トッポジージョというキャラクターは、世界的に有名なキャラで、日本でもお馴染みであろう。
元はイタリアの人形劇のキャラで、種族はネズミである。
世界的には、ミッキーマウスの次あたりに有名で人気のあるネズミキャラかもしれない。
日本でも1966年にテレビ放送されていたことがある。その後1978年と1988年にもテレビで放送された。
1988年版は、アニメ版だったようだ。
私が覚えているのは、やはり幼い頃に見てた人形劇バージョン。
で、トッポジージョの番組内で、流れていた曲で、当時私にとって印象的で、しかも大好きだった挿入曲があった。
後から知ったことだが、その曲のタイトルは「さすらいのトッポジージョ」という。
当時は、その曲の出だしの歌詞をそのままタイトル代わりに覚えていた。
曲調は哀愁のあるもの寂しい感じで、どこかムーミンに出てきたスナフキンの「おさびし山」にも通じるような郷愁を感じた。
哀愁や郷愁を感じると共に、一種のカッコよさも感じたものだった。その孤独さを感じさせる雰囲気に。
当時覚えた、この歌の歌詞は断片的だった。
なのでネットで調べてみたところ、こんな歌詞だった。
♪ 月が昇るよ ポコアポコ
影と2人で ポコアポコ
時々お目目が ママミーア
ああ さすらいの さすらいのトッポジージョ
夕日が沈む ポコアポコ
このうち私が覚えていたのは出だしの「月が昇るよ ポコアポコ」と、「時々お目目がママミーア」の部分だった。
とりあえず当時は「月が昇るよ ポコアポコ」というタイトルで自己流に覚えていたものだ。
「ポコアポコ」というフレーズが印象的だったので、正式タイトルはてっきり「ポコアポコ」ではないかとも思っていた。
短調の曲で、リバーブのかかった口笛などが似合いそうな寂しげなメロディラインに、通常のアニメや特撮番組には少ない大人っぽさも感じた。
子供向けのアニメや特撮番組には、たいがい明るく軽快で親しみやすくて可愛いメロディの曲が多かったのだが、それでもたまに哀愁を帯びた大人っぽい曲が使われることもあった。
前述の、ムーミンに出てきた「おさびし山」もそうだし、タイガーマスクのエンディングテーマ「みなしごのバラード(?)」しかり、サスケに出てきた「かあさんのうた」もそうだ。
他にもあったはず。
そういうタイプの曲は決して多くはなかった。だからこそ、たまにそういう曲が出てくると印象深かったので、心に深く刻まれたものだった。
で、この「さすらいのトッポジージョ」も、そんな1曲であった。どこか、西部劇っぽい要素も感じたっけ。
ネットで検索したのだが、私の探しかたが「ざっと」だったので生憎見つけられなかった。
だが、トッポジージョ関連の音源を集めたアルバム「トッポジージョとうたいましょう」という企画モノアルバムには収録されている。
幼い頃にこの曲を聴いていた時、歌詞の「ポコアポコ」という言葉が非常に気になった。
この曲では何度も使われていた言葉だったし。
当時は分からなかったが、ネット検索してみたら「ポコアポコ」というのは、イタリア語で「少しずつ」という意味らしい。
さすがイタリア生まれのキャラ・トッポジージョらしい言葉。
「ママミーア」という言葉は、きっとイタリア語の「マンマ・ミーア」のことだろう。ちなみに「マンマ・ミーア」は「なんてこった!」という意味だ。
当時はイタリア語の意味などさっぱり分からなかったし、ただただ「ポコアポコ」「ママミーア」という言葉は、曲の雰囲気からそれとなく意味合いを連想して聴いていたと思う。
ポコアポコとママミーアという言葉の響きは、幼少の私には新鮮だった。
特にポコアポコという言葉の響きは好きだったし、この番組が終わってからもずっと私の心の中に残っていた。
なんとも可愛らしい響きにも感じられたこの言葉が、哀愁のメロディに乗っかっているということで、この曲は「ポコアポコ」という言葉と共に私の心に深く刻まれたのだろう。
この曲が、オリジナルのイタリア版にも使われていたのかどうかは分からない。仮に使われていたとしても、もちろんイタリア語で歌われていたはず。
もし日本版でのみ使われたのだとしたら、こんな粋で素敵な曲を作ってトッポジージョに挿入したスタッフのセンスに脱帽だ。
この曲が番組内でどんなシーンに流れていたのかはもう記憶にないが、この曲はこの曲だけで映像を視聴者に想像させてしまう魅力があったと思う。
おとぎ話のような風景の中で、ジージョがたった一人で月を見上げながら眠たそうに歩いている・・・そんなシーンを想像してしまう。
もうその日一日は・・・終わったのだ。後は、帰って休もう。
元気に活動していた昼間は終わってしまったけれど、明日になれば、また陽が昇るさ。
何か今日、辛いことがあったとしても、もう休もう。
そして明日の太陽の下で、元気に過ごそう。
でも、闇が訪れて、一日が夜に向かう様は、やはり寂しいな。
子供にとっては、夜は未知の領域であり、なまじその闇の領域を知らないから翌日元気になれるのかもしれない。
時間がたてば、誰もが成長していくのだ。闇を少しずつ知るようになりながら。
そう、少しずつ。
ポコアポコ。
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