備忘録

忘れないための頭の中のメモ帳

本物の信仰

2024-02-18 00:00:00 | 

釈尊 「信仰」っていうのはね、会員登録をしただけで「立った」とは言えないんですよ。「信仰」っていうのはね、祈願にお金を払って、やっただけで、証明されたものでもないんですよ。

信仰には、レベルに差があるんですよ。

だから、「本当の信仰を持っているかどうか」が試されることになると思います。「エル・カンターレは本当に地球神なのか。本当に始原の神なのか。本当に長く人類を指導してきた方なのか。これを信じ切れるか」というところまで問われると思うんですよ。

だから、その❝現世利益❞はとっくに飛び越えなければいけない。

 

『釈尊の未来予言』p119~


今、何をなすべきか

2024-02-18 00:00:00 | 
  • 弟子たちも、本当に多くの人たちが病に罹り、死んでいき、どうしようもない絶望のなかを生きている人がたくさん出てこなければ、自分たちの使命が分からないレベルなんじゃないでしょうかね。自分たちで立てた小さな目標の達成だけを追い続けているように見えますので。

 

  • 後世の視点からよく考えて、「今、何をなすべきか」をお考えください。

 

『釈尊の未来予言』p71~


宗教的人格

2024-02-18 00:00:00 | 

「肉体感覚から来る思いを、もう一段高次な自分がコントロールできる」という視点を持っている人は宗教的人格と言えますが、この世的なものに起因する、いろいろな反射的行動、情報に対する行動で動く心を持っている人というのは、「宗教的に向いていない、この世的な人」という判断がつきやすいのです。

 

『釈迦の霊言』p24~


最澄の問題点

2024-02-18 00:00:00 | 
  • 生前、お経に対する理解は、いわゆる学者的な理解までしかいかなかったのだと思います。学者的に、漢文で書かれたお経を読むところまではいきましたが、悟りの本質をつかむところまではいかなかったわけです。

 

  • おそらく、「作法を学ぶ」「お経を読む」といった、六次元程度の悟りまでが限度だったのでしょう。そして、人生の最後には、慢心と不遇観が残ったわけです。

 

  • 「人間は、生まれつき❝仏様❞である。『生まれつき悟っている者』が悟りを開くだけだから、それは当たり前のことだ」という思想(天台本覚思想)だったため、修行論の部分が飛んで行ったわけです。これが、彼(最澄)の一乗思想です。

 

『不成仏の原理 霊界の最澄に訊く』p191~