ローマの信徒への手紙 9章。
24 神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。
25 それは、ホセアの書でも言われているとおりである、/「わたしは、わたしの民でない者を、/わたしの民と呼び、/愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。
26 あなたがたはわたしの民ではないと、/彼らに言ったその場所で、/彼らは生ける神の子らであると、/呼ばれるであろう」。
*日本に渡った古代イスラエル民の子孫は当初は日本人種ではなかったが、侵攻してきた原住民の日本人と混血していき、
彼ら全てが現代の日本に第1の復活をしたら・・・古代イスラエル民は日本人種として復活するわけである。
つまり・・・わたしの民でない者(日本人種)を、/わたしの民と呼び、/愛されなかった者(日本人種)を、愛される者と呼ぶであろう という意味が解る。
27 また、イザヤはイスラエルについて叫んでいる、/「たとい、イスラエルの子らの数は、/浜の砂のようであっても、/救われるのは、残された者だけであろう。
28 主は、御言をきびしくまたすみやかに、/地上になしとげられるであろう」。
29 さらに、イザヤは預言した、/「もし、万軍の主がわたしたちに/子孫を残されなかったなら、/わたしたちはソドムのようになり、/ゴモラと同じようになったであろう」。
30 では、わたしたちはなんと言おうか。義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰による義を得た。
31 しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。
32 なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。
33 「見よ、わたしはシオンに、/つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」/と書いてあるとおりである。
*シオンに聖霊を置いたが、聖霊の言う事は罪人には戯言にしか見えないが、聖霊に寄り頼む者は失望に終わらない。
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