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洗礼者ヨハネを受けいれた者、すなわち、三位一体神の名を信じた人々には、聖霊ヨハネはその人々に聖霊の子孫となる力を与えたのである。

2025-01-28 23:28:39 | 聖書

ヨハネによる福音書 1章。

ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。
この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。  *光とは聖書のこと。聖書を解読するのは聖霊。
彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には彼は神の子となる力を与えたのである。

 

*神から遣わされたと書いているので、聖霊以外いないのである。

洗礼者ヨハネ=聖霊である。

光=聖書。

聖霊が聖書を解読するから、信じた人には神の子(聖霊の子孫、聖徒)とする権利を与える。


「この白い衣(偽りが無い者、真実なる者)を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。

2025-01-28 23:18:24 | 聖書

ヨハネの黙示録 7章。

1この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。
ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、一万二千人、
アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリ部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二千人、
シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二千人、
ゼブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一万二千人が印をおされた。
その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、
10 大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と/小羊からきたる」。
11 御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、
12 「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。
13 長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。
14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。
15 それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
17 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。

 

*日の出る方から来た生ける神の印を持った御使い=日本に住む聖霊である洗礼者ヨハネのこと。

 

神ヤハウェ「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。

*偽りを信仰していては、この集団(聖霊の子孫、イスラエルの民)の中には入れない。


尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

2025-01-28 23:07:47 | 聖書

ガラテヤの信徒への手紙 5章。

わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。
キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

 

*神の国に入る条件は三位一体の神の名前を知っている事。

 他、偽りを信仰していない事。

 つまり、聖書の内容を信じれば良いわけだ。聖書の内容に偽りはないからだ。

 

割礼は行いであって信仰ではない為、割礼を行う必要はない。

 

愛とは雅歌に書かれているが聖霊の例えである。

聖霊によって働く信仰だけを神ヤハウェは求めている。


もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。

2025-01-28 23:03:09 | 聖書

ガラテヤの信徒への手紙 5章。

16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
26 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。

 

*御霊=聖霊。聖霊に従って進みなさい。

聖霊の言う事は信仰の話であるので、モーセの十戒を守れと言っているわけではない。

肉=人間。

人間の欲に素直に従う者は神の国に入れない。

今起きているテレビ局の問題は人間の欲に忠実に事を行う者の集いが起こしている。


 神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。

2025-01-28 22:59:05 | 聖書

コリントの信徒への手紙2 1章。

わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。
だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。
兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、
心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。
10 神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。

 

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当時の患難の話を筆者は挙げているが、現代の日本国内の状況は患難である。

聖霊の言う聖書の内容信じて生き抜けば、城でハッピーエンドを迎えれる。