空と無と仮と

「論破王」ひろゆき氏と沖タイ「ブーメラン王」阿部岳氏の戦い③

前回の続きです。

「多数派」へと立場が逆転した「基地反対派」が、
「少数派」である「基地賛成派」へ仕掛ける「武器」について、
一つは「無視」であると先述しましたが、
これは特に解説するまでもないと思います。

今風にいえば「報道しない自由」そのもので、
基地反対以外の考え方や意見やその行動を、
まるで何も無いかのように装うことです。

その反面、基地反対に関するあらゆるものに対しては、
例え極少数の参加人数しかいないデモであっても、
新聞の紙面上にはデカデカと掲載されるのです。

また、沖縄タイムスやその記者にとって、
「多数派」と「少数派」の関係は同時に、
「加害者」と「被害者」との認識でもあると先述しましたが、
学校における「いじめ」の初期段階というのは、
その相手を無視することから始まるといわれます。

沖縄タイムスやその記者たちは、
「少数派」ゆえの苦しみや不遇を経験しているはずなのに、
なぜ堂々と「少数派」を虐げるのでしょうか?
どうしてそのようなことができるのか甚だ疑問です。

もう一つの武器「演出」については、
若干の説明が必要かと思います。

そもそも何を「演出」しているのかといえば、
沖縄における「雰囲気の醸成」だと思います。

ではその「雰囲気の醸成」というのは何かということですが、
もっと具体的にもっとわかりやすくいえば、
沖縄の「全て」が基地反対といったものの、
ただならぬ「雰囲気」だと思います。

そういった一丸となった沖縄そのものを象徴する言葉が、
「オール沖縄」「県民の総意」ではないしょうか。

数千人数万人、ましてや数十万人が全く同じ意見だとすれば、
それはファシズムや独裁政治であると確信しており、
たからこそ「ただならぬ」と表現しましたが、
沖縄では北朝鮮に代表されるような、
ファシズムや独裁が横行しているのでしょうか?

さすがに独裁ではないと思いますが、
つまり、沖縄は全てが基地反対であるかのような、
目に見えないが拘束力が抜群な「雰囲気を醸成」し、
それを効果的に「演出」しているのが、
沖縄タイムスをはじめとする地元マスメディア、
ということになると思うのです。

これらを今風にいえば「同調圧力」という雰囲気を、
あるいは空気といったものを、
地元マスメディアは醸成していると思われます。

「少数派は黙って従え!」と、言わんばかりですね。
ついさっきまでは「数の力で少数派を虐げるな!」なんて、
被害者面で嘆いていたのにね…

このように「数の力」をいいことに、
正に「報道しない自由」とただならぬ「同調圧力」を駆使し、
基地賛成派という「少数派」を抑圧し虐げているのではないか、
自分たちが被った非道な仕打ちをそのまま、
自分たちとは違う意見の人々へ、
容赦なく打ち込んでいるのではないかという、
のっぴきならない疑問が生じるのです。

そうやって沖縄タイムスと阿部記者はともに、
ひろゆき氏が仕掛けた辺野古騒動の当初から、
これ見よがしにブーメランを投げつけたということです。
本人たちがそれに気づいているかどうかは不明ですが…

さて、この件について、
皆さんはどう思われるのでしょうか?

ただし、ここで確認してもらわなければいけないのが、
あくまで多数派と少数派という関係についてであり、
基地反対や賛成についての是非を問うてはいないということ、
これだけは理解していただきたいです。

個人的にはどちらでもかまわないですし、
地元の人が決めればそれでいいと思っております。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。


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