話題沸騰ですね。
ま、差別問題と直結しておりますから、
デリケートな部分も含んでおりますので、
おのずと賛否両論があるかと思います。
しかし、
あくまで自分の感想ではありますが、
どうも、賛否といいながらも、
なんか「否」のほうが多いような、
そんな気がします。
自分もこの顛末を第三者的に眺めていましたが、
どちらかというと「否」のほうになってしまいますね。
一言でいうと「やり方がおかしい」のではないか?
そのような感想を持っております。
まず第一に「JRに乗車拒否された!」
とう主張を前面に出しておりますが、
事の顛末を最後までみてみると、
本人の意向通りに目的地に着くことができたのですね。
「JR東日本」を利用してね…
これを「乗車拒否だ!」なんて主張するのは、
自分はおかしいと思います。
勿論、目的地までのやり取りというか、
プロセスに問題があったのかもしれません。
その流れによって当人が「乗車拒否」されたと、
思ってしまったのかもしれません。
しかしですね、
途中で問題があったにせよ、
最終的には当の本人の意向に、
それなりに沿うことができたということは、
「乗車拒否」ではないと思いますよ。
それなのに「乗車拒否された!」と主張するのは、
全く違うのではないかと思います。
自分なりに事の顛末を知って、
この「乗車拒否された!」という主張を、
自分なりに考えると、
相手の印象をとにかく悪くする「レッテル」を貼って、
自らの行為を正当化させようという魂胆が、
ここには見え隠れしているんです。
これは「いじめの構造」の初期段階と同じだと思います。
つまり、気に入らないヤツや嫌いなヤツに、
悪い噂を流したり悪印象を与えて、
それで周囲を巻き込んで攻撃しまくるあのやり方です。
当の本人は意図的か無意識かはわかりませんが、
非常に不快で不愉快ですね、
この「乗車拒否された!」という主張は…
それともうひとつ気にかかったのは、
マスコミへ連絡したことです。
しかも後からでなく、
真っ最中に新聞記者へ連絡したのですね。
なんか、用意周到さが滲み出ているような気がします。
「バックには恐いお兄さんがいるんだぜ」と、
同じ扱いでマスメディアを利用しているのではないか、
そのような勘繰りもしてしまいます。
でもでも、
当の本人は「社民党の常任幹事」だったのですね。
そういう事実を知った時、
なんか、妙に納得してしまいました。
沖縄の辺野古あたりでよくやる手口ですね。
バリアフリー問題を提起するのは大切なことです。
しかしやり方を間違えると、
たとえ崇高な理想を掲げたとしても
このような騒動になってしまうという、
典型的な例ではないでしょうか。
そしてなぜ社民党が支持されないかという問題にも、
直結しているような気がします。