迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

夢を発明したジョルジュを救ったヒューゴを書くイザベルの物語を………

2012年03月02日 | 旅する。
3月1日 木曜日 山形県某市→渋谷→横浜

雪だ。が、やや暖かい。それでも午前中に氷点下じゃない、ってくらいで「暖かい」のだが。

最寄りのローカル駅で青春18きっぷが買えるか試したら、買えた! かなり驚いたが、駅員は「発売期間はいつだっけ?」と調べていた。

幹線を外れた駅を起点にすると青春18きっぷは使いにくい。そういう辺鄙なローカル線を訪ねてくる人たちはたくさんいるが。その話はまた改めて別の機会に。

(各駅停車を乗り継いで)

南下して渋谷で映画、ファーストデイなので1000円、3Dなので+400円(ちなみに映画館によっては3D上映は割引の対象外になっていて、字幕・3D・ファーストデイ割引の条件で探すと意外に選択肢が少ない)。



《ヒューゴの不思議な発明》

メリエスはじめ初期映画への賛歌、と思えばわかりやすい。しかも3Dの奥行きがあるパリの風景、それも1920~30年代とくれば、これだけで胸がいっぱいという観客もけっこういるだろう。少なくとも私は好きだ。

時計や鉄道や義足といった機械仕掛けにも美しさや愛を発見した時代だ。その象徴が機械人形だろう。

ただ、フランス語の響き(ジョルジュ)を残したり、でも英語(ヒューゴはフランス語ならユゴーでアクセントの位置も違う)だったりするのが不満。

原初、映画は驚きで始まったことを思い起こすと、メリエスと3Dの相性のよさも納得がいく。冒頭、駅の群衆をカメラが抜けていく長回しから、初期映画へのオマージュは始まっていたのだ。

筋の運びがやや強引とか、キャラクターが図式的、編集がわざとらしい、映像にケレんが多い、これら全ては映画の先祖返りを示唆する意図的なものだろう。もともと、映画は「写真が動く」という単純な驚きで始まり、物語の楽しさや夢の美しさを語ってきた。

この映画がもつ入れ子構造はヒューゴの夢やイザベルが書きはしめた本が示しているが、それは映画はもとより、小説や物語やジュヴナイルがもともと持っていたストーリーの力を復活させようとする願いでもある。

最新の技術(CG、3D)とメタ技法で100年前の映画の喜びを再現した、というべきか。



で、結局は渋谷からJRを使うと終電に間に合わない危険があったので東横線を使ったのでありました。

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