もう代表23人云々について書く気はなかったんだが、やっぱり気になる。
「落選」は、決してサッカー人生の終わりではない。
ワールドカップに出られなかった偉大な選手は大勢いる。
古くはアルゼンチンのディ・ステファノ。当時は国内でプレーしていた選手だけで代表チームを構成していたアルゼンチンにとって、スペインでプレーするディ・ステファノは「遠いひと」だった。
あるいは、先日亡くなったジョージ・ベスト。北アイルランドがワールドカップに出場する日が来ると思っていたら、あんな放蕩三昧で選手生命を縮めることはなかったかもしれない。
リベリアのジョージ・ウェアは、ついにワールドカップでプレーすることなく引退した。
これから、まだチャンスはあるだろうが、いまだ大舞台に縁がないライアン・ギグス(ウェールズ)。
そして、ほとんどあきらめかけていた(と思う)のに、ついに出場権を獲得したトリニダード・トバゴのドワイト・ヨーク。
前置きが長くなった。今日は、「捲土重来」を期してほしい11人でチームを組んでみたい。
2002年の功労者である鈴木や大久保、高松など、久保のほかにも残念ながら選にもれたFWは多い。すでに4年後に期待するメンバーは列挙したので、ここでは狭間の世代から田中達也と佐藤寿人に2トップを任せてみよう。
中盤には、ドリブラー本山とファンタジスタ松井、成長著しい長谷部、FKが魅力の阿部という、「惜しかった」4人を並べてみた。
サイドには怪我で涙を呑んだ村井と、アテネ組から石川。山田?でもいいのだが、ここは若い方に。
センターバックにはこれも「惜しかった」茂庭と徳永、GKには曽ヶ端。
こうしてみると、アテネ世代がごっそり抜け落ちているのがわかる。2004年の23歳は、2010年には29歳である。よく言えば選手生活のピーク、悲観的に言えば下り坂の一歩手前。
観ている方は、気楽に選手の名前を並べるが、選手自身にとってはなんと厳しい日々だろうか。
それでも、努力する者が幸運を引き寄せる。先日のブルガリア戦で、巻のせつないくらいのチェイシング観ていたら、涙が出て来た。もしも、全員が巻のような気持ちでプレーしたら、2002年のアイルランドのような感動的なチームになるだろうなあ。
努力は、果たして全部報われるのだろうか?
この疑問に答えはないが、少なくとも「努力しない人間はなにも得られない」ことは確かである。
話は戻る。「ダイヤモンド・サッカー」に親しんだ世代にとって、ジョージ・ベストは甘酸っぱい憧憬そのものだった。
北アイルランドが24年ぶりにワールドカップ本大会に出場した1982年、ジョージ・ベストは36歳だった。節制し、精進していれば代表として戦える年齢だが、すでに彼は1981年に引退を余儀なくされていた。いや、実際には20代後半から半分「隠居」状態だった。「酒と女に溺れた」過去の名選手。それでも77年のワールドカップ予選、オランダとの対戦で突然代表に復活し、2-2の引き分けに持ち込んでいる。
ジョージ・ベストのような偉大な選手になるのは、たしかにむずかしい。しかし、ジョージ・ベストの轍を踏まないことはできる。あんな無頼の人生に憧れるからこそ、「オレのようになるなよ」と彼は遺言しているような気がする。
2005年12月4日、ベルファストでの葬儀には10万人の市民が集まり、1分間の拍手(黙祷ではなく)で「伝説」を見送った。
「さよならは言いません。また会おう、ベルファスト・ボーイ」
ああ、今日はいったい何を言いたかったんだろう?