脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

私はバイリンガル♪

2014-02-25 09:28:55 | Weblog
脳内の角回って知っていますか

角回・・・相撲(角力)の各界ではありませんよ~

角回とは、異種感覚統合野の一部で、視覚・聴覚・触覚による刺激がそこでひとつに統合されるのですが、左半球の角回は言葉の関係構造を扱うのです。

脳卒中などで左の角回にダメージを受けると重い言語障害になるということです。

左脳をやられた私は幸いにも角回が傷つかなかった、ということでしょうか

更なる幸運は、私がバイリンガルだったということらしいのです

右半身不随と言っても過言ではないほどの重い右片麻痺を受容した私は発病二週間足らずの後、母語を押し退けて英語だけは流暢に話していたのです。

バイリンガルは灰白質が多く存在していて、更にその下にある白質の密度が高かったからでしょうか

ひとつの言葉しか話せない人よりふたつの言葉を操れる私はニューロンの数も多くてニューロンどうしの接続も促進されていたと、いうことでしょうか

若き頃の留学に感謝、それ勧めてくれた両親に感謝です

脳出血発病後ズット後になって「英語脳」という機能で視床の下方にある尾状核が活発に働いていることも知ることになりましたが、何れにせよ私はバイリンガルに感謝するのです

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
mentality (noga)
2014-03-02 22:43:19
脱亜

意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制はない。
日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。
加害者意識 (罪の意識) はない。贖罪のための宗教もない。悔い改める姿もない。信頼もされていない。
被害者意識と受け身の姿勢ばかりでは立つ瀬がない。
恨みと仕返しの連続か。この種の感情で特亜の民は盛り上がる。これでアジアに未来はあるのか。ああ、むなしい。

歴史を忘れた民族に未来は無い。‘我々はどこから来たか、我々は何者であるか、我々はどこに行くか’ の哲学的命題は大切である。
‘我々はどこに行くか’を大同として語れば、未来社会の建設に協力者もできる。お互いの小異を捨てることも可能になる。特亜の袋小路から抜け出すこともできる。
これらの命題を考えるためには、文法に時制が必要である。
時制があれば、過去、現在、未来の同じ内容を別々の世界として表現できる。未来と過去の内容は、夢・幻の雑念にとどまることはない。哲学になる。
後進世界である特亜言語の世界を脱して、欧米世界の一員となろう。




返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。