前回の続きです。
初めての訪問は大失敗でした。
結局は泥だらけになっただけだし、
暗闇の中で呆然としたまま、
なにもすることができませんでした。
そういうことがあってから数年後、
再びアブチラガマを探索する計画を実行。
1996年夏のことでした。
自分はその当時、
沖縄に住んでいたというわけではありませんから、
色々わけあって数年後になってしまいました。
でもその頃はヌヌマチガマや他のガマも友人と、
あるいは一人で探索しておりましたので、
後回しにしていたアブチラガマに再挑戦、
というような意気込みで一人、
糸数へと足を運んだのでした。
前回の失敗を繰り返さないように、
泥だらけになってもいいような服装と、
「ホームセンターかねひで」で買った軍手と、
いつものジャングルブーツ。
それに暗闇を明るく照らすために、
「マグライト」と「シェアファイア」といった、
豪華二本立てフラッシュライト。
いや、単に懐中電灯なんですけど、
買ったら買ったで高かったんですよね…
特に「シェアファイア」は小さいけど、
リチウムイオン電池のヤツだから、
直視してはいけないほど物凄く明るくて、
しかも一万円ほどしたヤツですから…
現在はLEDでしかも安価なフラッシュライトがありますよ。
当然のことながら、
アブチラガマの場所はわかっておりますので、
カーナビがなくても大丈夫。
といっても、
当時もカーナビ付きのレンタカーはありましたが、
その分割り増し料金だったので、
貧乏がデフォの自分としては、
普通のレンタカーしか借りませんでした。
今は標準装備になってますけど…
それにスマホがあれば十分ですよね。
また、アブチラガマの内部も、
詳細な図がありましたので準備は万端です。
当時参考にした詳細図です。
実際に持っていったのはコピーでした。
これで遭難する可能性はなくなりましたよ。
ま、ちょっと大げさですけどね…
前回同様、
現在では「出口」となっている場所からスタート。
カメラが入ったリュックを背負い、
軍手をつけながら記憶を頼りにロープを探す…
「おや?」
「あれ?」
「あれれれ~?」
なんと、立派な階段ができているのではありませんか!
しかも頑丈な手すりまで下まで続いているのでした…
泥だらけで上り下りをしたあの急斜面が、
もう、すっかりなくなっていたんですね。
アフリカマイマイの殻さえありません。
その他のゴミも一掃していたのですね。
まさか階段まで設置されているとは、
実際に見るまで思ってもいませんでしたので、
ちょっと拍子抜けしたっていうのが、
いや、だいぶ驚いたっていうのが、
正直な感想でした。
繰り返しになりますが、
自分は沖縄で生活していたわけではありません。
でありますから、
そういった情報を事前に知ることができなかったです。
地元の人はもちろんのこと、
沖縄で生活していた人たちからすれば、
新聞等の情報で簡単に知り得たかもしれません。
それに1990年代はインターネットさえ、
自分はまともにやっていなかったですから、
いやはや、知りようがありませんでした。
でも、まぁ…仕方ないか…
訪れるたびに整備が進んでいくという光景は、
90年代後半以降、たびたび遭遇しましたからね。
ということで、
何だか物足りなさを感じつつも、
一人トボトボと階段を降りていきました。
次回以降に続きます。
参考文献
石原昌家 「虐殺の島 皇軍と臣民の末路」 晩聲社 1979年