カイブログ2

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地獄で永久に生きる新たな肉体を得る。

2023-11-09 23:54:08 | 聖書
聖書における地獄とは?
 
地獄は、死者が意識をもったまま永遠に罰せられるところです。 地獄にいる魂は、目や耳や指や舌や記憶をもった人格であり、知識もちゃんとあります。
イエス・キリストが語った「地獄に落ちた一人の男性の話(ルカ16:23-25)」は、たとえ話ではありません。 本当の出来事です。

 

ルカ 16章。

23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。

 

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聖書に人は死ぬと動く事が出来ない。意識もないと書かれている事前提に考えると、

地獄では意識があると上記に書かれている。

そして火炎で苦しめられていると書かれている。

つまり苦しんでる者は生きた状態である。

永久に罰せられる場所だと書かれている。

 

つまり、地獄の火炎で永久に苦しむ為には死なない生きた身体が必要になるという答えが出る。

 

この世界は生きた者が存在出来る世界ということ。

死んだ者は意識が存在出来ない。

 

ちなみに罪人はコロワク接種して命の書から名前が消えて、地獄行き決定となり、

そして死んだ場合、地獄で新たに永久に生きる身体を得ることになるという答えが出る。


神と人とが生きたかかわりを持つ

2023-11-09 23:16:28 | 聖書

1. 神のいのちの「息」

  • 創世記2章7節には「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息〔※〕を吹きこまれた。そこで、人は、生きものとなった」とあります。いのちの根源としての「いのちの息」を吹き込まれることによって、人は神との人格的な交わりを持つことのできる特別な能力を与えられました。それは神のかたちにかたどって造られた人間だけに与えられたもので、神とのかかわりにおいて、神の愛や罪の赦しを受けて喜ぶことのできる能力、意味しています。
  • 〔※〕創世2:7で使われている「いのちの息」の「息」はヘブル語の「ネシャーマー」נְשָׁמָהで、狭義的な意味で、神から出るいのちの「息」を表します。それに対して「ルーアッハ」רוּחַは広義的です。
  • 「ネシャーマー」נְשָׁמָהは旧約では24回。創世記7章22節ではノアの家族以外の「いのちの息を吹きこまれたもの」はみな死にましたが、詩篇の最後の節(150:6)では「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ」と結ばれています。ここで使われている「息あるもの」とは、冠詞つきの「ハ・ネシャーマー」הַנְּשָׁמָהです。
  • ちなみに、新約聖書における「いのちの息」は「神の息吹」、つまり「霊感」と訳されています。使徒パウロはテモテ第二3章16節で、ただ一回限りですが、「聖書(ここでは旧約聖書のこと)はすべて神の霊感(神の息吹God-breathed, ギリシヤ語では「セオプニューマトス」
    θεοπvευματος)によって」書かれたものであることを記しています。つまり、神が人にいのちの息を吹き込んで生きたものとしたように、聖書を書く人に神が誤りなく書き記すために神の息吹を吹きかけられました。それゆえ、それを読む者にも聖霊の助けが必要なのです。神と人とが生きたかかわりを持つために聖霊の助けは欠かせないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・「神との生きたかかわり」をもたらす息 - 牧師の書斎 (meigata-bokushin.secret.jp)

 

神ヤハウェと生きた人間のみが関わりを持てるということ。

死んだ者は神ヤハウェと関わりになることが出来ません。


神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ

2023-11-09 22:53:54 | 聖書

神は死んだ者の神ではなく生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。(マルコによる福音書12章27節)

当時、ユダヤ教のサドカイ派は「復活はない」と主張した。彼らはユダヤの上流階級に属し、現実主義者であった。彼らは復活が馬鹿げていることを示す例を出して、主イエスに問うた。主は彼らに「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」と答えた。さらに、「あなたたちは天と地を造られた神の力を見損なっている」と言った。復活の信仰は創造者である神の力を信じることにかかっている。主イエスは「死者の中から復活する時」があると明言し、復活の世界は今の世界の延長ではなく、「天使のようになるのだ」と言う。体も生活の仕組みも全く改まる新しい世界であるから、復活の世界をこの世の情景から類推することは間違っているのである。

そして主イエスは、神が「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言ったモーセの書を引いて、今日の聖句を語った。見えない神を信じ、神の言葉に従って生き、そして死んだアブラハムは、神の前に生きている。神は「わたしはアブラハムの神であった」と言わず、「である」と言う。神は死んだアブラハムの神ではなく、生きているアブラハムの神として、ご自身を啓示された。アブラハムのように、神に愛され、神を愛して生きた者は、たとい死んでも、神の前に生きるのである。神との関係は永遠であり、死によっても断ち切られない。大事なことは、復活の時にどうなるかではなく、今、神を愛し、神に愛される関係に身を置いて生きることである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5月27日「神は、生きている者の神」 - クリプレ (christianpress.jp)

 

上記URLから引用したが、

死者の復活というのはイエスキリストが現代に第1の復活をし、それに続いて全人類が第1の復活を遂げる話である。

つまり、神が地上創造前に作成した各人間の霊体が全て現代に現れているのである。

これについて書いているのは俺しかいない。

 

もう少し付け加えておくと、

今いる人間は2回目の人生を歩んでいる。

地上に全員集合している。

 

神ヤハウェは生きている存在の神であって、死んだ者の神ではないとイエスキリストが言っている。

死んで静止して無意識となった者は、動く事も出来ず、何かを考える事も出来ないと聖書に書かれている。

死後の世界はないという事。

すなわち、この世界の仕組みであり、真理である。

これ前提で考えないといけない。

「嫌!霊界はある!おまえは嘘を言っている!」とか考えてると神ヤハウェに物言いしてることになる。


二年満期到来

2023-11-09 22:31:59 | コロナワクチンについて

がん細胞は1日に5000千個出来て、人間は5000戦勝0敗の戦いを日々繰り返しています。人間の体内で、がん細胞が生き残るのは至難の業なのです。

2023-11-09 22:28:52 | コロナワクチンについて