私が大学に入学した当時は、学生運動がまだ続いていた時期であった。構内で内ゲバがあり、角材や鉄パイプで殴り合う姿もあった。校舎のロックアウトも度々で、試験が中止になり、レポート提出で終わることも多かった。
もっとも私はほとんど授業に出ておらず、きちんとした試験よりはレポート提出の方がありがたかった。
私は当時、学内のある演劇集団に所属していた。学内には劇研や自由舞台といった演劇集団があったが、私の所属していた劇団はそれらの劇団に比べ、活動状況は芳しくなく低迷していた。私が入ってから公演を行ったのは1度だけ、その後は、部員が集まると「疲れるんだよな」の一言が決まり文句であった。
8号館地下の部室に集まっても、演劇の話にはならず、人数がそろえば雀荘に行くのが日課であった。部員は、ほとんどが年上で、まともに授業に出ている者はいなかった。「演劇関係に行くにしても物書きになるにしても、4年で卒業するようなやつはものにならん。留年は当たり前で、中退が一番だ」というのが当時の雰囲気だった。
私も留年する覚悟であったが、どういうわけか4年で卒業し、公務員なんぞになってしまった。卒業してから1度劇団の仲間が集まったことがあったが、それから既に50年近く会ったことはない。当時の仲間は、今どうしているのか。それぞれが地方出身であり、山形や新潟、九州といった故郷に帰ったのであろうか。今ではもう連絡の取りようもなく、彼らがどこにいるのか、生死さえ分からない。この歳になって、もう一度会いたいものだと思いインターネットで探してみたが、知っている名前は出てこなかった。見つけてくれるかもと思って作った自分のフェイスブックも無駄であった。
今更会ってどうなるわけでもないが、生きて会えるならば、当時の暗く自堕落でありながら、得体の知れない希望を持っていた若き日々がなんであったのか、そして、その後の人生がどんなものであったのかを話し合ってみたいと思うのだ。
友よ 何処に