うつからの脱出 

日々の徒然なる思い、その他興味あることを書いています。

おはようございます

2006-01-29 07:18:53 | こころ
ロヒ1.5錠ちゃんと飲んで、靴下はいたままで、足元に布団を追加したら、目覚ましがなるまで眠れた。ヨカッター 睡眠の深さも問題なし。

ただ起きると、ちょっとふらつく。
ロヒ1.5が強かったんだろうか…

今日は大須へ行ってショッピング。
いろいろ見て、相方から頼まれたものをゲットしたいと思います。

日曜だからメイドカフェは混んでいてダメかも(´・д・`)

それから、14時からマイミクさんと会う予定。
最近ちょっと調子が悪そうで、心配ナンダ…
ドタキャンならそれでもいいんだけどね。

はじめて会うときって緊張する。
ちゃんと会話できるだろうか…
それ以前に俺の容姿を見て拒否られるかも_| ̄|○



本当の幸せとは…

2006-01-29 00:45:12 | こころ
今回はシリアスで長文なので、調子の良くない人は読み飛ばしてください。

今日は一日母の付き添いをした。

8時前に病院に着くと、母はまだ眠っていた。
ステロイド剤投与による顔のふくれ、入れ歯を入れてない顔は元気だった頃とは違う人相になっている。

朝食は全粥食と味噌汁と牛乳。
お粥は大きなどんぶりに入っていた。
アルミパックの梅味のふりかけをまぶして、スプーンですくって口へ運ぶ。

素直に口をあけて食べてくれる。
全部は無理じゃないかと思っていた量だったが、ペロリと平らげた。

でも一番口を大きくあけたのは、デザートに用意した、コンビニで買ったカップのヨーグルトだった。
カットしたイチゴの入っている、ちょっと大きめのカップだったが、全部食べてくれた。

食後のクスリは看護士さんが飲ませてくれた。
粒のおきな錠剤は飲みづらく、何回もお茶を飲んで、口をあけさせて、飲み込んだことを確認していた。

洗い物がビニール袋に包まれていたので、洗濯しようとして、看護士さんに場所を聞いた。
すっかり洗剤のことを忘れていたが、看護士さんが探してくれて、それを持って洗濯機へ。

いきなり洗い物を入れようとしたら、看護士さんに「先に100円入れてください。」といわれた。
まず洗濯機の洗浄を行う。
それから洗い物を投入する。
すっかり忘れていた。自分が入院していたときもそうだったっけ…

食事はおいしかった?とか、お昼は何時なの?とか問いかけても、反応が返ってこない。
目はすこし虚ろだ。
ときどき、呼吸が苦しそうに、ぜいぜい言うので、「苦しいの?」と聞いても返事はない。

前からそうだった。
母は自分からは言い出さないのだ。
だから何をしてあげればよいのか、わからず手持ち無沙汰になった。

洗濯機が終わっていたので、乾燥機へ投入。
洗い物はバスタオル3枚だけである。

40分かかるので、その間母のベッドのそばで本を読んでいた。母は眠っている。
睡眠不足がたたって、少し読んだら、こちらも眠くなってきた。

うつらうつらした怠惰な時間が過ぎる。
そのうち乾燥機が終わる時間になったので、出してみたがまだ冷たかったので、もう一回乾燥機を回した。

そうしたら、母の主治医がやってきて、ナースセンターに呼び出された。
病状の説明を受ける。
この間と同じだ。
別の腫瘍が大きくなってきているが、脳幹からは遠い場所にあるので、すぐに意識障害がおこることは無いそうだ。

そして今後の治療の方針について。
このままこの病院で看取ってもよいが、もうひとつの選択肢としてサナトリウムを紹介された。

そこは末期のがん患者がより長く、人間らしく生活を送ることを念頭に治療を行うそうだ。
痛みに対するケアも今の病院よりは、良いらしい(モルヒネ治療なのかな)
患者の家族が泊まれる控え室や台所もあり、そこで自分のうちのように暮らすことも可能だそうだ。

詳しいことは病院のケースワーカーに聞かねばならない。
ケースワーカーは土日は休みなので、今度兄が付き添いに来るときに金曜日にしてもらい、話をきいてもらおう。

だが転院するとなると、問題は父の方だ。
認知症の父を今のままグループホームで介護してもらうか、母と一緒に移ってもらうのか。

母に昼食を食べさせた後、歩いてグループホームへ向かう。
2週間ぶりに会った父は、また太ったように見えた。
もちろん俺のことは解らない。
自分に子どもが何人いたかも忘れている。

そんな父を連れて、母の病院まで歩かせた。
母がどこの病院にいるかも忘れている。

交差点に着くたびに右だ、左だ、真っ直ぐだと声をかけながら誘導すると、素直に従ってくれた。
途中で下水道の工事をやっていて、通行止めの看板を見て、「ここは通れんよ。」と言う。
「歩行者は通れるんだよ。」って説明して納得させて、歩かせると大きな土管に興味を示していた。

程なく病院へと到着。
迷路のような病院の廊下を右に左に誘導して、母の病室に着いた。

母の名札を見せて誰だって聞くと、母であることはわかったようだ。
だが母にはあまり興味は持たず、途中で買ったお茶のペットボトルを気にし出す。

それ(ペットボトル)はそこ(サイドテーブルの上)にあると、人が通ったときに危ないから、
上(作り付けの棚。おむつが入っているところに少し隙間がある)において置きなさい、と言う。

誰も通らないし、倒れる心配はないよって説明しても、頑として自説を曲げない。
挙句の果てに地震がきたら危ないからって言ってきかないので、言うようにおむつの隙間にペットボトルを置いた。

すると、見えていると落ちてきて危ないから、おむつで隠しなさいと言う。
本人にとっては、もっともな理由なんだろうと思う。

でも、全てを叶えてやると大変なことになる。
点滴をつるす器具や、ナースコールのボタンのコードが垂れ下がっているのや、介護ベッドのハンドルに
興味を示しはじめたので、「触っちゃいけません。」って父に子どもを叱るように言うと、その様子を
見ていた母が声を立てて笑った。

母にはこんな感情が残っていたのだ。
馬鹿なことをしている父を見ているのが嬉しいみたいだ。

やはり母には父が必要なんだ。
一緒にいることが幸せなんだろうな…

あまり長い間父を病院に居させられない。何をしでかすかわからないから…
30分くらいだろうか。
母がすこし疲れたようなので、「また来るから。」と言って、父をグループホームへ連れ帰った。

リビングルームで介護士の人と少し話をした。
母が入院してからも、父は相変わらず自分の世界に浸っていたようだ。
父の願いは生家へ帰ること。
だがその術を父は知らない。

父にとっては最近の記憶はほとんど残っておらず、子どものころに戻っているようだ。

幸せって何なのだろう。
個人のものさしによって変わるもの。

母にとって、父にとって、どうなんだろう。
できることなら、一緒に暮らさせたい。それが幸福のかたちに見えるから。

だが、ふたりともハンディキャップをもっている。
自立して暮らすことは不可能だ。

子どもたちは頼りにならない。
ふたり分を介護できる余力がないのだ。

ならば俺達兄弟が交代で父を今の母の病院へ連れて行くか、ふたりともサナトリウムで暮らせるようにするのか。
どちらが良いんだろう…

もう時間があまりない母と頑丈な体をもつ父。
ふたりが一緒に暮らせる時間はあまりない。

母の幸せを優先させたいが、父の今後も考えねばならない。

まずはケースワーカーに話を聞いて、どういう方法があるのか、どういうリスクがあるのか知りたい。
話はそれからだろう。

こういう時こそ家族がひとつにならなければ。










PS>
食事の介助をしていると、こちらも食べたような気がして、食が進みません。

あとは慣れないブーツを履いてきていっぱい歩いたおかげで、靴擦れができたことが悩みかな。