人は何のために努力をするのか。
漠然とバスケが上手くなりたいと願っても、中々満足いく結果はでません。
上には上がいるからです。
人生も同じで、ただお金を稼ぎたい、頭が良くなりたいと思うだけでは必ず上がいます。
具体的な目標ができれば人の目など気にはならないはずです。
バスケが上手くなるという目的ではなく、バスケが上手くなってどんな姿になりたいのか、つまり上手くなることやそのための努力は手段にすぎない。
良い大学に入ることが目的ではなく、その先に自分のやりたいことがあるから、そのための勉強は手段。
しかしインターネットが普及し、承認欲求を求める人が増えたことは明らかです。匿名でのやり取りが可能であり、それを世界のどこからでも見ることができる今、世の中の「普通」であることのハードルは上がったと感じます。
それに比例するように誰かに認められたい、誰かを見返したいと思う人も増えているのだと考えます。
誰かに認められるための努力ほど空虚なものはないです。
自分の人生がそんな些細なものに囚われてしまうこと、これこそつまらない人生だと思います。
よく、サラリーマンにはなりたくないと言う人がいますが、ではその人のなりたい像は何かといわれれば、返ってくる答えは大抵「普通は嫌だ。」
そのような人の言う成功者は決まって、これは嫌だと考えることなく、自分のなりたい将来の姿があります。
社会に出れば、大半は会社員として働くことになります。つまり、彼らは世の中で普通だと評価されることが嫌なわけです。
こんなことに人生を囚われてしまえのは、その先に虚しさしか残らない…
バスケが上手くなることは、指導者に認めてもらうためかな?親や仲間に認めてもらうためかな?
もちろん、認められれば私も嬉しいですが、認められるために生きているわけではないので、別に認められなくても特に気にしません。
目的が認められることでは成長できない!
特に部活動やクラブチームという小さな世界で認められることばかりに喜びを感じては、広い世界にでた時辛くなるでしょう。
バスケをするなら、自分の中で大いなる目標を決めて欲しい。
バスケが上手くなるということを手段とできるように、今は努力で可能性を広げるにすぎない。
いざ目的が生まれ、更なる努力を積み重ねることができれば、思わぬ結果が生まれる。
きっかけは誰かが与えたかもしれませんが、努力したことに変わらなければ、本人の力です。
部員達は見ていませんが、最後にここに綴ります。
「世間の評価という移ろいゆくものに囚われるな!!
自分の努力や成果があるなら、たった一つだとしても普遍的なものを愛せ!!」