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11月2日、今帰仁
大宜味村を抜け、道の駅ゆいゆい国頭に寄り、茅打ちバンタから海を見下ろして、ついに辺戸岬に到着。
1972年の本土復帰まで、ここと与論島の間に国境があった。
喜びの表明でも勝利の記念でもなく、大衆の戦いの記憶として、この碑は立っている。
72年の本土復帰が、決して沖縄の人々が望んだかたちではなかったことは、いまどれだけ認識されているのだろうか?
大宜味村を抜け、道の駅ゆいゆい国頭に寄り、茅打ちバンタから海を見下ろして、ついに辺戸岬に到着。
1972年の本土復帰まで、ここと与論島の間に国境があった。
喜びの表明でも勝利の記念でもなく、大衆の戦いの記憶として、この碑は立っている。
72年の本土復帰が、決して沖縄の人々が望んだかたちではなかったことは、いまどれだけ認識されているのだろうか?
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