信仰による救いに差別はないと聖書に書かれている。
聖霊の子孫のみ永遠の命を与えるのか、
それとも神の子孫ではない者でも信仰により永遠の命を得れるのかどうか。
俺にはわからない。
城で神ヤハウェに質問して聞くしかないな。
少なくとも、ワクチン接種した人はない。
信仰による救いに差別はないと聖書に書かれている。
聖霊の子孫のみ永遠の命を与えるのか、
それとも神の子孫ではない者でも信仰により永遠の命を得れるのかどうか。
俺にはわからない。
城で神ヤハウェに質問して聞くしかないな。
少なくとも、ワクチン接種した人はない。
ガラテヤの信徒への手紙 3章。
6 このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。
7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。
9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。
10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。
11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。
12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。
13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。
15 兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。
16 さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。
17 わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。
18 もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。
19 それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。
20 仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。
21 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。
22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。
23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。
*アブラハムの子がイサク。
イサクの子がヤコブとエサウ。
ヤコブの子孫が聖霊の子孫。(アブラハムの子孫) ヤコブの子孫は日本列島に移り住んで、エドムの子孫に皆殺しにされ消え去った。
エサウの子孫がエドムの子孫。(アブラハムの子孫) エサウは日本列島に移り住んで繁殖したので、子孫は日本人である。聖書で言う「異邦人」である。
ヤコブの子孫は現代へ肉によれば日本人として産まれ直し(第1の復活)をしている。
それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。
*聖霊の子孫は肉体は日本人であるが、中身は聖霊の子孫である。
その肉体であるが、エサウの子孫の遺伝子を引き継いでいるハズである。
でないとアブラハムの子孫ではないからだ。
エサウとヤコブの両者の複合状態で復活している。