迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

Day06・台風来襲・もとぶ【沖縄9月】

2012年09月16日 | 旅する。

9月16日 日曜日 もとぶ

【台風の目】
窓のガラスが不気味に揺れる。明け方、急に静まりかえり、その後また強風が吹き荒れた。どうやら台風の目が通過していったようだ。

7時過ぎに起きたら、ニクちゃんが死にそうな顔で「コニク(知らない人のために。飼い犬です)の小屋が飛んだ。コンテナは大破。一睡もしていない」と言って、そのまま目を閉じた。合掌。

朝食に昨夜のチキントマト煮にスパゲティを折って入れてミネストローネに仕立てる。別に水菜にうどんスープの素でドレッシングを作ってかけ、韓国海苔をトッピングしてサラダをつくる。

【停電はつづく】
学生たちに朝食をふるまい、ニクちゃんは起こさずに寝かせておく。この間、実はずっと停電しているのだが、日中なのであまり不便はない。もうやることもないので、またベッドに戻って寝る。

昼過ぎ、復活したニクちゃんを手伝って倒れた木を伐採して道を確保する。

午後になっても停電は復旧しない。テレビ、ネットは使えないし、ラジオもないので情報がない。携帯は停電が長引いたときのために節電しておく。

さて、台風で停電になったら、やるのはUNOなんだそうで、6人でビールを賭けて延々とやり続ける。

実はこのゲームをよく知らないのでルールを把握し、戦術を理解するまで3ゲームかかったが、10回を1クールとして第一クールで3位、第二クールで1位になり、ビール2缶をゲット。ビールがかかった勝負事には負けられない。

【渡久地の被害】
18時過ぎ、みんなでまちぐゎに様子を見に行く。すでに掃除が済んで浸水被害の様子が分からなくなっているが、実は大潮と台風が重なって市場周辺が床上浸水したそうで、大変な被害が出ていた。

信号のカバーが取れ、青信号からは電球がぶら下がっている。

しかし、沖縄のまちぐゎーの底力はすごい。本土とは戦災でも自然災害でも比べものにならない破壊を経験しながら、あっという間にに日常と笑いを取り戻してしまうのである。

「あのカツオのベンチが泳いでいたよー」

我々一行はちょうど「お疲れさまビール」の頃合いに来てしまい、まったく働いていないのに結局乾杯する。かたじけない。

【今夜も夕食をつくる】
さて、サンエーに買い出しに行ったら、スーさんに偶然会えた。しばし世間話。その後もとぶゲストハウスに戻って学生を助手にろうそくの灯りで料理をつくる。

豚肉、ニラ、もやし、ぶなしめじで常夜鍋。豆苗を塩で下ごしらえし、カニカマと野沢菜でサラダ風に。チキンを焼いて下に豆苗をひく。

食卓が出来上がったころ、「すみません、本当にすみません」「つかまって。まっすぐ」という声がする。市場でおじさんにラムコークをごちそうになった学生がつぶれてしまい、フラフラでニクちゃんに支えられながら帰ってきた。

そんなこんなでいろいろあったが、いい加減おなかが減ったので「食べよう!」と、夕食を始める。後半、鍋には沖縄そばを投入し、2250分には電気が復旧して拍手喝采、ようやくテレビで台風の経路を確認できた。


Day05・台風接近・今帰仁~もとぶ【沖縄9月】

2012年09月15日 | 旅する。

9月15日 土曜日 今帰仁→もとぶ

【台風対策】
朝から大雨、というより暴風雨になった。天気が少し落ち着いたところで台風対策を開始。テラスのテーブル、ベンチ、椅子、遊具を屋内に運び込む。こういうことにスタッフもゲストもない、と思うのでとにかくやることをやる。

テラスの床板をはがして雨戸に落とし込む。はしごにのぼり、ハンマーでたたく。新婚のオリバーもたむりんも手伝ってくれた。そんなときに消防士かっちゃんは爆睡していた。あとで「きみの活躍は忘れないよ」とねぎらうと、実に恥ずかしそうにしていた。台風関係はまさに担当範囲だそうだ。

遅い朝食にエスニック風ソーミンチャンプルー、つまりそのへんの余り食材からニンニク、ニラ、サツマイモ、空芯菜、そうめん、エスニック系の辛いスープキューブをピックアップして作ってみる。

【本日から避難】
新婚夫妻が那覇で台風を避けるというので、那覇のホテルをいくつか推薦する。台風でも楽しめるように(飲み屋に近い、ゲームやDVDがある、部屋にこもれる、大浴場がある)ところを探す。実はホテルなんて最近泊まったことがないが、情報だけはもっているのである。

結家は今日から台風対応で宿泊客を他のホテルに転出してもらうことになり、私は予定を1日早めてもとぶゲストハウスへ行くことにする。かっしーのクルマでもとぶゲストハウスに送ってもらう前に記念撮影。

出がけにでびーるから缶ビール4本もらう、実にいい奴だ。

【昔、市場が浸水した話】
もとぶゲストハウスでは「ニクのおなかをさするとご利益がある」という信仰を広めておいたので、そのうち参拝客が殺到するのではないかと思う。

ニクちゃんとお昼に出かける。海に近い〈みなと食堂〉は強風で閉まっている可能性が高いので、〈お多福食堂〉でトンカツ定食、600円。ちなみにニクちゃんはご飯おかわり3杯まで無料だそうだ。この人は食堂関係に愛される人格だからなぁ。

まちぐゎーに行き〈みちくさ〉でバリ島キンタマーニのコーヒーを淹れてもらう。自家焙煎のおいしいコーヒーがわずか300円。昔、本部小学校が避難をぐずぐずしている間に堤防が決壊し、浸水して先生たちが消防や警察から怒られた話を聞く。このときは笑い話でしかなかったのだが。

【「めんかた、こってり、やったー!」】
サンエーで買い物をし、もとぶゲストハウスに戻ってみんなの分の料理をつくる。チキンのトマト煮、ツナと水菜のサラダ、豚肉とナスのスタミナ炒めで若者の胃袋を満たす予定だが。

チキンのトマト煮は撮影を忘れた。

学生が何人か美ら海水族館や熱帯ドリームセンターに実習に来ていて、「ヒト科の種の少なさ」「カンブリア爆発」「ボトルネック理論」「フィンチの嘴」と知っているだけの生物学の議論をふっかけてみる。なかなか楽しかった。

そして宴はDVDの嵐になり、ケツメイシやマキシマムザホルモンやファンキーモンキーベイビーズをしこたま見せられる。その結果、「めんかた、こってり、やったー!」「三度のメシよりメシが好き!」を覚えてしまう。洗脳とはこういうことか。


Day04・台風の気配・那覇~今帰仁【沖縄9月】

2012年09月14日 | 旅する。

9月14日 金曜日 那覇→今帰仁

【正しい朝食(和食)】
台風は900hpa! 猛烈に強いヤツが本島を直撃しそうだ。船や飛行機がだんだん怪しくなってくる。

今朝は大ちゃんの〈だい処〉で、朝ごはんセットにサバの塩焼きをつけて300円。

【台風がやって来る】
電話があり、台風のため結家は16日休業するそうだ。15日は天候次第。ふむ。とりあえず14日15日の2泊の予約にしてもらう。ニクちゃんに電話したら「17日のもとぶ手作り市は中止」ということなので、もとぶゲストハウスには16日17日の2泊にして、場合によっては15日から泊まることにする。

〈ひばり屋〉に綾ちゃんを連れていく。話題は飛行機が飛ぶかどうか、飛んだとしても帰ってこられるか? 綾ちゃんは宮古島に行く気満々なのだが、沖縄ローカルの方々の意見は「行かないほうがいいんじゃないの?」が大勢を占めた。時間に余裕があるのならともかく、仕事が待っている人は無理しない。散々台風でひどい目にあってきたみなさんは、自然には逆らわないようだ。

【今帰仁へ】
さて、今日は南部に向かう綾ちゃんを開南のバス停まで送り届け、そこから那覇バスターミナルに向かい、高速バスに乗って北へ。

寝て起きたら世冨慶だった。ちょうどこの辺から左側に海が広がるのだが、今日は白波がたって荒れ模様の日本海のようだ。

名護バスターミナルから11分の待ち合わせで66番に乗り、与那嶺で降りたら雨が降ってきた。

ううむ。歩くつもりだったが雨では仕方がない、結家にお迎えをお願いする。

結家でベッドを決めたらとくにやることはない。買い物はヘルパーあ~やに連れて行ってもらってA-COOPへ。

浜に出てみる。無理すればシュノーケリングできないこともなさそうだが、自重しておく。

【テラスに食卓を】
さて、夕食に作るのは今回も沖縄そばの焼きそばである。最近はこればっかり。ニラとツナ缶でワイルドに行こうと思う。コンセプトは「シュノーケリングツアーで無人島に上陸してスタッフがその場で作ってくれたランチ」である。

そうこうしているうちにかっしーが到着し、でびーるたちもやってきて、急に賑やかになってきた。かっしーが作ってくれるのは上等なタイーカレーだし、でびーるからはビールが差し入れられるし(このコはケースでオリオンを買ってきよった)、ボケは突っ込んでもらえるし、コテコテの小芝居を突然ふられるし、気分は大阪である。

今晩同宿の方々は消防士とかまだ新婚のご夫妻とか髭さんとか同級生3人組とか、なかなか楽しそうな面々が揃ったみたいだ。

焼きそばは「勢いのあるやきそばですね」と賞賛(なのか?)され、タイカレーは偶然に2種類も揃い、刺身から何からレベルの高い夕食がテラスで展開されたのであった。

さらに浜飲み、キッチン飲み、と延々飲み続けて話の内容はほとんど覚えていない。


Day03・青空と骨壷・那覇【沖縄9月】

2012年09月13日 | 旅する。

9月13日 木曜日 那覇

【正しい朝食(洋食)】
台風16号サンバが急に強くなった。

近所なのに行ったことがなかった〈サウスウインズ〉に行って、由緒正しい洋風モーニング500円をいただく。

【くせものの映画】
桜坂劇場で《それでも、愛してる》を見る。

監督がジョディ・フォスターというだけあって、一筋縄ではいかない。メル・ギブソンを主演に据えてダメ男をやらせる時点で、すでに規格外の気配が漂う。

「ダメ男がパペットの力で再生し、 家族は幸せを回復する」というありがちな流れを裏切り、壮絶な決断からやがて家族は和解らしき方向に向かうのだが、決して明るい結末ではない。

ここで重要な役割を果たすパペットが何かの暗喩であることは容易に想像できるが、おそらくそこから先は観た者ひとりひとりが考えなければならない領域だろう。この映画には印象的なエピソードがちりばめられているが、そのひとつひとつが観客の前頭葉を活性化させるための仕掛けのようにも思える。

たぶん、監督はひとつの結論に安住するよりも、より多くの人に悩んでほしいのだ。そんな映画が人気を博す時代ではもはやないことを知りながら。

【青空と骨壷】
やちむん通りから長い散歩をしてみる。古民家にからむ緑、青空に湧き上がる白雲。

色鮮やかな大きな壺は「骨壺」である。こちらは専門店。

〈MOONBOW〉へ。森クンが外でタバコを吸っていた。

ランチにミーゴレンとアイスコーヒー。10月の結婚式サプライズの話をしていたら、そこに仕掛け人当人が現れた。6時までダラダラと過ごす。 

【冬瓜と餃子と】
月光荘でシャワーを浴びて洗濯をして、冬瓜の料理をミキティにまかせてみたが、結局心配になって自分でスープをつくる。その代わり、乾燥機はミキティにまかせた。

で、ミキティとあべちゃんは楽しそうだ。

本日は餃子パーティだそうで、後で聞いたところでは650個作ったそうだ。〈つきのわ〉キッチンがメイン会場だったが、あまりの量なので月光荘キッチンでも焼く。冬瓜スープを作ってその後ひきつづき餃子も焼く。飢えた連中がギラギラと餃子を待つが、普通のフライパンで一度に焼ける量には限界がある。しかも初期に作られた餃子はまだコツをつかんでいないせいか大きさはバラバラ、焼く前からくっついていたり、具がはみ出ていたり。ひーひー言いながら焼いていたら、マモルがレモンハイをおごってくれた。

〈つきのわ〉にはバースデーケーキも。

いったん〈MOONBOW〉に「出張」し、また〈つきのわ〉に戻ると、シーサーさんがハーレム状態になっていた。今夜は3時半まで。


Day02・夕暮れのてんぷら坂・那覇【沖縄9月】

2012年09月12日 | 旅する。

9月12日 水曜日 那覇

【小禄探検】
8時過ぎに起きてゆいレールに乗り、奥武山公園へ。1日乗車券は最初の乗車から24時間有効なのだ。例によってなんのあてもないが、「山下町第一洞穴遺跡」なるものを探すことにする。

駅にある地図を眺めてだいたいの見当をつけて坂を上り、茂みをかき分けるが、見つからない。あきらめて駅へ戻る途中、唐突にプレートが見つかった。

そうか、ここか、と洞穴を探してみれば、それらしき洞穴は見当たらない。聞くところによれば、那覇市が買い上げるという約束を果たさないのに業を煮やした地主が穴を塞いだ、とか。

このへんにはラーメン屋が多く、〈天下一品〉もあるのだが、開店にはまだまだ時間がある。

【公園で朝食】
漫湖公園のシオマネキの下で休憩し、国場川を渡ってマックスバリュで朝食を買う。肉団子199円、ジューシーおにぎりとコロッケのセット210円、カフェオレ946mlが88円で計497円。

さあ、公園で食べようと思ったらちょうど幼児が外で遊ぶ時間らしく、幼稚園の団体が2小隊やってきた。純真な子どもたちが遊ぶどまんなかで、なかなか食べづらいものがあるが、どうやら非常に行儀の良い園児たちのようなので(空腹もピークだったし)がしがしと食べたのであった。

【何もしない午後】
歩いて月光荘に帰る。雨が降ってきた。それでなくても出不精でゴロゴロする性癖の人たちには出かけない理由として好都合である。

あべちゃんが撮った写真を見せてもらう。ほとんど美少女図鑑である。500円でできるtolot写真集を紹介したら、「ぜひ作りたい」というので、今後に期待しよう。

はるちゃんたちが買い出しに出かけるというので、用はないけど同行する。A-PRICEでてんこちゃんは餃子の材料を買い出し。はるちゃんはラザニア。

夕方、何気なくあっちゃん、あべちゃん、ふーみんと「そばでも食べに行く?」と出かけたら280円そばは閉まっていた。仕方ないのであっちゃん、ふーみんと〈大東そば〉へ。40代男性と20代女性の恋愛の難しさとか、日本人にはなぜ痛税感が強いか、その思考停止と依存体質(誰かが、何かを、なんとかしてくれる)について語り合う。

【夕暮れ時の散歩】
戯れにひとりで散歩する。桜坂劇場でかかっている映画を調べ、壺屋につながる新しい道を検分し、わかりやすくなったてんぷら坂をのぼる。夕暮れの闇が濃くなってきた。

やちむん通りまで行ってから、ビッグ1で買い物をして戻る。月光荘はいきなり人口過密になっていて、若い学生のひとりがはるちゃんの餌食になっていた。

今晩のメニューは激辛白菜サラダ、マグロのユッケ、ラザニアなどなど。

【パーティの夜】
あべちゃんのバースデーパーティということで、プレゼントや歌がつづく。ワタクシもその余波でギターや三線を弾く。あまりに久しぶりでどーしようかと思ったが、意外に指は覚えているものであった。

その後も〈つきのわ〉でパーティはつづき、中抜けしてひとりで〈MOONBOW〉で飲み、たぶん3時過ぎには寝たと思う。


Day01・夜明け前の滑走路・那覇【沖縄9月】

2012年09月11日 | 旅する。

9月11日 火曜日 成田→那覇

【成田空港、夜明け前】
早朝6時00分発のJetstarに乗る。そのために成田の友人宅に前泊し、朝4時30分にクルマでおくってもらう(ありがとうございました)。

自動チェックイン機が3台あるのだが、手こずる客が多く、困惑の雰囲気が漂う。予約番号を入力してみたら「これは搭乗券ではありません」というプリントアウトが出て、カウンターで手続きする。これはたぶん、webチェックインしたのにプリントアウトを持っていかずに空港で出力しようとしたから。

まだ5時だが、セキュリティーが混むのですぐにゲートへと急がされる。ちなみに、売店は開いていて、軽食やコーヒーや崎陽軒のシウマイもある。こんな朝なのに。

5時20分には搭乗開始、バスに乗って空港内を延々と10分も走る。車内で夜が明けてきれいな朝焼けが滑走路を照らす。定刻に離陸、機内誌をチェックし、少し寝たら奄美大島の上空だった。しばらく眼下の島々を見下ろして過ごす。

これは沖縄本島、本部半島のあたり。古宇利島、羽地内海がよくわかる。

【那覇の朝】
8時35分に那覇に着陸。預入手荷物は有料なので預けずにデイパックと小さなワンショルダーだけの身軽な旅である。

今回は思惑があってゆいレールの1日乗車券600円を買っておく。いつものように月光荘に行くと、渡嘉敷島キャンプにスタッフもお客さんも出払っているようで実に静かだった。まあ、午前中はだいたい静かなことが多いが。

預けてある海道具を2階から発掘し、サンダルを出してからシャワーを浴びて短パンに着替えると沖縄仕様になる。

〈コトブキ〉で今日まで特製ラーメンが食べられる、というのでふーみんやマーキンと出かける。

「あさりの血まみれ」750円、あさりの塩ラーメンとトマトソースがおのおの存在を主張しつつ、いい試合をしていた。

【怠惰な午後】
ひとりでむつみ橋通りを抜けてカフェ〈プラヌラ〉へ、マサラチャイ。「ダメ大人でも、そのダメっぷりが人を勇気づけることもある」というポジティブな自己弁護を展開してみる。それはそうと、糸満には「ロボットコンビニ」があるそうだ。

月光荘に戻ったら、おかちゃん、あべちゃん、マーキンにあっちゃん(寝ていて写真には間に合っていない)がいて、「オトナのゲストハウス」になっていた。

マーキンが帰るので、空港まで送る。なんせ、ゆいレール1日乗車券があるのだ。

【明治橋探検】
空港からの帰りにゆいレールを壺川で降りて58号線の起点を探す。明治橋のどこかにあるはずなんだが……。

あった。

明治橋の南端で58号線から331/332に変わるようだ。

【首里探検】
つづいてゆいレールに旭橋から乗って首里で降りる。とくにあてはないが、たとえば聞得大君御殿跡(チフィジンウドゥンアト)という解説プレートを見て想像力を働かせてみる。そこは首里中学校の校門で、他には何もない。

歩きまわっていたら「泰山石敢當」といういかにも古い石敢當を見つけた。

儀保駅に上ると、ちょうど日が沈んで夕暮れになった。

この駅はゆいレールの中でも高い位置にあり、夕日の名所でもあるらしい。

【那覇の夜】
さて、今晩はさいたまスタジアムで日本対イラク(ワールドカップ最終予選)があるのだが、月光荘にはテレビがない。スポーツバーに行こうかとも思ったが、じょっちゃんやコージ・クルーニーとビールを飲む流れになり、そのままもうい(という野菜)やオムそばや今津さん差し入れの刺身を食べ、まぁさのワインをもらったりしていたら、試合は終わって1-0で勝ったらしい。

〈つきのわ〉でジャックダニエルをストレートでもらうと、ふーみんから愛情過多な超大盛りで出てきた。この1杯を飲むのに2時間くらいかかったような気がする。


9月の予定

2012年09月05日 | 旅する。

9月5日 水曜日 山形県某市→東京、横浜

ただいま、18きっぷで南下中。今日は西荻窪あたり、明日は元町あたりに出没するかもしれません。今回は用事が済んだらとっとと帰ります。

9月11日から沖縄です。JETSTAR成田発早朝(06:00発!)便。14日から北部に行きます。

20日から来間島2泊、続いて伊良部島3泊。

27日には本土に戻り、また野暮用その他。

以上、業務連絡でした。


広島の小学生の詩

2012年08月06日 | ただの日常。

 

よしこちゃんが

やけどで

ねていて

とまとが

たべたいというので

お母ちゃんが

かい出しに

いっている間に

死んでいた

いもばっかし食べさせて

ころしちゃったねと

お母ちゃんは

ないた

わたしも

ないた

みんなも

ないた

(広島市・小学五年・佐藤智子「無題」/『わたしがちいさかったときに』から)

[斎藤美奈子『戦時下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』から引用]


死ぬ運命。

2012年06月23日 | 旅する。

6月23日 土曜日 山形県某市

沖縄慰霊の日。沖縄では梅雨が明けたそうだ。

黙祷とともに、いくつかの本を再読する。

仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』角川文庫
池宮城秀意『戦争と沖縄』岩波ジュニア新書
大田昌秀『沖縄のこころ』岩波新書

 

…………(略)…………
 外間安子さんはいつもしずみがちで、中央の米俵のおいてあるそばにうなだれていた。突然、「あなたは生きる運命よ。私は死ぬ運命! 私の母は今帰仁の大井川にいる。私がここで死んだことを知らせてね」とまっさおになり、眼を槍のようにとがらせてさけび、半狂乱になって、私にしがみついた。ぞっとして、つき離そうとしても、どうしても離せない。

 私はおびえて助けを求めた。衛生兵がなかにはいって、やっとなだめて手を離させた。やがてその眼からぽろぽろ涙がこぼれた。「安ちゃんどうしたのよ」と、その手をとってあげると、やさしく美しかった安子さんは、背を波うたせてむせび泣いた。
…………(略)…………

(『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』「座波千代子の手記」から一部抜粋)

 

6月23日は節目の日ではあるが、この日で沖縄戦が完全に終わったわけではなく、むしろ凄惨な悲劇はこのころに多い。 

いろいろ書くよりも、象徴的な引用でもしようかと本を読みはじめたが、生々しい証言にうちのめされる。ここに抜粋した部分だけではわかりにくいだろうが、かといって状況を説明しようとすると、筆がとまる。願わくは、それぞれの本を読んでいただきたく。

合掌。


【さくら便り】06・小学校のさくら

2012年05月13日 | ただの日常。

5月13日 日曜日 山形県某市

みちのくの春は遅いとはいえ、とうに桜の季節は過ぎたのだが。

戯れに散歩して昔通った小学校まで行ってみた。

 

校舎は位置も変わって新しくなり、なんの面影もないなかで、昔の校門と桜並木はそのままだった。なにしろ校歌の冒頭が「歴史を語る老桜の~」というくらいで、古い桜が自慢だったのだ。

ちなみに私が育ったころには小学校と中学校が並んでいたが、中学校は統合で移転していまは小学校だけが建っている。