シン・MOEヨ日本ト世界(仮称)

アラフォーヲタクのM太郎です。 なんか いろんなことを語るブログです。

私が生に執着するのは自我の消失をおそれているからです。

2023-05-30 02:56:19 | 雑記


 ニュースで、医師の安楽死事件を見て、思ったことは人は簡単に死を選んでしまうことだ。

 確かに病気で余命があと僅かと考えると患者さんの苦しみを長引かせるより、安楽死させた方が良いのかもしれませんが。
 もちろん、私は安楽死は反対ですが、肯定も致しません。

 いきなり話を変わりますが、
 皆さんは死について、どうお考えでしょうか?

 人間は あっさり死ぬときがあります。
 事故死 病死 殺人 自殺といろいろありますが、理想的な死は寿命まで生ききることでしょうか?

 
 しかし、人はいつ死ぬかは予想は出来ません。

 死は突然、訪れるものなんです。

 人は絶対な死からは逃れられないものです。

 はっきり言って、私は死ぬのがこわいのです。
 常に死にたくないと思っています。


 私は輪廻転生や天国や地獄というものは全く信じておりません。


 私は昔は中学生時代にいじめにあい。
 何度も死のうと思いました。

 そして、大人になり、社会で人間関係で幾度も理不尽な思いをしました。
 やっぱり大人になっても、死にたいと何度も思いました。

 だが、歳を重ねるにつれて、死にたいという気持ちは 次第に薄れ冷めていきました。
 代わりに死にたくないという気持ちが強くなってきました。

 何故、死にたくないんだろうと自問自答しました。

 簡単に言うと 生きているときは自分の自我というものがあるわけですが、死ぬときは自我も必然的に消えるわけです。

 人は自我があるから、自分自身を認識出来るのですが、もし死んだときは自分自身を認識出来ないですよね? 私が最もおそれるのは肉体的な死による自分の自我の消失です。

 それと、人間は死んでいなくても、自我の消失は起こります。
 それは認知症やアルツハイマー病です。    いわゆる脳の病気ですね。

 脳の病気が悪化すると自分自身の名前や記憶が薄れ、自分が誰なのか? どういう状態なのか? 認識すら出来なくなる。

 これも自我の消失と言えるでしょう。


  私が生に執着するのは自我の消失をおそれているからです。


 自我の消失ほど恐ろしいものは無いと思う。



 以上です。

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