空と無と仮と

マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑤ 3日目──名城ビーチから喜屋武岬、荒崎海岸へ

マウンテンバイクでほぼ縦断も、

3日目の今日が最終日です。

糸満市の名城から那覇までは、

1時間ぐらいで到着しますので、

午前中は南部戦跡周辺をブラブラしてみました。

 

まずは喜屋武岬。

一応この岬が今回の最終目的地と決めていたし、

名城ビーチからは近くにあります。

現在はテカテカした青色に塗られていますが、

当時は画像のような感じでした。

見晴らしは最高です。

でも下を見るとおっかないです。

ここではサイパンのスーサイドクリフと同じ悲劇がありましたが、

興味がある方はご自分で検索してくださいな。

このブログは「平和学習」が目的ではないので悪しからず。

 

次は畑の中を縫うようにして走ってから、

国道331号線に合流。

さらに摩文仁方面へ走っていくと、

かの有名なひめゆりの塔に辿りつきます。

さすがに観光客が多かったですね。

バスもひっきりなしです。

自分は資料館も含め何度となく訪れていましたから、

今回はちょっとした休憩程度です。

 

実はその時、

ひめゆりの塔ではなく「ひめゆり散華の跡」に行きたかったのです。

 

「ひめゆり散華の跡」かぁ…

その当時はそんな呼称ではなく、

「ひめゆり最後の地」とかだったと思います。

その由来を簡単に説明しますと、

「ひめゆり部隊」が南端の荒崎海岸まで追い詰められてしまい、

手榴弾を中心にして車座になって自決をした場所、

そこが「ひめゆり散華の跡」なのです。

ま、ホントに超簡単な説明ですから、

詳しくはネットで検索!

 

マウンテンバイクで走る今回の旅行以前にも、

自分で独自で沖縄戦に関する戦跡を、

何度となく巡り歩いていました。

何回も書いてしまって恐縮ですが、

20年ぐらい前になるとグーグルマップはおろか、

インターネットもあまり普及しておりません。

ひめゆりの塔や小禄の海軍司令部壕といった、

超有名な観光名所は簡単に見つかるのですが、

それ以外になると、場所や位置の特定を一個人が単独でした場合、

これがまた意外に難しいんですよ。

 

上記のような書籍類と地図しか頼れるものがありませんでした。

これでも、由来や経緯といったものの説明は豊富なのですが、

それがどこにあるかまで、

詳細に書いてないことが多いんですよね。

 

そうであるならば、

これはもう自分で探すしかないと思い、

実際に行って場所を特定しては、

自分の地図帳にコツコツ書いていました。

時には現地に赴いても見つからないことがありました。

自分は沖縄に住んではいませんでしたので、

日程や飛行機等の時間的な制限もありました。

それにもまして、

現地に行っても案内板や看板がない場合が多いから、

いつも見落としてばっかりです。

ま、慰霊碑なんか建立されていれば別ですけど…

 

今じゃみんなであっという間に、

しかも動画付きでグーグルマップあたりに書き込んだりしてるのを、

一個人の趣味でセッセセッセとやっていたものです。

誰に見せるわけでもないのにね…

すんごく面倒だけど、同時にすんごく楽しかったです!ハイ。

ホント、

何回も書くようですけど世の中便利になったなぁ~

 

そういった経緯がありまして、

「ひめゆり散華の跡」(ひめゆり最後の地)も場所を特定できなかったのです。

今回は時間もたっぷりあるし、

事前にある程度の目星をつけておきましたので、

「ひめゆり散華の跡」(ひめゆり最後の地)を見つけようと思いました。

 

 なんかマウンテンバイクの旅とは関係なくなっちゃうけど、

まぁいいや…


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