空と無と仮と

マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑦ 荒崎海岸でのちょっとしたハプニング①

「ひめゆり散華の跡」

を探し当てご満悦状態でした。

観光客は全くおりません。

地元の人とかも周囲にはおらず、

独りぼっち状態です。

右手の喜屋武岬方面から左手の摩文仁方面まで一望できますが、

人の気配すらしませんでした。

人がごった返すようなひめゆりの塔と比べると、

喧騒の落差がなんとも感慨深いですね。

ただただ、波の音だけが聞こえてくるだけです。

ただそれだけなんです。

荒崎海岸はサーファーが多いと地元の友人から聞いていたのですが、

平日のせいか誰もいません。

 

休憩がてら、座ったり場所を変えて、

また座ってはボ~っとしてましたね。

ま、ボ~っとするのはいつものクセみたいなもんです…ハイ。

トゲトゲしい岩だらけだから、

ケツが痛くもなりましたけどね。

それに名城ビーチで騒々しかった昨夜の強風とは違い、

当日はなんとも心地よい風が吹いていましたよ。

 

そうこうするうちにお昼過ぎの時間になっていました。

最終目的地の喜屋武岬へは行ったし、

念願だった「ひめゆり散華の跡」も見つけることができました。

もうそろそろ那覇方面に向かおうかなと思い、

マウンテンバイクを置いた空き地まで戻ります。

 

さて、那覇まではどういうルートで行こうか?

その前に昼飯が食べたいなぁと思案していると、

あきらかに自動車が近づいてくる音がします。

自分が通った県道からのルートではなく反対側から。

人がいないところとはいえ、

農業や建設関係で作業する車が通っていてもおかしくはありません。

特に興味がわいたということでもありませんが、

何気なく観察していました。

 

いきなりタクシーが現れましたね、

しかも2台。これにはちょっとビックリ!

作業中の軽トラとかトラクターなら普通でしたのに、

タクシーだから意外や意外。

人の背丈まである植物をかき分けるように、

それこそヌ~ッと出現しましたからね!

タクシーが来た喜屋武岬方面は地図で確かめても集落すらなく、

畑ばっかりだったのです。

自分が通ってきた、

摩文仁方面からの舗装された県道側から来たら、

そんなふうに驚かなかっただろうなぁ…

それほど意表を突かれました。

 

2台のタクシーからバタバタと、

お客さんが降りてきました。

数人の男性と杖を持ったおばあさんが一人。

確か女性はおばあさんだけだったと思います。

そして複数の男性は各々機材を持って海岸へと歩いていき、

男性が付きそうおばあさんもあとに続きます。

持っていった機材の中にはカメラもありました。

俗にいうテレビカメラですね。

どうやら、どこかのテレビ局の取材スタッフです。

カメラはV-5ってやつですね。

カメラの横に「読売テレビ」が明記されてます。

 

私事ながら、

その当時の職業は簡単にいうと放送機器メンテナンスでした。

テレビ局で使うビデオデッキ等のメンテナンスや修理をしておりました。

もっと具体的にいうと、

ベータカムSPというビデオデッキです。

知ってる人いるかな?

テレビ局で使うやつだから、

再生専用で100万円、録画機能付だと300万円ほどのお値段…

実際は下請け企業で中小企業でしたから、

配送の手伝いとかでよくテレビ局にも行きました。

そういう経緯で持っていたビデオカメラも、

修理したことのあるソニー製だとすぐわかりました。

今は全く違う職業ですけどね。

 

自分にとってテレビ局の取材は特に珍しいことではありませんが、

沖縄の終戦記念日が近いからでしょうかね。

「ひめゆり散華の跡」を取材しに来たのは間違いありません。 

だから自分は「こんなところにも来るんだなぁ~」程度の感想だけで、

その場をあとにしようとしました。

 

すると、二人いる運転手さんの一人から声を掛けられ、

こっちへ来るように手招きしてくれました。

「いいんだよいいんだよ、遠慮しないで」

自分は今まさにここを出発しようと思ったのですが、

とても気さくな運転手さんは、

どうやらこちらがテレビ取材に気を使って、

海岸に行かないんじゃないかと勘違いなさったようです。

今の自分と同じ40代の方だったと思いますね。

 
無下に拒否するのもなんだな~と思い、
また、おばあさんが一人で、
っていう状況がちょっと気になりましたので、
運転手さんたちのあとをついていくことにしました。
 
碑の周辺で何やら取材しているのを、
運転手さんたちと一緒に遠巻きで眺めていました。
気さくな運転手さんはヒマだったのでしょう、
眺めている間も自分に話しかけてくれました。
 
先ほどタクシーが来てビックリしたと書きましたが、
運転手さんの話によればお客さんの指示、
今回は取材スタッフなのですが、
その曖昧な指示に従っていただけのせいで、
細い道で畑の中をぐるぐる回って大変だったということです。
そういった事情があったのですね、
納得です。
 
そのほかにもいろいろな話をしましたけど、
マウンテンバイクでキャンプをしながら、
本部町からこの荒崎海岸まで走ったことを、
ずいぶんと褒めていただきましたね。

それに怒られもしました。
「ダメだよ!こんな暑いところで半袖じゃ、火傷みたいになっちゃうよ!」
「車の中だってずっと長袖なんだから」
たしかにTシャツだけですし、
時々曇っていた時間帯もありましたが、
二泊三日の行程中は概ね太陽がギンギラでした。
しかも梅雨明け早々の6月下旬!
 
地元の人からすれば異様な日焼けだったのだろうと思います。
特に両腕が黒っぽくなっちゃってね…
日焼けクリームを塗るようにとアドバイスも受けました。
もっとも、那覇についてから買いましたけどね。
アホだから、最初から日焼け対策は全くしていません。
素人がゆえの甘い認識でした。
 
後日の話になりますが、
当然のごとく皮がむけました。
両腕とも見事にベロ~ンとね。
妖怪一反もめんぐらいでしょうか、
ヒラヒラヒラ~ってな感じ…それも2匹!
しかも自分の腕なのに、
皮がむけた後の腕の色が気味悪くて気味が悪くて…
 
そんな会話で盛り上がっていたのですが、
やはり何の取材なのか気になります。
話のついでに聞いてみました。
「ひめゆりの先生だったらしいよ、あのおばあさんは」
確かそんなようなことを教えてくれました。
 
が、しかし、しかし!
 
その話を聞いた瞬間、
それは絶対にありえない話だと思ったのです。
運転手さんもウソを言っているわけではなさそう。
 
でもでも、
女の先生が生き残っていた事実なんて絶対にないんですよね!
少なくともその時は思いました。
 
なぜそう思ったかというのは、
ちょっと長い説明になってしまうので次の機会に…
 
追伸
 
グーグルマップで確認すると、
なんか道路の位置が自分の記憶と違うような気がします。
「ひめゆり散華の跡」入り口の空き地付近は直線だったのに、
2019年現在では右へ直角にカーブしてますね。
ま、よくよく見ると直線だったであろう、
うっすら道の痕跡もありますから、
当時とはだいぶ変わってしまっていると思います。
ま、なんせ20年以上も前ですから、
当然といえば当然かも…
 

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