「死」に対する浅ましさと厚かましさについて、
前回では「100日ワニ騒動」を取り上げました。
今回は「志村けん報道」についてです。
残念ながら志村けんさんが亡くなりました。
これほどの有名人ですから、
詳細は説明するまでもありません。
自分もそのニュースをネットやテレビで見ていましたが、
ひとつだけ不愉快なものを見てしまいました。
それは御兄上様への「取材」です。
つまり近親者へのインタビューですね。
そもそも、あれは「必要不可欠」なものなのですか?
実兄の自宅前に待ち伏せして、
いざ当の本人が現れたら、
いかにも神妙な顔や言葉遣いで、
何でもいいから何かをしゃべらそうとするあの行為…
近親者が大変なのは今なのです。
そしてこれからも大変なのです。
それは近親者が亡くなった経験がある方が持つような、
共通認識だと思います。
自分も経験上、そうでしたね。
それにもかかわらず、
あるいは「人のよさ」に付け込んで、
とにかくインタビューに応じさせようというあの魂胆…
なぜ、あそこまでしてインタビューさせたいのでしょうか?
勿論、当の本人がしたいのならそれでもかまいませんが、
この場合、明らかにそのような素振りはなかったと思いますよ。
もし視聴者のための取材とか、
ファンのためのインタビューとか言い出したら、
絶対に信用しませんね。
そんなもの一切合切望んではいませんよ、
少なくとも自分はね…
今はそっとしてあげるのが一番じゃないのですか?
第一、「不要不急」なら自粛要請が出されているのに、
マスメディアはそれを悉く無視していますからね…
それとも、遺族や近親者の悲しむ姿を撮影して、
視聴率を稼ごうとしているのですかね?
もしそうであるならば、
そこには「死」に対する浅ましさと厚かましさしかございません。
「他人の不幸は蜜の味」そのものですからね。
自分は昭和46年生まれのオッサンです。
ですから、
小学生時代に見たドリフの番組は、
その楽しさ面白さともども、
決して一生忘れることはないでしょう。
志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。
合掌