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この坂は自転車ではチョッとキツイ、桜の花びらの絨緞です。
潔く散っていきます…
この本は老人クラブが一年の昔の暮らしを月ごとに紹介しています。
善根宿…お遍路さんを泊める宿…昭和の初めごろまでつづいていた。
昭和六年に満州事変が起こり、戦況が長期化するにつれて接待は次第に少なくなり、太平洋戦争が発展するといつとなはなく姿を見かけなくなった…特に桜の咲くころが一番多かった…リンリンと鈴の音を響かせながら山あいの遍路道を行脚する光景は春の風物詩であった。接待は、道筋の人々は自宅の道端で、道筋からはなれている白沢、府内、西山方面の人々は、打越寺下の私の家に集まり一人一人に施していた。接待の品々は自家製の白餅、よもぎ餅、あられ、ゆでた芋、白米、チリ紙など心のこもったものばかりである。接待人は婦人達であり、その接待が終わると、私の家に集まり、民謡や流行歌を歌いながら、打揚げをするのを楽しみにしていた。特に「オハラ節」が流行したころは、順番に歌い、よくはずんだものである…当時私の家を含め五、六軒の遍路宿があった。(山河内 中原シゲ様談)…戦争は何もかも無くすんですね、最近遍路さん多いから平和なんですね。寒茶さん。
潔く散っていきます…
この本は老人クラブが一年の昔の暮らしを月ごとに紹介しています。
善根宿…お遍路さんを泊める宿…昭和の初めごろまでつづいていた。
昭和六年に満州事変が起こり、戦況が長期化するにつれて接待は次第に少なくなり、太平洋戦争が発展するといつとなはなく姿を見かけなくなった…特に桜の咲くころが一番多かった…リンリンと鈴の音を響かせながら山あいの遍路道を行脚する光景は春の風物詩であった。接待は、道筋の人々は自宅の道端で、道筋からはなれている白沢、府内、西山方面の人々は、打越寺下の私の家に集まり一人一人に施していた。接待の品々は自家製の白餅、よもぎ餅、あられ、ゆでた芋、白米、チリ紙など心のこもったものばかりである。接待人は婦人達であり、その接待が終わると、私の家に集まり、民謡や流行歌を歌いながら、打揚げをするのを楽しみにしていた。特に「オハラ節」が流行したころは、順番に歌い、よくはずんだものである…当時私の家を含め五、六軒の遍路宿があった。(山河内 中原シゲ様談)…戦争は何もかも無くすんですね、最近遍路さん多いから平和なんですね。寒茶さん。