細菌戦の系譜!!

2019-03-05 10:14:34 | Weblog
731部隊関連年表
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
日本の核開発(加藤哲郎さん)
第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
石垣島の自衛隊!!
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後

●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本の核開発

「徴用工問題」とは何か


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!

2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影

●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」

日立と系列10社に改善勧告・指導 技能実習業務で違反

東京医科大、寄付した7人加点か 補欠で合格 第三者委

<ボロボロ出てくる新事実>厚労省勤労統計問題はオモシロイ


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策



自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!




竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・原爆や、らち問題等、被害の歴史ばかりが強調されて戦前、戦中に日本国家及び軍部が行った中国、朝鮮、さらに沖縄等の非人間的な加害行為をあらためて、今に生きる日本人として恥入る想いです。
二度とこのような時代を創らないためにも、今後共、このような企画を全国津々浦々に広げていただきたいと思います。(男性70代千葉県)

「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
英霊安置所にて
病院に着いた。えぐりとった背中の傷をぬぐったばかりの佐々は、白いベッドに腹這いになっていた。彼は私達を見上げたとたんに泣き出しそうになった。
「えぐられた時は、実際ひどかったぜ。電気にかかったみたいに気が遠くなって、痛いのかどうか、自分でもわからないくらいだった」
「今、阿部の葬式を済ませてきたばかりだ」
「そうか・・・。俺ももう少しで危ないところだったなぁ」
と、佐々は淋しそうにゆがんだ微笑をした。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず

記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」








日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校

秘密の軍事学校
まず、当時の日本陸軍の各種学校は、すべて学校の名前の中に専門的な性格を表明していた。例えば「砲兵学校」、「歩平学校」、「通信学校」、「自動車学校」あるいは「士官学校」、各種教育機関など。しかし「習志野」は地名であり、専門とは何の関係もない。明らかなのは、専門の性格を秘密にしなければならないということだった。当時この学校に命令を受けて来た軍人たちは、学校の名称からしてすぐここは秘密の軍事機構だろうと疑った。





●登戸研究所資料館
第1展示室

第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。

登戸研究所の誕生
研究所の内部でも、どこでどのような研究を行っているのか隠すため、人の出入りが厳しく制限されていました。
登戸研究所は、陸軍中野学校・憲兵隊などと連携しつつ、陸軍中央と強い結びつきを有しているのが特徴でした。そして、戦争の拡大とともに、{秘密線)の必要性から、登戸研究所はその存在感をさらに強めていきました。登戸研究所が直接指導を受けていた参謀本部は、天皇に直属する機関であり、戦時中は大本営(戦時・事変において設置される陸海軍の最高司令部)の中核を担っていました。


陸密1570号
陸軍科学研究所登戸出張所(登戸研究所)の設置を決定した文書。(防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵「陸軍省密大日記」昭和14年1冊より資料館筆耕)



●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。


731部隊による人体実験や中国各地の細菌兵器の実戦使用による被害者や遺族の一部は、日本国を相手取って謝罪と賠償を求めるために日本の裁判所に提訴しました。中国人180人が原告となった731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟(1997年提訴)では、最高裁判所が2007年5月9日に国家無答責(当時は国が戦争被害について賠償する法律は制定されていなかったこと) を理由にして上告を棄却し、原告の敗訴が確定しました(www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/795/005795_hanrei.pdf)。損害賠償の請求は認められなかったのですが、 「細菌戦の事実の有無について」「は原告らが立証活動をしたのみで、被告は全く何の立証(反証)活動もしなかったので」「制約ないし問題があることを認識しつつ」証拠に基づき第一審が判決で示した戦争医学犯罪の事実の存在の認定は確定しました。




昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月9日には長崎も原爆の攻撃を受けた。
陸軍省医務局は特殊爆弾に関する情報を整理して8月11日衛生速報第79号を発行し、各軍及び直轄の衛生機関に広島爆撃の戦訓を伝えた。これには爆撃及び爆発の状況、爆風威力、防空壕の効果及び対策を書いた。
この火傷の項には
(1)皮膚の露出部は第2度の火傷を受け、襦袢等の薄い被服を着ている部分は水ホウを生じ、軍服と襦袢の重なった部分は軍服のみ焼け、皮膚には何等の損傷はない。
(2)火傷は爆心地に向かう側だけにあって、光線に対すると同様に、物のかげに遮蔽すれば防御し得る。爆心から3キロの所でも露出した部分は火傷する。
(3)一部には焼夷剤による火傷も混在しているようである。
と記載した。最後に本爆弾に関する情報として、ウラニウム(原子量235)をもってする「原子爆弾」なるものの如し、俘虜情報によれば、破壊効力は1発に対し6平方マイルにして、B29の2000機に匹敵するという。
爆発は敵機脱出後しばらくして起こるを以て念のため。と付記してある。今から見れば間違いでないかと思うところもあるが、何よりも早く対策を指導することが必要であった。




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年


第8章 昭和維新と統制

満州国を正当化した新たな国家イメージは国家信仰という性格に加えて、ドイツのナチズムややイタリアのファシズムと似ていた (後者には、天皇崇拝という日本人の政治信仰に相当ものをイタリアで求めたという側面があった)。1933年、1万8000人の反体制の人々が逮捕され、多くの左翼指導者が転向を強いられると、日本の共産主義運動はたちまちのうちにすべて弾圧されてしまった。1934年から36年までに、大正デモクラシーの遺産や立憲的自由主義の慣行は脅迫や暗殺により衰退していった。ナチ化したドイツの反セム主義のような人種的不寛容や憎悪が国家政策となることはけっしてなかったが、アジア人への人種差別は、20世紀の日本人の身にしみこんでおり、日本の植民地主義が始まった1894年から95年にかけての日清戦争ごろに起源を持っていた。1936年11月、日独防共協定が調印されると、ナチスのイデオローグの思想も流入して日本で多くの支持者を獲得し、ナチスの反セム主義は、すでにユダヤ人への偏見が広まっていた論壇の主流となった。その後の歴代日本政府は、臆面もなくユヤ人についてのイメージ操作を行ったが、それはユダヤ人を追害するためよりも、むしろ国内のイオロギー的画一性を強化するためだった。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!




 
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