空と無と仮と

いいかげんなテレビ番組だなぁと思う瞬間 ニコライ堂と東京大空襲

「林修のニッポンドリル」という番組は見てますか?

 

関東だとフジテレビ系列で毎週水曜日の夜に放送しているテレビ番組です。

2月6日に放送したものは、なんとなく後半だけ見ていました。

ま、実をいうとそのあとに放送する「ホンマでっか!?TV」を、

毎週とは言わないまでも見ていたから、

とりあえずチャンネルを合わせただけなんですけどね。

 

いわゆる「ながら見」で何気なく見ていたのですが、

この時は東京の神田須田町とニコライ堂についての内容でした。

須田町とニコライ堂が、あの東京大空襲にもかかわらず、

その地域だけ焼け残ったというエピソードでした。

 

「ながら見」の自分からすれば、

はたまた歴史オタクで飛行機オタクの自分からすれば、

「そういえばそうだね…」程度です。

自慢する気は毛頭ございませんが、

特に目新しい事実でもないんですよね。

 

しかし、なぜ焼け残ったか?

という問いに対する答えが「ホンマでっか?」ってなったのです。

 

「米軍がニコライ堂を避けて爆撃したから焼け残った」

というような内容を、

さかなクンみたいな「れきしクン」?が紹介していました。

さてさて、米軍はどうやってニコライ堂を避けることができたのでしょうか?

 

答えは簡単、

そんなことはできません。

 

もっと具体的にいうなら、

当時の科学技術あるいは軍事技術では、

そんなピンポイントで特定の施設を避けるなんかはとても無理。

逆説的になりますが、

ピンポイントで狙うのさえも難しかったからです。

巨大な施設であるニコライ堂でもね。

 

そもそも、東京大空襲というのは無差別爆撃でしたが、

精密爆撃の成果が得られないがゆえの方針転換です。

特定の目標物を爆撃すること自体が難しいのに、

どうやって特定の目標物を避けることができるのでしょうか?

 

難しい理由に当時の軍事技術を第一に挙げましたが、

他にも様々な理由があります。

日本軍の反撃も理由の一つでしょうが、

意外と知られていない理由の一つが「風」なんです。

 

B29爆撃機はサイパンから出撃しました。

硫黄島を通過して一路本州に向けて飛びますが、

本州までの目標は富士山だったそうです。

目標が関東近辺ならまず富士山を目指し、

それから割り当てられた目標へと進路を変えていったようです。

つまり一定のルートがあったということですね。

 

しかしその一定のルート、

特に東京方面の上空には「偏西風」が吹いていました。

別名「ジェット気流」です。

日本の気象にはあまり詳しくはありませんし、

説明する気もございませんので、

興味がある方はググってくださいな。

 

「ジェット」という名称だけあって、

風が強いんです、速いんです。

そしてその方向というのが、

B29の飛行ルートとほとんど同じなんです。

つまり追い風になってしまうのです。

追い風ということは、

すなわち飛行速度も上がるということです。

陸上競技の「追い風参考記録」と同じ原理ですね。

 

飛行速度が上がってしまうと、

いったいどのような影響があるのか?

 

固定された的にボールを投げてみると、

人にもよりますが比較的簡単に当たりますね。

しかし的が動いていた場合はどうでしょう。

格段と難しくなりますよね。


物体が水平移動(ボール)か垂直移動(爆弾)かの違いはありますが、

ボールが当たらないこととまったく同じ原理で、

速度が上がれば上がるほど命中率が低くなるのです。

伝統行事の流鏑馬だって、

的の距離が遠くになればなるほど当たりませんから。

 

いわゆる「未来予測」の難しさは説明するまでもありません。

ま、この場合「未来射撃」のほうがいいかもしれませんが…

 

「だったら、ジェット気流を避けて飛べばいいじゃないの?」

確かにそうです。

しかし仮にそれよりも高く飛べたとしても当然のごとく、

命中率がどんどん下がっていきます。

それよりも低く飛べば、

すかさず日本軍の反撃が待っています。

戦闘機はもちろんのこと、

高射砲という大砲にまで攻撃されます。

ちなみにその当時は「ジェット気流」の存在さえ知られていませんでした。

 

遠回りする、

あるいはジェット気流とは反対方向に飛ぶような「向かい風」ならどうか?


この件に関しては燃料の消費量という、

航空機特有の問題があるんですね。

ただ、燃料消費の計算や機体自身や爆弾などの積載量なんて、

細かいことまで理解する必要はございません。

 

遠回りして燃料切れにでもなったらどうなりますか?

特に海上だったら…


向かい風が台風並みの強さだったら、

歩いたり走ったりすると体力を余計に使いませんか?

それが飛行機だったら、何が余計に消費されますか?

サイパン→東京→またサイパンという、

すこぶる長大な距離を飛ぶってことだけを認識していただければ十分です。

 

 「一定のルートがある」ということは、

すなわち「そのルートしかなかった」のです。

そのルートしかなかったらやってみたけど、ダメだったんです。

それゆえに米軍は精密爆撃に効果がないと判断し、

無差別爆撃へと方針を転換したのです。

 

また「ノルデン爆撃照準器」という、

目標物に照準を合わせる機械が搭載されていました。

どんな機械なのかの詳細は省略しますが、

この「ノルデン照準器」は当時最高レベルの軍事機密でした。

敵に奪わるような事態になった場合、

搭乗員は必ず破壊するようにと命令されていたそうです。

当然、B-29にも搭載されていました。

 

そんな最高機密レベル、

言い換えれば当時最先端で高度な科学技術を駆使しても、

上記の様々な理由によって、

特定の目標に命中させることが難しかったのです。

 

さて、ニコライ堂に戻ります。

 

もう一度言いますが、

どうやってニコライ堂を避けて爆撃することができたのでしょうか?

しかも通常爆弾ではなく、

火災を発生・延焼させることが目的の焼夷弾です。

ニコライ堂だけを燃やさないようにするために、

どうやって火をコントロールするんですかね?

 

それに3月10日の東京大空襲は夜でした。

「ノルデン照準器」というものは目視で照準を合わせます。

仮にその機械を使ったとしても、

アメリカ人は夜でもニコライ堂が見えたのでしょうか?

見えたから避けることができたのでしょうか?

 

ニコライ堂が焼け残った一番の理由は、

史上最高レベルの防火設備が整った施設だったからではないのですか?

石造りという、

絶対に燃えない素材を使っていましたから。


須田町が焼け残ったのも、

ニコライ堂が防火壁となっていた可能性が高いです。

ただし、偶然が偶然を呼んだ結果なのかもしれません。

木造家屋なのですから、

燃えてもおかしくはない状態でもあったわけです。

 

山火事なんかもそうですが、

燃えさかる巨大な火災をコントロールするなんて、

ニコライ堂はおろか、

現在の科学技術でも無理っぽいですからね。

 

ニコライ堂はロシア正教だからソ連に遠慮したなんて説もありますが、

そこだけを残すという前提条件が既に崩れていますから、

まったくもって問題外ですね。

 

戦争中の話なのに軍事学的な観点をスッポリ抜かすもんだから、

こんなアホくさい話になるんです。

バラエティー番組とはいえ、

それをテレビで堂々と放送しちゃうんだからなぁ…


避けるといえば、

皇居と京都は爆撃禁止なので避けていましたよ、

ご参考までに…


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