【速報】3回目の停戦交渉はじまる ロシアとウクライナ
ウクライナ侵攻反対!!
ソニアの日記
コタバル 伝えられなかった戦争(2011)
セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)
開戦ー前編ー
佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
11月16日(火)
・貴重なパネル、資料により、日本軍の戦争犯罪がよく分かりました。ありがとうございました。
(30代、市外)
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7回
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
帝銀事件捜査が行われていた1948年1月から9月当時、まだ東京裁判やBC級戦犯裁判が行われている最中であり、一方で残虐行為のために死刑判決を受ける人がいた反面、他方では極めて組織的な残虐行為を行なったにもかかわらず、米軍に保護され、完全に免責されるという人(のちに米軍に雇われる人もいた)が存在したのである。
つまり、帝銀事件の捜査の段階で、日本の民主化・非軍事化政策の一環として行われた戦犯追及は、大きくねじ曲げられ、戦争犯罪・戦争責任が隠蔽されたということである。その意味で、帝銀事件の捜査は、占領政策の大きな転換をもたらす分岐点なったと言えるのである。(明治大学平和教育登戸研究所資料館長)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第4章 満洲医療機関
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第2 被告の細菌戦
第3 被告の細菌戦と本件各被害との因果関係
8細菌戦による常徳のペスト被害
(1)1941年11月、湖南省常徳市(当時常徳県、以下旧称を用いる。)でペストが発生し、翌年になって市街地(県城)のみならず、農村部と桃源県に波及した。1941年以前にこれらの地域でペストが発生した歴史事実はない。
同年11月4日、731部隊の航空班増田美保少佐が操縦する97式軽爆撃機から、ペスト感染ノミとそれを保護する綿・穀物などが投下され、県城中心の関廟街、鶏鵝巷一帯及び県城東門付近に落下した。投下されたノミが直接人間を嚙んだことから、ペストの潜伏期間を過ぎた11月11日からペスト患者が出始めた。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
八月十五日
最も信用は置けないがこんな様な気分で分遣を一週間暮らした故に 非常に体が弱った様に思われたが遼陽に上番して初めて元通りになった。愉快な日が続いたから。ー。ー。満期風吹かしている内に早慶戦が始まった。早大三シーズン目に見事に陸の王者を破った 其の時は非常に嬉しかった。早大が勝った故もあるが こんなに詳しくサンデーに野球雑誌に経過を読んだのは初めてだ、何しろ大の早大ファンなんだから。 以上
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送
“難民区の華僑を虐殺”
大快良明(たいかいよしあき)8604部隊
<経歴>
1917年生まれ
1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入
1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属
1942年 南方軍岡第9420部隊に編入
1946年6月 帰国
◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。
解説 岡9420部隊 (近藤昭二)
これまでのところ、タンポイのベルマイ精神病院を接収した部隊内で大量のペストノミを生産していた隊員・竹花京逸氏の証言と、大快良明氏の証言が登場している程度で、まだこの部隊に関しては不明な点が多い。シンガポールの元国務大臣オスマン・ウオク氏が17歳だった1942年当時、この部隊に雇われ、ペストノミを生産する仕事に従事させられていたと地元紙に証言している(1991年9月19日付『ストレーツ・タイムズ』。また、この部隊で生産されたペスト菌やペストノミは、運転手に託され、遠くサイゴンまで運ばれたという。人体実験の点では、1945年6月に米軍諜報機関がマッカーサー司令官宛に提出した「日本の秘密戦」と題する書面に、日本の南方軍でマラリアの人体実験の行われたことが報告されている。
戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
4 日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害
佐藤貞人自筆供述書(1954年9月5日)
1944年6月上旬、湖北省当陽県清平河西方1㎞の場所で、私は39師団232連隊2大隊情報班上等兵であった。この頃、寄国軍曹とともに15名の傀儡軍〔原文:偽軍、以下同じ〕を指揮して、新四軍の情報を得ることと物資略奪を目的に同村に闖入し、丁度8人の中国人が西へ向かって物資を運んでいるのを発見した。私は6名の傀儡軍に命じてこれを逮捕させ、略奪した物資を占領地に運んだ後〔8人のうち〕6人を追い払った。残りの2名は(26歳、28歳、男)傀儡軍の拘留所に監禁した。約1か月後、寄国軍曹の命により石橋1等兵に本部の軍医中尉水野春洋のところへ連れて行かせ、水野春洋に2人の中国人を麻酔薬で殺害させた。
(1)119―2、587、1、第5号
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄
日本の敗戦と日本軍の武装解除
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
矢崎さんの証言が終わると、梅さんが立ち上がり、予定ではまだほかに表健治(旧姓雨宮)さんと米村済三郎さんに証言してもらうことになっていたが、鉄道のダイヤの乱れでまだ到着していないと説明された。ただし、2人の証言の文章は準備されていたので、梅さんが代わりに読み上げた。
表健治さんの証言は、1954年8月15日、中国で供述したものと同じであった。以下に引用する。
「1941年2月、山東省堂邑県の県城の西約10㎞の某村において、32師団210連隊第1大隊長、土田少佐の指揮で兵士300名は野砲3門を携え、国民党軍保安第4師団、斉子修部隊の約500名を包囲攻撃し、野砲30発(うち催涙、窒息ガス弾約10発)を放ち、兵士約100名及び民衆約200名を爆殺或いは毒殺しました、私は当時、重機分隊3号の射手で、分隊長、二見兵長の指揮の下、村の後方約600mの畑に30発を打ち込み、抗日軍兵士10名を射殺しました」
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
3 最高の作戦計画
オペレションズ・リサーチ
OR(オペレーションズ・ リサーチ)による計算資料は秘中の秘とされ、3重扉の特殊金庫のなかに厳重に保管されているという。71年2月10日の参院予算委員会で、上田哲議員(社会党)がOR作業の内容について質問したが、中曽根防衛庁長官は「作戦解析の内容は、こういう公開の場所で申し上げるのは適当でない。・・・国益を保護するために、こういうふうに申し上げぎるを得ない」と拒否している。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
2、研究開発と自衛官の入学拒否
自衛官の入学研究発表の拒否
防衛庁は、新兵器や新しい軍事技術の研究開発を目指して医官、技官、研究員の養成に努めていた矢先だけに、隊員特に専門分野の隊員に動揺が起こることを心配した。隊員向けに学界のこの処置についての弁明を矢継ぎ早に出していることを見ても、その慌てぶりがうかがえる。防衛庁衛生局長瀬十一太衛生課長の「学会における研究発表の中止事件について」と題する声明が、自衛隊幹部向けの広報誌『広報アンテナ』(67年12月号)に掲載されている。同声明は、学会の取った処置を遺憾としながら、隊員の研究、発表に及ぼす影響を心配して次のように述べている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
序章
本書の主な関心は、国家の元首および軍の最高指揮官としての彼の名で、その積極的な指揮のもとで行われた戦争の道徳的、政治的、法的な説明責任を、天皇が公的に認めずに済んだ点にある。昭和天皇は、自分が神権君主であり、日本国家のかけがえのない中枢であると信じていたため、破局が訪れても退位しなかった。日本が国外で行ったことに対して、どんな個人的責任も自覚せず、13年11ヵ月にわたって多くの人命を奪った侵略戦争の罪を1度として認めなかった。彼は皇室の祖先に対する義務感から、みずからがその崩壊に大きく関与した帝国の再建を決意した。アメリカの政策と冷戦とが、国民、民族の継続性の象徴として、そしてまた繰り返される政治論争の的として、さらに43年間皇位に留まることを許したのである。最後には昭和天皇は、その国民が過去の戦争を忘れることのまたとない象徴になった。戦争における天皇の中心的役割を追及しないかぎり、日本人は自分自身を問題にしなくて済んだ。だから、天皇の戦争責任の問題は、戦争と敗戦の時代を超えて続いている。この問題は、敗北に終わった戦争についての日本人の変化する意識、戦争の原因とその本質についての認識という点から論じなければならない。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●地球を破壊する核実験
アメリカ合衆国
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
· 爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
· 実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!