マウンテンバイクでほぼ縦断も、
3日目の今日が最終日です。
糸満市の名城から那覇までは、
1時間ぐらいで到着しますので、
午前中は南部戦跡周辺をブラブラしてみました。
まずは喜屋武岬。
一応この岬が今回の最終目的地と決めていたし、
名城ビーチからは近くにあります。
現在はテカテカした青色に塗られていますが、
当時は画像のような感じでした。
見晴らしは最高です。
でも下を見るとおっかないです。
ここではサイパンのスーサイドクリフと同じ悲劇がありましたが、
興味がある方はご自分で検索してくださいな。
このブログは「平和学習」が目的ではないので悪しからず。
次は畑の中を縫うようにして走ってから、
国道331号線に合流。
さらに摩文仁方面へ走っていくと、
かの有名なひめゆりの塔に辿りつきます。
さすがに観光客が多かったですね。
バスもひっきりなしです。
自分は資料館も含め何度となく訪れていましたから、
今回はちょっとした休憩程度です。
実はその時、
ひめゆりの塔ではなく「ひめゆり散華の跡」に行きたかったのです。
「ひめゆり散華の跡」かぁ…
その当時はそんな呼称ではなく、
「ひめゆり最後の地」とかだったと思います。
その由来を簡単に説明しますと、
「ひめゆり部隊」が南端の荒崎海岸まで追い詰められてしまい、
手榴弾を中心にして車座になって自決をした場所、
そこが「ひめゆり散華の跡」なのです。
ま、ホントに超簡単な説明ですから、
詳しくはネットで検索!
マウンテンバイクで走る今回の旅行以前にも、
自分で独自で沖縄戦に関する戦跡を、
何度となく巡り歩いていました。
何回も書いてしまって恐縮ですが、
20年ぐらい前になるとグーグルマップはおろか、
インターネットもあまり普及しておりません。
ひめゆりの塔や小禄の海軍司令部壕といった、
超有名な観光名所は簡単に見つかるのですが、
それ以外になると、場所や位置の特定を一個人が単独でした場合、
これがまた意外に難しいんですよ。
上記のような書籍類と地図しか頼れるものがありませんでした。
これでも、由来や経緯といったものの説明は豊富なのですが、
それがどこにあるかまで、
詳細に書いてないことが多いんですよね。
そうであるならば、
これはもう自分で探すしかないと思い、
実際に行って場所を特定しては、
自分の地図帳にコツコツ書いていました。
時には現地に赴いても見つからないことがありました。
自分は沖縄に住んではいませんでしたので、
日程や飛行機等の時間的な制限もありました。
それにもまして、
現地に行っても案内板や看板がない場合が多いから、
いつも見落としてばっかりです。
ま、慰霊碑なんか建立されていれば別ですけど…
今じゃみんなであっという間に、
しかも動画付きでグーグルマップあたりに書き込んだりしてるのを、
一個人の趣味でセッセセッセとやっていたものです。
誰に見せるわけでもないのにね…
すんごく面倒だけど、同時にすんごく楽しかったです!ハイ。
ホント、
何回も書くようですけど世の中便利になったなぁ~
そういった経緯がありまして、
「ひめゆり散華の跡」(ひめゆり最後の地)も場所を特定できなかったのです。
今回は時間もたっぷりあるし、
事前にある程度の目星をつけておきましたので、
「ひめゆり散華の跡」(ひめゆり最後の地)を見つけようと思いました。
なんかマウンテンバイクの旅とは関係なくなっちゃうけど、
まぁいいや…