時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

雲海が好き。

2007年01月25日 | 

雲海の上は、いつも快晴だ。

飛行機に乗り、運良く窓際の席をゲットできた時に、窓から見下ろす雲海はこのうえなく美しい。
地平線や水平線の果てまで続くかのような雲海の広がりは、心を穏やかな気分にさせてくれる。

雲海の果てには何があるのだろう?おそらく何もないだろう。
でも、見てると何かがあるような気さえしてくる。

雲海は、何かに遮られることなく陽光を浴び、さまざまな影を作る。
陽光を浴びた部分は、まぶしさのためにキラキラ光っている。
雲海の上で世界を照らす太陽光線は、痛い程までにまばゆい。

こんな姿は、決して地上からは見る事ができない。
地上から見上げる雲と、上から見下ろす雲海は、影も形も違うのだ。


雲海の上を飛ぶ飛行機の窓際の席では、「もしこの地点で外に出たら(そんなことはできないけど)、空気は薄いんだろうな、寒いんだろうな」とも思うこともある。
そんな時、空気もまた海なのだ・・と思う。

で、世界は・・すべての大地は空気という名の大きな海の中にある。
海水でできた海は底にいくほど暗くなるが、空気という海は、底にいくほど汚れたり濃くなる。


また、「雲海の上はこんなに快晴なのに、太陽を遮って世界を暗くしたり、雨を降らせたりする雲海は罪作りだな」とも思うことがある。
でも、雲海のその美しさは、機上の人にとってみれば、罪を帳消しにする美しさを持っていたりする。


ついでにいえば、下に広がる雲海だけでなく、上に広がる青空も美しい。
汚れた都会であっても、雲海は美しく、その上に広がる青空は別世界である。
飛行機より遥か上空にあるのは、薄い絹雲だ。
だが、下に広がる雲海の雲と、1万数千メートルの高度にある絹雲では、同じ雲でも印象はだいぶ違う。

絹雲は、雲海の雲も、雲海の上を飛ぶ飛行機も及ばぬ上空にある。
もし雲に「位」というものがあったのなら、さしずめ絹雲は「天上人」ならぬ「天上雲」の位に相当するのではないか。
よく見ると、絹雲には品すら感じる。
身分が違う感じがしてならない。


かつてラジオの深夜番組に「ジェットストリーム」という番組があった。
この番組では冒頭に、素敵な詩の朗読があった。
絹雲は、ジェットストリームの朗読が似合うようなロマンがある。

とはいえ、絹雲の存在が、下に広がる雲海の素晴らしさを低めることにはならない。
雲海には絹雲にはないドラマチックさがあると思っている。


飛行機に乗って、窓際に座れた時にしか出会えない、非・日常の世界。それが雲海。
あんなに厚みもあり、あたり一面を覆って、その下の地上世界を隠して特別な世界を作っているのに、誰もその上に乗ることはできない。

しかも、その世界は刻一刻と地形(?)を変えてゆく。
儚さと美しさを伴った、神秘的な世界がそこにある。
そこには動物もいなければ植物もいない。国境すら無い。だから、人間が引き起こす醜い光景もない。
所々、高山の頂上が雲海の中に顔を出しているが、あれこそ雲海に浮かぶ島であろう。



考えてみれば、雲海という国は、理想の世界なのかもしれない。
でも、わがままで欲深く罪深い存在はそこに住むことはできない。
いや、だからこそ、人間が住めないようになっているのかもしれない。

仮に人が住めたとしたら、すぐさまその美しさは汚されたり、なんらかの利益のために利用されて姿が消滅したり、下手すれば愚かな争いを始めるであろう。
愚かな人間のやりそうなことは、大体想像がつく。

そんなことを考えてみれば、雲海は人が住めないから、いいのかもしれない。



分厚い雲海の日でも、場所によっては雲が薄く、その下にある大地が透けて見える時もある。
透けて見える大地には、箱庭のような山が続き、山と山の隙間に糸のような道が走っている。
くねくね曲がっている。

よく見ると、その糸の上には、アリのような小さな車がある。チマチマと動いている。進んでいるつもりなのだろう。
山と山の間の平野には、隙間を埋めつくすように小さな建物がびっしり建っている。
平野部分だけでは足りないのか、よく見ると山の中にもポツポツと建物が建っているのがわかる。
本当は、山を崩して建物を建てたいと思っているのかもしれない。


あの下界に、色んな欲望が渦巻いているのか。
様々な煩悩が細胞のように下界を構築しているのか。
などと思いつつも、自分もあと何時間後には・・せいぜい何十時間後には、あの欲望・煩悩の大地に戻らなければいけないのか・・などと考えると、自分が下界の住人であることを実感し、苦笑もしてしまう。
自分の住所は、あの下界の中なのだ。


で、雲海の上の方ががどうなっているのかなど知らぬまま、下界で酒を飲み。
しょうもない歌を作って歌い。
自分を取り巻く「下界」という世の中の動きに一喜一憂しながら。
時には愚痴などをこぼしたかと思うと、些細なことで機嫌が良くなったりして。

そうやって自分がしょ~もなく小さな人間であることを晒しつつ、ご飯にはカラシの効いた納豆をかけて食べてる・・ってわけだ(笑)。


で、雲は、そんな下界を覆うように広がっている。
きらめく陽光、まぶしすぎる陽光を浴びて影を身にまといながら。

雲海。
それは不思議でもあり、その儚さがもったいなくもあり。

でも・・・だからこそ、その一瞬一瞬の美しさは果てしない。








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