今回はシリアスで長文なので、調子の良くない人は読み飛ばしてください。
今日は一日母の付き添いをした。
8時前に病院に着くと、母はまだ眠っていた。
ステロイド剤投与による顔のふくれ、入れ歯を入れてない顔は元気だった頃とは違う人相になっている。
朝食は全粥食と味噌汁と牛乳。
お粥は大きなどんぶりに入っていた。
アルミパックの梅味のふりかけをまぶして、スプーンですくって口へ運ぶ。
素直に口をあけて食べてくれる。
全部は無理じゃないかと思っていた量だったが、ペロリと平らげた。
でも一番口を大きくあけたのは、デザートに用意した、コンビニで買ったカップのヨーグルトだった。
カットしたイチゴの入っている、ちょっと大きめのカップだったが、全部食べてくれた。
食後のクスリは看護士さんが飲ませてくれた。
粒のおきな錠剤は飲みづらく、何回もお茶を飲んで、口をあけさせて、飲み込んだことを確認していた。
洗い物がビニール袋に包まれていたので、洗濯しようとして、看護士さんに場所を聞いた。
すっかり洗剤のことを忘れていたが、看護士さんが探してくれて、それを持って洗濯機へ。
いきなり洗い物を入れようとしたら、看護士さんに「先に100円入れてください。」といわれた。
まず洗濯機の洗浄を行う。
それから洗い物を投入する。
すっかり忘れていた。自分が入院していたときもそうだったっけ…
食事はおいしかった?とか、お昼は何時なの?とか問いかけても、反応が返ってこない。
目はすこし虚ろだ。
ときどき、呼吸が苦しそうに、ぜいぜい言うので、「苦しいの?」と聞いても返事はない。
前からそうだった。
母は自分からは言い出さないのだ。
だから何をしてあげればよいのか、わからず手持ち無沙汰になった。
洗濯機が終わっていたので、乾燥機へ投入。
洗い物はバスタオル3枚だけである。
40分かかるので、その間母のベッドのそばで本を読んでいた。母は眠っている。
睡眠不足がたたって、少し読んだら、こちらも眠くなってきた。
うつらうつらした怠惰な時間が過ぎる。
そのうち乾燥機が終わる時間になったので、出してみたがまだ冷たかったので、もう一回乾燥機を回した。
そうしたら、母の主治医がやってきて、ナースセンターに呼び出された。
病状の説明を受ける。
この間と同じだ。
別の腫瘍が大きくなってきているが、脳幹からは遠い場所にあるので、すぐに意識障害がおこることは無いそうだ。
そして今後の治療の方針について。
このままこの病院で看取ってもよいが、もうひとつの選択肢としてサナトリウムを紹介された。
そこは末期のがん患者がより長く、人間らしく生活を送ることを念頭に治療を行うそうだ。
痛みに対するケアも今の病院よりは、良いらしい(モルヒネ治療なのかな)
患者の家族が泊まれる控え室や台所もあり、そこで自分のうちのように暮らすことも可能だそうだ。
詳しいことは病院のケースワーカーに聞かねばならない。
ケースワーカーは土日は休みなので、今度兄が付き添いに来るときに金曜日にしてもらい、話をきいてもらおう。
だが転院するとなると、問題は父の方だ。
認知症の父を今のままグループホームで介護してもらうか、母と一緒に移ってもらうのか。
母に昼食を食べさせた後、歩いてグループホームへ向かう。
2週間ぶりに会った父は、また太ったように見えた。
もちろん俺のことは解らない。
自分に子どもが何人いたかも忘れている。
そんな父を連れて、母の病院まで歩かせた。
母がどこの病院にいるかも忘れている。
交差点に着くたびに右だ、左だ、真っ直ぐだと声をかけながら誘導すると、素直に従ってくれた。
途中で下水道の工事をやっていて、通行止めの看板を見て、「ここは通れんよ。」と言う。
「歩行者は通れるんだよ。」って説明して納得させて、歩かせると大きな土管に興味を示していた。
程なく病院へと到着。
迷路のような病院の廊下を右に左に誘導して、母の病室に着いた。
母の名札を見せて誰だって聞くと、母であることはわかったようだ。
だが母にはあまり興味は持たず、途中で買ったお茶のペットボトルを気にし出す。
それ(ペットボトル)はそこ(サイドテーブルの上)にあると、人が通ったときに危ないから、
上(作り付けの棚。おむつが入っているところに少し隙間がある)において置きなさい、と言う。
誰も通らないし、倒れる心配はないよって説明しても、頑として自説を曲げない。
挙句の果てに地震がきたら危ないからって言ってきかないので、言うようにおむつの隙間にペットボトルを置いた。
すると、見えていると落ちてきて危ないから、おむつで隠しなさいと言う。
本人にとっては、もっともな理由なんだろうと思う。
でも、全てを叶えてやると大変なことになる。
点滴をつるす器具や、ナースコールのボタンのコードが垂れ下がっているのや、介護ベッドのハンドルに
興味を示しはじめたので、「触っちゃいけません。」って父に子どもを叱るように言うと、その様子を
見ていた母が声を立てて笑った。
母にはこんな感情が残っていたのだ。
馬鹿なことをしている父を見ているのが嬉しいみたいだ。
やはり母には父が必要なんだ。
一緒にいることが幸せなんだろうな…
あまり長い間父を病院に居させられない。何をしでかすかわからないから…
30分くらいだろうか。
母がすこし疲れたようなので、「また来るから。」と言って、父をグループホームへ連れ帰った。
リビングルームで介護士の人と少し話をした。
母が入院してからも、父は相変わらず自分の世界に浸っていたようだ。
父の願いは生家へ帰ること。
だがその術を父は知らない。
父にとっては最近の記憶はほとんど残っておらず、子どものころに戻っているようだ。
幸せって何なのだろう。
個人のものさしによって変わるもの。
母にとって、父にとって、どうなんだろう。
できることなら、一緒に暮らさせたい。それが幸福のかたちに見えるから。
だが、ふたりともハンディキャップをもっている。
自立して暮らすことは不可能だ。
子どもたちは頼りにならない。
ふたり分を介護できる余力がないのだ。
ならば俺達兄弟が交代で父を今の母の病院へ連れて行くか、ふたりともサナトリウムで暮らせるようにするのか。
どちらが良いんだろう…
もう時間があまりない母と頑丈な体をもつ父。
ふたりが一緒に暮らせる時間はあまりない。
母の幸せを優先させたいが、父の今後も考えねばならない。
まずはケースワーカーに話を聞いて、どういう方法があるのか、どういうリスクがあるのか知りたい。
話はそれからだろう。
こういう時こそ家族がひとつにならなければ。
PS>
食事の介助をしていると、こちらも食べたような気がして、食が進みません。
あとは慣れないブーツを履いてきていっぱい歩いたおかげで、靴擦れができたことが悩みかな。