前回からの続きです。
沖縄における「基地反対派」と「基地賛成派」という図式は、
表面上は「多数の反対派」と「少数の賛成派」となるのが、
当然の帰結となるでしょう。
現にあの県民投票では「反対派」が多数でしたし、
今年おこなわれた県知事選では基地反対派が再選されました。
そういうことでありますから、
沖縄タイムスやその記者は念願であったであろう、
まさに「多数派」となったわけです。
こうして「基地反対派」でもある彼らは、
自動的に「少数派」から「多数派」に転じました。
しかも仮の話ではなく実際にそうなったのでありますし、
現在進行形でもあるわけです。
さて、前回は「数の力」すなわち多数派である日本、
いや、ヤマトンチューの仕打ちによって虐げられた沖縄、
抑圧され続けるウチナンチューというようなことを、
沖縄タイムスの紙面上で主張されておりました。
この逆転劇で考えなければならないのは、
「多数派」の立場になった沖縄タイムスとその記者たちは、
「少数派」であるはずの「基地賛成派」へ、
いったいどのような待遇や配慮をしているのでしょうか…
ということです。
「数の力」によって抑圧され、
多数のヤマトンチューによって虐げられてきた、
マイノリティな「基地反対派」である彼らは、
いざ自分たちが「多数派」に転じた場合、
どのようなアクションを起こすのでしょうか。
抑圧され虐げられてきた「少数派」であるような、
そんな不遇な自分の経験体験を生かして、
「基地賛成派」たちへの特別な配慮や、
彼らに寄り添うような親身さや親密さを振舞うのでしょうか。
残念ながら一切そのようなことはありませんし、
それは現在も継続している状態です。
しかもそれが未来永劫続くのではないかと、
悲しくなってしまいます。
自分たちは「数の力」すなわち多数派によって虐げられ、
「抑圧された!不遇だ!不幸だ!」
と「多数派」を常々非難しているのに、
いざ自分たちが「数の力」という「武器」を入手すると、
「基地賛成」派に対しその武器を振り回しているのですから…
では、どのようなことが実際に行われているのか、
「基地反対派」が振り回す「武器」とは何なのか、
ということになります。
多数派ゆえに様々な「武器」があると思いますが、
自分は「基地反対派」が持つ二つの「武器」について、
特に沖縄タイムスやその記者といった、
マスメディアが行使する「武器」について、
自分なりに論じさせていただきます。
一つは「無視」で、もう一つは「演出」です。
長くなるので次回以降に続きます。