令和4年7月8日。安倍晋三元首相が銃撃されて逝去した日として歴史的な日であった。帰宅するとテレビ局はこぞって予定を変更し、特集番組
を組んでいたのでテレビつけたまま寝落ちするほどどっぷり観ていた。他に何もする気になれないほどのニュースだった。政治に疎い私ですら
ショックだった。昨日もテレビ漬け。テレビに映された献花台や花を手にした人達を観るとかけつける人多く、そこそこ高価そうな花束も多く、
愛された政治家であったことが垣間見える。世の中、こいつロクな死に方しないぞと言いたくなる輩もいるわけだが、この人はそうではなかっ
た。なのにこんな人生のしまい方になってしまったのが心の中で違和感になるのかもしれない。
数日テレビ漬けしてると皆がショックを受け、悲しんでいることがわかる。報道の手腕というより、本当にそうだというのを感じる
というか。まだまだテレビも捨てたもんじゃありません。
殺害動機が何であってもよくないが、今のところ政治信条ではない私怨と報じられていて元首相との関連がはっきりしていないのが
モヤモヤするところでもある。そして日を追うごとに犯人よりも奈良県警への風当たりが増しているのもちょっと切ない。
こんな事する犯人が普通の感性ではないのだから、おかしい人を責めても無駄とばかりに県警の落ち度の検証に力が入る。
亡くなってしまった以上警護に落ち度がなかったとは言えないのだけど。Twitter見たら、一発目の後、ちゃんと間に入ろうとしてた人もいた。
そもそも今まで日本で銃を使った犯罪が起こることは考えづらかった。しかし、万が一が起こるのは最近の常。自然災害、パンデミック、
戦争による物価高異常気象と続いてまた考えづらいことが起きた。安倍氏は元首相でありながらも自民党最大派閥の長であり、
皆この人の影響力で暮らしが少しでも快方に向かう舵取りがなされるところを見たかったのかもしれない。まだまだ期待されてたのだ。
一方で生活に八方塞がりな気持ちを持つのもやむを得ない状況。電気代は上がり節電が叫ばれる中、6月から猛暑で節約もままならない。
毎日の生活に不安がある人が多く、それが渦となり、うねりとなり、落雷のように禍が落ちてきたって事だろうか。という論理的でも科学的でも
ない話にいきなりなっちゃうんだけど(-.-) 歴史的にも飢饉や洪水など自然災害で下々の人々の生活が乱れると政情不安に繋がっていた。
でも今度は違って自民党が期待に応えた!になるかどうか。難局はあれど、それでも人は乗り越えて命を繋いで現在に至るのだ。
街頭インタビューで、こんなことが起こって世も末だと言ってた人もいたけど、そうだとすれば次の世がまた来るのだ。
負けずに気力、体力を充実させていかなくてはならないね。
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