えば、和光、ミキモトといった老舗で、特に旧服部時計店は昭和の臭いが嬉しい事に残っていた。ミキモトの店員は風貌こそ現代人だが、接客態度が美しい日本語に出ていて私を喜ばせた。
 子供の頃、麹町に住んでいたせいで、銀座は私の遊び場だった。デパートの屋上も然る事ながら、吹き抜けの建物を上下するエスカレーターは正に売り場がスケルトン状態で子供は興奮したものである。土日出勤もよくあった航空会社時代は昼食時間を利用しては、銀座の日本中央競馬会場外馬券売場に足を運んだものだ。そして、夕暮れ時には仕事仲間と夜の銀座に繰り出して、配当金以上のお金を使って愉しんだものである。
 あの頃から、始まった歩行者天国にはこの日も現代の日本人が溢れていた。以前は多くの子供が目に付いたが、今は大勢のお爺さんにお婆さんが視野いっぱいに入ってくる。これまでは、人混みの中に自分も入り込んでいたようだが、車椅子だと妙に客観的に人混みが私の目に映るものだ。時折、車椅子の銀ブラを愉しんで、現代日本のオーラに触れてみるのもいいだろう。
 日本が一気に一億総中流社会に飛び込んでいった時代は、私もその渦中にいて無我夢中だったが、今、徐々に格差社会に移行していく姿は時折、車椅子を場外に出して、しっかり観察したいと思っている。

76.素敵な二人の女性

2006-09-06 20:47:12 | Weblog
 気がかりな女性が二人いる。二人には共通点が幾つかある。チャーミングな女性、センスある女性、勇気ある女性、気配り心配りのある女性、そして何とも心苦しい共通点がこの二人の素敵な女性にはある。それは癌! 顔も知らない二人は別々の病院で今、癌と闘っている。
 癌で旅立った友人は結構いる。大きなショックは凡そ10年前に私は既に味わった。学友の一人が肺癌で半世紀という短い生涯を閉じた。娘と二人で彼女を見送る為に十字架の前に立って、私は「どうして?」と答えに詰まるような問いを投げかけた。彼女は無言のまま天に召された。昨年、クリスマスの直前には南十字星の元に旅立った大切な人を、私は北半球の寒空の下で見送った。留学時代から兄と慕った彼は会った時から生涯経済学者で、私は始終様々な事を教えて貰った。南と北という遥かな距離を超えて、いつも私の良き相談相手だった彼にも私は「どうして?」と疑問を投げかけた。みんなに惜しまれながら、たくさんのエピソードを残して彼はやはり無言で逝った。
 女友達は社会人になってからは私の航空会社の客室乗務員を勤めていた。あの頃、私達は彼女の仕事に引っ掛けてハワイで遊んだ。豪州人の兄はケンブリッジ大学の客員教授として1年間イギリス生活をしていたが、あの時も愛社の飛行機に飛び乗ってロンドンヒースロー空港に飛んだ想い出がある。共に、華やかに飛んでいた青春時代の想い出である。
 今、私のすぐ側に癌と闘っている女性がいる。医学は目覚しい発展を遂げていると信じている。私の祖父はスペイン風邪が原因で38歳の若さで命を落としている。今から100年近く前の流行疾病だった。女友達は平成に入ってまもなくの他界で、日進月歩の医学も今なら彼女を救えたかも知れないと悔やむ。豪州の兄は21世紀に入っていたとはいえ、他の病気を併発していたという事実が僅かに私の気持ちを救ってくれた。精神科医の妻は「彼は彼なりにベストを尽くして、昇天の刻を自ら選んだのだと思う。そう思ってあげて欲しい」と私を慰めてくれた。
 今、癌と闘っている女性の治療の実態を徐々に知ってくると自分の闘病はほんの虫けらに思えるほど壮絶という言葉そのものの闘いなんだなと思う。音楽セラピーで取り上げた『涙そうそう』は胸が詰まって歌えなかった。未だ未だ若い彼女の姿が脳裏に浮かんで離れないのだ。
― あなたの場所から私が見えたら、きっといつか会えると信じ生きて行く、晴れ渡る日も雨の日も思い浮かぶあの笑顔・・・会いたくて 会いたくて君への想い 涙そうそう ―
何て素敵な詩だろう。何と私の気持ちをそのまま運ぶ詩だろう。そう、年齢差のある私達は「いつか一緒に私の故郷オーストラリアに行こうね」って話し合ったわね。そう、詩を寸借して「きっといつか行けると信じ生きて行く」と結んでおこう。約束不履行は彼女と私の間にはあり得ない・・・

75.意到りて筆随う

2006-09-05 09:02:08 | Weblog
 右片麻痺を受容して以来、筆もペンも持つ事は可能から遠ざかったが、思いのままに筆ならぬ左手を動かして優れた詩文に挑戦する愉しみを持つ今、私なりに確かな第二の青春時代を感じる。
 先日、いつものように脳のミステリーに没頭していると、つい先頃梅雨時に始終私の海馬を刺激していた英語脳のウェブサイトを一寸、覗き込みたくなった。現代の優れ物であるパソコンはいつも私に嬉しい予感を運んでくれる。無論、切捨て御免!も中にはたくさんあるが・・・
 この日は嬉しい予感があたった。幼稚園児を抱える素敵なママに出会ったのだ。子育てが専業か、はたまた、英語指導が専業か、ご本人にマイクを向けない限り分らないが、私が思うには専門業は人間業であって後は全部が副業の筈だ。人間であるからには、特権ともいうべき『言葉』を大切にして欲しい。
 この未だ見ぬ若いママは母語であろう日本語も正しい使い方を心得ているようだし、実に頼もしい。最近、日本という国や日本人という人種に少し嫌気がさしてきているところにこの女性は私に少しでも安堵感を与えてくれた。大いに期待して、心からエールを送りたいものである。
 ところで、聴く耳を持つという事はとても大切な事である。人間の耳が先ず発達して、その大きさは生まれた時から然程大きくならない、と記憶に残っている。耳には福耳という素敵な名称もある。しかし、漢書には「百聞は一見に如かず」といって繰り返し他人の話を聞くよりも実際に自分の目で確かめた方がよく分るという訳だが、聴き間違えより見間違えに気をつけた方がいいような気もする。耳できくという行為に聞という字と聴という字を使い分けた私の狡さ、気が付いたかな?
 パソコンの良さは五感の内の視覚と聴覚をフルに使い、更に思考力や記憶力をくすぐって様々な事を学んだ後、投稿という形で自分の考え方を表現してみる事ができるという事だと思う。投稿すると、可笑しな批評も貰えるかも知れないが、再度、考えるような評価を得る事もできるという訳だ。四捨五入ではないけれど、自分なりの悪捨良入を絶えず試みては如何かな? 
 とにかく、片麻痺の私は今、『意到りて筆随う』という言葉が我が友といったところである。