細菌戦の系譜!!

2019-03-04 09:54:25 | Weblog
731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)
第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
石垣島の自衛隊!!
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後

●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本の核開発

「徴用工問題」とは何か


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」

【厚生労働省の統計不正問題】村木厚子氏も官邸からの圧力の報告か 朝日新聞が報じる


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策



自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・戦争が起こってしまえば、虐殺も慰安婦も出てしまうのが残念ながら普通のことなのだから、戦争をやっちゃいけないと思っています。
「なかった」など平然と言えるやつは、何か利害を持っている者なのか、、、。
松代地下大本営は40年ほども前に、中に入ってみたことがあります。朝鮮語と思われる文が洞窟の壁に残っているのも見て来ました。
AがK学園でそんな大きな奥の目的を達成させようとしているなんて、Aにそんな頭脳はないと思っていますが、Aのジイサマがそれを考えていたという記録があるのなら、Aも考えてしまうかもしれませんね。Aとその仲間はなぜこうも庶民をないがしろにできるのか、全く理解できないし、そのまわりの党所属者もそろそろ「おかしいっ!」と言い出すのがいっぱい出てこないのかな、と不思議です。
官僚が自分の将来を考えて動くのはちょっとわかったりしますが、正義感など表せないのはとても残念だし勤勉だし、思い込んでいた日本全体が不正とウソのかたまりだったとわかってきたのはものすごくショックです。老後は外国で暮らしたいと思うくらいですが、暮らしきれないと思うので、日本にいます。(男性60代、海老名市、通りかかって)

「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
英霊安置所にて
私はなんだか悲しかった。小枝傭員の無言の思いやりが、陰気な毎日にならされた私の胸を、夜露のようにしっとりぬらした。
病院の方に駆け出した私は、後から声をかけられた。林田である。
「俺も行くよ」
と言って、彼はすぐに話題をかえた。林田と佐々とは飼育所に一緒にいただけのわずかなつき合いにすぎなかったのだから、林田の目的はほかにあったのである。
「よか人だのう。俺の班長も、あんなだったら、苦労せんとよかものを・・・畜生」
私はびっくりした。林田は1人で小枝傭員と自分の班長である小宮雇員とを比較して怒っているのだった。小宮は、林田が勤務に出てくるようになってからも彼を束縛し、いつかのことを根に持って、まだ辛く当たっていた。そして小宮班長に対する反感は1人林田のみではなく、班員の大半が共通な恨みを抱いているという。
「俺な、あいつ、小宮の奴を、やったろうかと思っとる。班長だってなんだってかまうことあるか、一度やらんば気が済まんのじゃ」
と林田は、かなり興奮のていである。しかし私は、まさか彼が真剣に思いつめているとは考えられなかった。それは、とてつもない無謀な行為でしかなかったのだ。“下級のものは上官の命を承ること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ”という軍人勅諭の一節がここでも生きているからである。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」










日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校
新しい軍事学校は元騎兵第1旅団司令部の位置に建てられたが、間もなく同旅団第16連隊のいた場所に移転した。この旅団の一部が中国の「満州」作戦に派遣されたからである。「陸軍習志野学校」と公式に命名されたように、何も異常なところはなく、この学校の任務は「軍事に関する科学教育及び調査研究を遂行すること」とされていた。事実、どんな軍事学校でもその任務はすべてこのような一種漠然とした定義で概括できる。しかし、もう1歩進んで理解を深めたならば、この習志野学校の内幕は普通の軍事学校ではないことを発見するだろう。




●登戸研究所資料館
第1展示室

第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。

登戸研究所の誕生
登戸研究所は、1937(昭和12)年に、新宿にあった陸軍科学研究所の「登戸実験場」として、生田地区に設置されました。その後、日中戦争の拡大とともに組織の拡充が図られました。アジア太平洋戦争の終盤期には、11万坪もの敷地に約100棟の建物を有し、約1000人の人々が働いていました。研究所における兵器開発は、当初は電波兵器が中心でしたが、次第にスパイ機材・生物化学兵器・偽札・風前爆弾などへと多様化していきました。研究所の敷地・建物の内外では、憲兵が警戒に当たっており、一般人が近づくことはできませんでした。


勅令第110号
1919(大正8)年、大正天皇による勅令。天皇が署名する権威のある方法によって、陸軍科学研究所が設立された。これが後に登戸研究所設立につながっていく。(国立公文書館所蔵)



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。


2007年4月までに確認できた罪悪としては、ヒトを「サル」と偽って日本病理学会でも発表された「流行性出血熱感染実験」、米国で見つけられた、731部隊のデータを手に入れた米軍の報告書に記されていた炭疽、ぺスト、チフス、パラチフスAおよびB、赤痢、コレラ、鼻疽の「細菌感染実験」(被験者の50%に感染を引き起こす病原体の最小量も記されている)、「凍傷実験」、「水だけを飲ませる耐久実験」、「ぺストワクチン実験と生体解剖」、「毒ガス兵器の野外人体実験」、「毒物の経口摂取・注射の人体実験」、「細菌兵器の実戦使用」があげられます。




昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月8日の新聞は大本営発表として、広島へ敵が新型爆弾を投下したことを知らせた。落下傘をつけて空中で破裂させたが、想像もつかない大爆発であったと書いてあった。実際に広島の惨害の第1報が東京へ到着したのは6日の午後であった。特殊の高性能をもった爆弾で、惨害が甚大であるとの報告を受けた陸軍の中央部では、7日の早朝米国のラジオが「原子爆弾」であると放送していることを知ったが、公式の調査によって確認するために、参謀本部第2部長の有末中将を長として、理研の仁科博士や陸軍軍医学校の関係者を広島に派遣した。陸軍軍医学校は委員の差出しによって、爆撃の惨害の程度を確認し、被害者の診療方針を決定し、防護対策を立てることに指示されていたので、以前から爆傷及び爆風傷について研究していた外科の島田、耳鼻科の成田、病理の山科、眼科の松永の諸教官を委員とし、ほかに助手1名を選定した。一行は航空事故のために遅れた8日午後広島に到着し、10日18時、2日間の調査結果を、船舶司令部参謀長依頼特別緊急電報で陸軍省医務局長へ報告した。

内容は次のようであった。
(1)爆弾威力(詳細は文)
a、爆発殺傷力及び建造物の破壊力はおおむね半径3キロに及ぶ
b、殺傷は爆発の時発生する特殊光線による火傷及び強力な爆風によるものと推定される。特殊光線は直接皮膚を燃焼し、レントゲンフィルムを感光させる。
c、一部の水中生息物(魚類)が死亡した。
d、防護は掩蓋壕内に退避するほか、地上では爆風と光線の死角内に伏するのがよい。
(2)陸軍病院の被害状況
a、広1病全焼、職員患者8割死亡
b、広2病本院全焼、職員患者約8割死傷
c、三滝分院倒壊、死亡1、負傷約200
d、江波分院一部倒壊、人の被害なし。
(3)レントゲン教官至急派遣されたい。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制

明治天皇のもとで、日本は、技術のみならず、ある意味では先進的な西洋社会のアイデンティティさえも摂取しながら外見上は「脱亜」を行った。その結果、アジアの白人西洋社会に対する、希望と不安の合わさった浅薄な一種の連帯感が生まれた。それは、中国その他のアジア民族への差別や侮蔑と表裏一体になっていた。しかしながら、いまや日本は台頭しつつあり、アジアにおける正当な指導者という役割を独自に担い、構築し、刷新しつつあった。そのため当時の多くのイデオローグは、西洋の政治思想の本質は収奪と、支配と、侵略であり、要するに一時的に島国日本を襲い、アジア同胞の利益も脅かしている伝染病だと考えるようになった。これからの日本は「自衛」のためではなく、むしろ、昭和天皇の大御心を広げるために行動しなければならない、それは、道徳的に優れた社会を満州国に建設することによってもたらされる。満州では「五族」が「『王道』の原則」に従い階層的な「協和」のもとに生活するのである。彼らは、そう主張した。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする