先日、本屋で新刊コーナーを見ていたら、伊集院静の新刊、『君のいた時間』という本が目に留まった。表紙にはワンちゃんの後ろ姿の写真と、サブタイトルに“愛するペットを失ったすべての人へ送る”とあり、ペットであるワンちゃんを亡くした伊集院静のエッセイ集みたいで、思わず手にとって購入してしまった。きなこのことを思うと、こういう本にはめっぽう弱いのだ。
正直、伊集院静の小説やエッセイは一度も読んだことが無かった。しかし、僕は比較的エッセイが好きで、特に小説家が書くエッセイは、小説の舞台裏を覗き見したような感覚があり、いつも興味を持ってしまう。これまでにも村上春樹、綿矢りさ、川上未映子、小川糸などのエッセイはかなり好きで読んできた。
『君のいた時間』は、伊集院静が飼っていたダックスフンドの“ノボ”について語っているエッセイ。自ら“東北一のバカ犬”と呼ぶノボだが、そこには愛情がたっぷり注がれていた。伊集院静は仙台に家を構え、仕事で東京と仙台を頻繁に往復する生活を送る中で、ノボは仙台で暮らしていたが、仙台で執筆活動をしている際、常にノボに語りかけていたことがエッセイで語られていたのが印象的であった。ワンちゃんを飼ったことのある人は、みな思い当たるようなことが多く書かれていた。いつもそばにいてくれたノボに対する深い愛と感謝の気持ちが込められているエッセイで、思わず自分のこれまでのワンちゃんと過ごした日々を振り返り、感動してしまった。
我が家の愛犬きなこは来年で9歳になる。まだまだ元気だし、ワンちゃんの寿命も昔に比べて一般的に延びている中で、きなこも順調にいけば、少なくとも後7-8年くらいは生きてくれるだろう。しかし、逆に言えばあと“たったの7-8年”である。もう既に半分以上の時間が過ぎてしまったと考えると心が締め付けられる。そして、いずれはきなことの別れの時間が来てしまう。ペットとの別れはいつかは訪れてしまうのだ。
僕は昔実家で買っていた愛犬マックを最後看取った経験がある。マックは柴犬で、僕が小学4年生の頃に飼い始め、社会人になるまで15年以上も一緒だった。まさに僕の多感な青春時代をほぼ全てマックと一緒に過ごした。15年以上も生きたというのは当時としては大往生であったし、最後は舌癌を患ってしまったマックだが、これが無ければ更に2-3年は元気に生きられただろう。最後は僕の腕の中でマックは力尽きた。あの時の悲しみは今でも忘れられない。そして、もっともっとマックに優しくしてあげればよかったと後悔した。
今回、『君といた時間』を読んで、マックのことを思い出したのと同時に、きなこへの思いも新たにすることが出来た、そんなささやかながら感動に満ちたエッセイであった。