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大阪歴史博物館で大阪の古代図を見つけ、古代の難波津を作り、それで満足してしまいました。
しかし、6月25日に記事にした「幻の都・難波宮」の続編として、この大阪歴史博物館も紹介しなければ、難波宮跡を全て紹介したことになりません。いえ、むしろ大阪歴史博物館にこそ難波宮の全容が展示されていたのでした。
この歴史博物館の建物(左端の画像)を見た時、難波宮跡公園からも見えていたことに気づきました。「幻の都・難波宮」にUPしたマウスオンアルバムの一番右側、大極殿の柱跡の画像にもちらっと写っています。
派手な半ドーム状の入り口(左から2番目の画像)は、南港の海の時空館を持ってきたのかと思ってしまった。この入り口の右側にあるのはNHK大阪。歴史博物館を作った時に合体した?知らなかったなぁ。
中に入ると、右側がNHKで左側が博物館の入り口。まず10階までエレベーターで上がり、下りながら見学するようになっています。
10階は古代フロア、9階は中世・近世フロア、8階は歴史を掘るフロア、7階は近代・現代フロアと、古代から現代へと順に大阪の歴史を展示し、また各階にはフロアの案内人が常駐、どんな質問にも親切に応えてくれます。これは嬉しかったですね。
私の目的は難波宮の宮殿の詳細を知ることにありましたから、ほとんどの時間を10階で過ごしました。
この10階のフロアでまず驚いたのは、私が草ぼうぼうだと非難した難波宮跡公園の全景が見下ろせるようになっていたことです(左から3番目の画像)。
窓から宮殿跡の全景を見下ろし、次に再現された模型を見る、実に分かり易い仕組みになっているのです。
朱色の柱や宮人の実物大の模型で迎えられ、絢爛だった難波宮を実感し、またガラスケースに収められた宮殿のミニチュアは小さな宮人まで丁寧に細かく作られていました(左から4番目の画像)。
難波宮を再現するために博物館を建て、その後の大阪の歴史は、ついでにくっつけた、そんな感じもしましたが、そのついでにくっつけた歴史もなかなか面白いものでした。
9階の江戸時代の大阪では、実物大の模型小判があり、20両包み、50両包みを持たせてもらいましたが、これが重いのなんの。時代劇でよく盗賊が千両箱を肩に担いで屋根から屋根へひょいひょいと飛び移るシーンを見ますが、とてもじゃないけど千両箱など肩に担がれるものかと思いました。ネズミ小僧次郎吉は、千両箱を盗んだのではなく、小判をわしづかみにして逃げたのに違いないと。
江戸は小判が主流で大坂は銀が主流だったこともわかりました(左から5番目の画像)。小判は数で、銀は重さ。大坂のあきんどはお金の数ではなくお金(銀)の重さで商売したのです。
8階の歴史を掘るフロアは、考古学に興味を持ってもらうような仕組みになっており、発掘遺跡物の立体ジグソーパズルを親子で楽しんだり(カップルでも)、アニメーションで流れる分かり易い説明を自分で操作して見ることができます。発掘がテーマですから、メインは難波宮遺跡ですが。
日曜日なのに午後5時閉館というのはちょっと早いなぁと感じましたが、入館料の600円は高くないと思います。ただし歴史好きにはです。
歴史博物館内で撮った写真は失敗が多く、使える写真が少ないのでおまけとして帰りに寄った大阪城を入れました。(右端の画像)
【追記】06.07.29
大阪歴史博物館は、2001年(H.13)に開館。地上13階、地下3階。地下には発掘された前期難波宮の遺構が保存されている。
歴史博物館を建設する際、隣接していたNHK大阪放送局がここに社屋を移転し、水の都大阪の象徴として、歴史博物館は船を、NHKは帆をイメージし、ガラス張りの半ドーム型のエントランスが2棟の建物を繋ぐユニークな建造物となっている。
【追記2】06.07.31
上記追記の最後に書いた歴史博物館が建つ前の建築物に間違いありましたので削除しました。
大阪歴史博物館の前は大阪市立中央体育館でしたが、その以前の陸軍第四師団司令本部の建物があったのは大阪城本丸内でした。勘違いして申し訳ありませんでした。
陸軍第四師団司令本部→大阪市警視庁→大阪府警本部→大阪市立博物館と変遷した建物は今も天守閣そばにあります。古い厳かな洋館は、現在、鉄門に閉ざされて一般人は入ることはできません。
現在、大阪城ホールとなっている辺りに、大阪砲兵工廠があり、8月14日の空爆で炎上崩壊し多くの犠牲者を出しましたが、大阪城本丸内にあったこの頑丈な洋館はたいした被害もなく今も現存されています。
酔歩さん、天舞楽さん、貴重な情報をありがとうございました。
一番乗りおめでとさ~ん
豪華絢爛だったといっても、それぞれ3年とか1年だけだったんだけどね。雅な浪速はやっぱり短い。
うんうん、私もねちょっと驚いた。これだけ難波宮を大事に取り扱っているのをみてね。
小判は重かったよ~。10両包みをいくつも菓子箱の底に入れてお代官さま~なんていうのもウソだと思った。ウンショ、ウンショとかつぐ菓子折なんてバレバレやん。数枚を底に隠すんなら理解できるけどね。
入館料は安い。ほんと維持できるのかと心配するぐらい。
NHKは博物館と入り口が一緒になっているだけで建物は別。これは説明していなかった。ごめん。
NHK、博物館には関わっていない気がするけどなぁ。あのNHKが大阪市にお金出すわけないと思うなぁ。
上手く、まとめられましたね。
ていねいな説明、よく、ここまで。
ありがとうございました。
歴史ある関西地域、遷都の旅に大きな都ができそれが土に埋もれ、現代に掘り起こされて甦ってくる。ロマンを感じます。
まだ歴史の浅い江戸では、大地には古代弥生縄文時代の古墳、都というものがなかったのでこれほどの遺跡は出てきません。
あるとすれば、江戸時代の武家屋敷、でも今ではそれらもビル群の下に埋もれてしまっています。
そう言えば天神祭の時期でしたね。
梅雨明けが遅いのでまだだと思っていましたが矢張り浪速の祭り、賑やかそうです。
ところで、バリケンですが寝屋川の野鳥公園に飼われていますよ。
http://www.shizenhaku.wakayama-c.ed.jp/qa2-bariken.html
輪つぃの投稿記事が海南市の自然博物館に載りました。
http://www.shizenhaku.wakayama-c.ed.jp/qa2-bariken.html
この入り口の写真を見て、Tくんが「あっ、ここ。遠足で行った」と言いました。
私はまだ行ってません。
遠足で行ったというTくんも、駆け足で歴史を見回っただけでしょう。
大昔、ここに都があった事、その大きさや場所をもう一度彼と見に行きたくなりました。
夏休み中に連れて行ってやろうかな。
7月の始めに撮ったもので使用期限ぎりぎりのUPでした。
siawasekunのいつも新鮮な写真と比べたら腐る寸前といったところ(笑)
写真が少なくリアルにお見せできないので、もう自分の感想を主体にする以外なくて。
関東にも弥生時代の登呂遺跡がありますよね。
昔の江戸である東京に都が移されて138年。京に次ぐ都として忘れ去られることはないでしょうが、難波に都があったのはほんのわずか。歴史に埋もれてしまうのもしかたなかったかと。でもだからこそロマンと空想をかき立てられます。
梅雨明けしなくても天神祭は賑やかでした。雨も二日間は控えてくれましたし。
バリケンが寝屋川にいるのですか!
upplainさんにリンクしていただいたサイトはどちらも同じところでした。
それで、「寝屋川 野鳥園 バリケン」で検索かけると出てきました。
http://f1.aaa.livedoor.jp/~fsuzuk/bariken01.htm
でもこのバリケンは寝屋川ではなく新潟の瓢湖で撮ったものでした。ざんねん。
upplainさんに紹介していただいたサイトを見ますと、和歌山にもいるようですね。
でも圧倒的に関東が多い。飛べるといってもそんなに遠くまで飛んでいけないのでしょうか。
実際に見てみたいものです。
7/27の神奈川のおNEW画像がupplainさんのですね。すぐわかりました。
知人は、小学生と中学生の子供を連れて行ったけど、子ども達は大して興味は示さなかったと。本人もそんなに歴史に感心がある人じゃないし、ただ、ぐるーっと見るだけでは子供は興味を示さないよね。
ぜひぜひ、夏休み中にTくんと行ってあげて。
窓から見る宮殿跡の全景と展示品を見比べたり、きめ細かな細工のミニチュアを見せてあげて。ちっちゃな宮人が生き生きしてます。
9階の中・近世で小判の重さも確かめてみて。8階ではジグソー。
歴史に興味を持ってくれると嬉しいね。
難波宮への大阪府の思い入れの深さも感じられるような
気がしました。模型と窓の外の実際の跡地を見比べるとは
素適な演出ですね。大きさが実感できます。
うふ、ここで50両を持ってごらんになったんですね。
上の熊子さんへのお返事で、真っ赤な顔して汗をかき
ながら菓子折りをうんうん運ぶ様子を想像してニヤニヤ
しています。
こういう歴史的な場所、あまもりさんに案内して
いただいて回ったら楽しいだろうなーと思います。
酔歩さんは、よく教えてくれたものと感謝してます。
大阪歴史博物館は、大阪市立です。大阪府はタッチしてませ~ん。
お金をかけた建造物のひとつで財政赤字に追い打ちをかけています。
でも他の建造物より市内の中心地にあるので、赤字博物館ではないと思うのですが、入館料は安いですね。大丈夫なのかなぁ。
こういう建造物に税金を使うなら市民は文句を言いません。もっと応援したい。
そうそう、ここが例の50両のところです。他の方へのコメントも読んでもらっておおきに。
私が案内して回ったら、もうちょっと黙っといて! なんて言われそう(笑)